第七十七章 枯れ木令嬢と伯父の結婚 1
ハーディスは紅茶のおかわりを飲みながら、ウッドクライス伯爵家の崩壊が始まった、母親が死んだ直後の頃のことを思い返した。
ハーディスの父ゴードンは妻の死後、結局気力が萎えたままだったので、これ以上防衛統括大臣の職に就いているのは無理だと国に申し出た。
すると国は当然のようにあっさりと彼の辞任を認め、それに伴い嫡男ハリスを次の当主に定めた。
そして、爵位のみならずその他全ての役職を、息子へそのまま引き継ぐように父親のゴードンへ命じた。
この爵位の継承自体は貴族社会では当然の流れだったことだろう。
しかし、国の役職まで全てそのまま嫡男が継承することはあまりない。それは親子といえど能力は千差万別だからである。
たとえ貴族だからといって役職まで親子で全て継承していたのでは、とてもじゃないが国が成り立たない。
ところがウッドクライス伯爵家のみ、その家の後継者が役職まで継承されることを是とされていた。
しかしこれはある意味当然のことだったろう。そもそも後継者になる条件というのが、その特殊な役職を継承できる者と限定されていたのだから。
そう。ウッドクライス伯爵家の当主は最初から、直系の子弟がなれるというわけではなかった。
つまり嫡男であるハリスがたとえどんなに優秀で人柄が良かったとしても、当主になれなかった可能性もあったのだ。
高位貴族の当主達はこのことを知っていた。だからこそ下位貴族達のように、ハリスがウッドクライス伯爵家を継いだことを当然なことだとは思っていなかった。
その特殊な役職を継承できる者とは防衛統括大臣になれる者のことであり、その防衛統括大臣になれる者とは『緑の精霊使い』であり、特殊部隊の一員としての実績がある程度ある者だとされていた。
そのためハリスにその能力がなければ、弟もしくは親族の中から当主が選ばれたであろう。そのことも高位貴族達だけは知っていたのだ。
それ故に前ウッドクライス伯爵のゴードンから縁談の申し込みがあった時、ヘンドリクス侯爵は妻と娘にはっきりとこう言った。
「ウッドクライス家は伯爵家ではあるが、この国建国の立役者を始祖とする、我が国の中でも名門中の名門であり、国の重職を担う高貴な家である。
ここに嫁ぐことは非常に名誉ではあるが、それとともに妻としての役目は大きい。並大抵では務まらない。その覚悟はあるのか?
しかも、当主は国王陛下がお決めになる。だから、お前の産んだ子が後継者となるとは限らない。もちろん財産分与はあるだろうが、本当にそれでもいいのか?」
と。それに対して、妻のマリアはこう言った。
「シンディーには侯爵の娘として十分な躾と教養を与えて来ましたわ。
私のように『子爵家の出の貴女では淑女教育が足り無くて、高位貴族の妻に相応しくない』などと陰口を叩かれないように。
ですから、格下の伯爵家でならそれこそ十二分に務まりますわ。ねぇ、シンディー?」
「はい、お母様」
妻の言葉にヘンドリクス侯爵は激怒した。妻は夫の話を何一つ理解していなかったからだ。こんな愚かな女を妻にしなければならなかった己を呪った。
いくら先妻を亡くして心が弱くなっていたのだとしても、こんな女に嵌められる隙を見せてしまった過去の自分を。
周りのご婦人方からマリアが蔑まれていたのは、決して下位貴族の出身だったからではない。
身の丈に合わない贅沢な衣装や装飾品を付けて、自分は侯爵夫人だと居丈高な振る舞いをして、自分より格下相手には不遜な態度を取っていたからだ。
シンディーは確かに淑女としてはそれなりだろう。母親似で華やかな美人だし、ダンスも上手だ。
しかし花一つ生けたことのない娘で、花束をもらってもそれを愛でることもなく、侍女に投げつけるような、可愛らしさや優しさの欠片もない娘だ。だから高位貴族から縁談の一つもこなかったのだ。
それなのにウッドクライス伯爵家を格下だと見下すような発言をするとは。
「わかった。お前達がそういう気でいるのなら、ウッドクライス伯爵家に失礼になる。それ故この話はお断りしよう」
ヘンドリクス侯爵はこう言い放った。ところが、これに異議を唱えたの娘のシンディーだった。
彼女は母親と違って現実を分かっていた。自分の母親は評判が悪い。それ故に自分は、母が希望するような高位貴族の元などへは嫁げないだろうと。
「お父様の仰ったこと、私は十分に理解しています。決して見下すような真似は致しません。
妻として夫を支え、伯爵家を守れるように精進したいと思います」
シンディーは父親だけでなく、自分の方からゴードン=ウッドクライス伯爵へこう訴えたのだった。
最初に話を持ちかけたゴードンは、仕事で忙しくて世事に疎く、母親のマリアの評判もシンディー自身のことも良く知りもしなかった。
ただ名門ヘンドリクス侯爵家のご令嬢ならば間違いないと思い込み、息子の意見も聞かずに勝手に婚約を決めてしまったのだ。
超絶多忙なハリスは父親とやり取りする暇がなかった。そのため、彼の意思など完全に無視されて、その結婚話は勝手にどんどん進んでしまった。
ハリスは一貫して相手に会ってから婚約すると言っていたのに、いつの間にか婚約をさせられていて、結局結婚は回避できない状況になってしまった。
弟のハーディスは、兄のために必死にその婚約を止めさせようと色々と試みたのだが、まだ学生だった彼ではそれを阻止することはできなかった。
その結果、ハリスが妻となるシンディーと初めて顔を合わせたのは、なんと結婚式を挙げる二時間前だったのだ。
誓いのキスは新郎が新婦の頬にしたのだが、その瞬間に二人は同時に嫌悪感を抱いてしまった。それは単なる好き嫌いではなく、互いの血が全身で拒否している、そんな感じだったという。
兄からその話を聞かされた時、ハーディスは良く理解できなかったが、今なら分かる。
兄のハリスは『緑の手』の持ち主で『緑の精霊使い』だった。そしてシンディーは西の国の『黒の精霊使い』であるヘイゼス=シュナウザーの孫娘であり、『赤い手』の持ち主だったのだ。
だから彼女はすぐに花を枯らしてしまう。そしてそれを人に知られないように、手渡されてもすぐに侍女に渡していたのだった。
『赤い手』とは植物を枯らしてしまう人間の呼称で、『緑の手』の対になる言葉だ。その持ち手のほとんどが西の国の民であり、このグリーンウッド王国には滅多に存在しなかった。
つまり、シンディーの母親マリアの恋人だったドナルド=シュナウザーは、西の国の反政府主義者であり、『黒の精霊使い』のヘイゼスの息子だ。
そのため彼女の体には、彼らから継続された血が流れていたのだった。
二人の間に子供ができなかったのもそのせいだったのだろう。何しろ相反する血だったのだから。
ハリスはそれを知らなかったので、自分には子種がないのだと思い込み、ケントを自分の子だとは思っていなかったようだ。
その上でハリスはケントとその母親を愛してはいたのだが、あまりにも三人が哀れだとハーディスは思った。
黒の精霊は植物を枯らして腐らせる力を持っている。それによって地下資源を生み出しているのだ。
そのことを例えば植物連鎖的思考で捉えてみると、黒の精霊は緑の精霊にとっての捕食者ということになる。
しかし実際のところは、黒の精霊達は植物がなければ地下資源を作れないし、その地下資源がなければ人は快適に暮らせない。
そして快適に暮らせなければ、人は植物を育てたり守ったりできないから、緑の精霊達は困ってしまう。
それは全ての精霊達との関係でも言えることだ。つまり世の中巡り巡って繋がっている。そして互いに助け合うことで世界は成り立っているのだ。
だからこそ精霊達は皆お互いをリスペクトし合っているのだ。
ところが残念なことに、これが精霊使いにも当てはまるかというと、必ずしもそうではなかった。
何せ彼らは精霊とは違い心が弱く、不純な感情を持つ人間なのだから。
『緑の精霊使い』は『黒の精霊使い』に対して、嫌悪感とまではいかないにしろ、自分達を征服する捕食者として見る傾向があり、恐れと警戒心を抱いていた。
そして『黒の精霊使い』の方も『緑の精霊使い』から見捨てられ、関係を断たれたら自分達の存在が危ぶまれるため、なるべく関わりたくはないと思っていた。
それは遥か遠い先祖から代々に引き継がれた意識であるため、簡単には拭い去れない本能に近い感覚だった。
そのために双方の精霊使い達は、無意識に相手を避けようとしていたのだ。それは決して嫌うということではなかったのだが。
読んで下ってありがとうございました!




