第七十九章 枯れ木令嬢と真実 6
元々ケントの生みの母であるマドリンは没落した子爵家の娘で、彼女が他所の高位貴族の屋敷でメイドをしながら、家族を支えていた。
ところが、ある日突然その娘から連絡があって両親が王都に来てみると、なんと娘が父無し子を産んでいた。しかも三年も前に。
マドリンは妊娠が分かってからずっと、ハリスからお金を受け取っていた。
しかしそれは彼女がハリスに囲われていたからというわけではない。
マドリンはハリスに懇願したのだ。子供が生まれて働けるようになったら一生掛かってでも返済するのでお金を貸して欲しいと。
まあ実際のところ、ハリスは彼女からお金を返してもらおうなどとは露程も思ってはいなかったが。それはたとえケントが自分の子ではなかったとしてもだ。
既婚者である自分が、未婚の娘と関係を持ったことに対する罪滅ぼしだ、とハリスは弟に説明していた。
しかしハーディスには分かっていた。兄にとってマドリンは、彼が愛した唯一の女性なのだということを。
マドリンは受け取ったお金の中からいつもの金額を実家に送金し、その残りで生活をしていた。無駄遣いを一切しないで残りを全て貯蓄していた。
そのため、ハリスが亡くなって生活費と養育費が届かなくなっても、働けるようになるまでなんとか暮らして行けるとマドリンは思っていた。
ところが、ハリスがなくなって僅か半月後、マドリンは馬車に轢かれて足に大怪我をしてしまった。そのせいで働くどころかケントの世話すらできなくなった。
三歳になっていたケントはやんちゃ盛りで目を離せない。ハリスとの間に授かった自分の命よりも大切な息子に、何かあってからでは取り返しがつかない。
そう思ったマドリンは、非難や罵倒される覚悟で仕方なく両親を呼び寄せたのだった。
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当座のお金には困っていないので、どうか身体が良くなるまで息子の面倒を見て欲しい。マドリンは両親に頭を下げた。
するとマドリンの両親は予想通りに娘を恥知らずだと罵り、ケントの父親が誰なのかと執拗に尋ねた。
しかし、彼女はその名を決して明かさなかった。
名門伯爵家の当主であったハリスに隠し子がいたことがわかったら、彼の名誉を傷付け、残されご家族にも迷惑を掛けてしまうと思ったからだ。
マドリンは、娘の純潔を奪った奴は容赦しない、と激怒し続ける父親にこう言った。
「ケントの父親は、お父様が大病を患った時にかかった高額な治療費を支払って下さった方です。
私が借金取りに娼館に売り飛ばされそうになったところを、お仕えしている伯爵様のお知り合いだったあの方が偶然通りかかって助けて下さったのです。
あの方がいなければ一家心中するところだったのですよ。私なんかを売り飛ばしたって、借金は完済しなかったでしょうからね。
つまりあの方は我が家の命の恩人です。悪く言うのは止めて下さい。
それに支度金も準備できない私なんて、どうせまともな結婚なんてできやしないとずっと諦めていたんです。
そんな私が初めて人を好きになったんです。そして、それが許されない想いだとわかっていても、せめて尊敬し愛しているあの方の子供を私はどうしても欲しかったんです。
だから私が無理矢理にお願いしたんです。あの方は何も悪くありません」
今まで口答え一つしたことのない娘の反論に、両親もそれ以上は何も言えなかった。
そもそも自分達に甲斐性がなく、娘におんぶに抱っこだったのが悪かったのだから。
結局メアリーの両親は、娘の怪我が良くなるまで王都に留まって、娘と孫の面倒を見ることになった。
ところが、マドリンは両親と王都で暮らすようになったその僅か一週間後に、両親を呼び寄せたことを死ぬほど後悔することになった。
マドリンが母親に付き添ってもらって病院へ行っている間に、なんとケントを養子にしたいと言ってきたウッドクラウス伯爵家の執事に、父親が子供を渡してしまったのだから。
マドリンは正式な結婚をしていなかったために、マドリンの産んだ子供の権利は家長である父親にあった。
そのために、母親であるマドリンの承諾は必要なかった。父親は自分だけの判断で、養子縁組の書類にサインをしてしまったのだ。
そしてそれは法に法った正式な契約だったため、マドリンがどんなに役所に訴えても門前払いをされ、結局彼女はケントを取り戻すことができなかった。
マドリンの父親は、ケントの実の父親が元ウッドクラウス伯爵だと知ったから手渡したというわけではない。
執事のバージルも彼にはそんな話は一切しなかった。できるなら無駄な金などは支払いたくはなかったからだ。
だから、こちらはただの善意でやっているのだというスタンスで話をした。それはハリスが援助をしていたどの子供の親に対してもそうだった。
リンダの母親同様、たとえ没落貴族でも最低限の矜持はあるだろうとバージルは踏んだのだ。
大方の母親からは養子の件自体を断られ、キャリーの母親に至っては暗黙の要求を受けて、多少の金は支払うことになったのだが。
世間知らずで単純なマドリンの父親は、簡単にバージルの策略に嵌まった。
慈善活動家である元ウッドクラウス伯爵夫人が、恵まれない子供達を養子にして、立派に教育を施してくれるのだと聞き、孫の将来のためには、その夫人に預けた方が良いと思ったのだ。
そうすれば娘もこれ以上苦労しなくて済むし、子供がいなければこれから誰かと新たに縁が結べるかもしれない、とそう考えた結果だった。
名ばかりの貧乏没落貴族の自分達では孫にろくな教育も施してやれない。しかも父無し子では孫本人も一生陽の目を見られず、辛い人生になってしまうと。
しかし、もし孫のことを本当に考えるのならば、その養子先がどんな家なのか、その元ウッドクラウス伯爵夫人がどんな評判の人間なのかを調べるべきだった。
いや、それ以前にケントの母親マドリンをまず説得してから子供を手渡すべきだったろう。父親はそのことを死ぬまで後悔することになった。
何故なら娘は生きる希望を奪われて、心を病んでしまったのだから。
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バージルはこんな風に多くの母親達の心を苛め、煩わせ、心を壊すようなことまでして、駒として使えると思った三人の子供を手に入れた。
そしてシンディーをハーディスの後妻にしようと画策した。
ところが、ハーディスが学園を卒業後に屋敷を出て行ってから勤め始めたバージルは、彼とはほとんど面識がなかった。そのために、新しい主の性格をよく理解していなかった。
ハーディスの見た目は兄ハリスにとてもよく似ていたが、兄ほどお人好しではなかったことをバージルは知らなかった。
「あの子供達が兄の実の子だと証明するものは何もないよね。だから兄の庶子として籍に入れるわけにはいかない。
そもそも当主である私に何の相談もなく、貴女が独断で子供達を引き取って養子にしたのでしょう?
それなら子供達は貴女だけの子です。きちんと自分で責任を持って面倒を見てくださいね。
貴女が、兄の未亡人としてウッドクライス家に残るおつもりなら、今更放置や養子縁組の解除などという我が家の不名誉になることはしないで下さいね」
シンディーはハーディスにこう言われてしまった。そしてもちろん二人の結婚についても、
「子供達のことを理由に義姉であった貴女と結婚するだなんて、全く有り得ない話だ。
父も貴女との再婚を望んでいるだと?
ふざけたことを言ってもらっては困る。私が当主になった以上父が何を言おうが関係ない。あの人に今更口出しはさせない。
そもそも私には妻子がいて、近々この屋敷に呼び寄せるつもりだから、貴女方は離れに移ってくれ。
まあそうは言っても兄が関わっていた子供達なのだから、自分のできる範囲でなら私も彼らの面倒を見よう」
この言葉に、シンディーとバージルは大きな衝撃を受けた。二人ともハーディスに内縁の妻と庶子(実際は正式な実子)がいることを知らなかったからだ。
シンディーが離れなどに移動させられ、当主の本妻がやって来たら自分はもうこの屋敷での実権を握れない。
それに娘までいたのでは、もうカークが当主になる可能性はほとんど無いだろう。
その後シンディーから話を聞いたゴードンが屋敷にやって来て、マーガレットとの結婚などは認めないと喚いたが、それは無駄な足掻きだった。
その場にハーディスの親友のルードルフ侯爵が登場して、マーガレットがいかに優秀な女性なのかを説明したからである。
ルードルフ侯爵家は、侍女を含む全ての使用人がしっかりと教育されていることでとても有名なのだ。陰で花嫁養成学校、職業訓練学校と呼ばれるくらいだ。
いや、実際にそのノウハウを活かしていくつも学校を経営して、優秀な人材を社会に送り出していた。
そこの当主が保証したのだから、マーガレットが淑女と呼ばれる女性であることは明らかだ。
となれば、シンディーを後妻にするよりは、遥かにマーガレットを迎え入れた方がましだと、さすがにゴードンも納得せざるを得なかった。
自分が強制してハリスと結婚させてしまったからこそ、彼は今までシンディーを庇ってきた。
しかし、彼女がこのウッドクライス伯爵家の女主に相応しくないことくらい、とうの昔からゴードンも気付いていた。
それはそうだろう。シンディーを自分の妻と比べたら天と地ほど差があったのだから。
しかしゴードンは、愛する息子を不幸にしたのが自分だということをずっと認めたくはなかった。
とはいえ、さすがにその失敗をまた繰り返すのかと、他人であるルードルフ侯爵にまで言われたような気がして、ゴードンはそれ以上シンディーを庇うことはできなかったのだ。
その様子を近くで伺っていたバージルは絶望した。
とある役職に就ける者だけがウッドクラウス伯爵家の当主に成り得る、と国王陛下は言っていたという。
そしてその役職に就くためにはある特殊な能力が必要らしい。
その能力とやらが何なのか、バージルには皆目見当も付かないが、このウッドクラウス家の実の娘の方が、カークよりもその資格を持っている可能性が高いことは確かだろう。
そう考えてバージルは鼻白んだのだった。
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