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第七十六章 枯れ木令嬢の手作りランチと父の決心  

 

 今思えば母親が死んだ直後から、ウッドクライス伯爵家は崩壊への道を少しずつ進んでいたのだ、とハーディスは今更ながら思った。

 言い換えれば、母はそれまでたった一人で、この国の名門中の名門と言わしめたウッドクライス伯爵家を守ってきたということだ。

 

 そしてそんな苦労を掛け通しだった妻を亡くしたことで、父は自分と同じように後悔の念に苛まれたのだろう。

 父親と同じ立場になった今、ハーディスも彼のその気持ちが痛いくらい分かった。

 

 そうは言っても自分とマーガレットとの結婚を認めなかったり、兄ハリスにあのシンディーとの結婚を無理強いしたことは絶対に許せることではなかったが。

 

 ウッドクライス一族は、これまで愚直なまでに任務遂行に拘り、王家と匹敵する名家である誇りを守るために、家族を顧みることなく与えられた職務に邁進してきた。

 もちろん長い歴史の中では、ハーディス以外にも王家や国の在り方に苦言を呈した者はいたのだろうが、結局は王家に飼い馴らされてしまったのだ。

 名誉だとか崇高な任務だとか国民のためとか、お題目を並べられて。

 

 ハリスの生前中、ハーディスは、たまに兄と酒を飲む機会があると、部下達の為にも自分達のためにも、特殊部隊の在り方を変えようと話し合っていた。

 それなのに実際には目の前の忙しさに追われて、本格的な行動に移せなかった。それがハーディスは悔やまれて仕方がない。

 

 父も国に対する不満を膨らませていた。しかし、それに対する対処の方向性が間違っていたのだとハーディスは思った。

 


 愛する妻とほとんど過ごせないくらい国のために働いたのに、ゴードンは妻を見舞うどころか、最期を看取ることもできなかった。

 国からも王家からも、妻の苦労に見合うものは何も与えられなかった。二人のための時間もさることながら、地位も名誉も名声も……

 ふざけるなとゴードンは思った。だから、せめて自分達の息子には高位貴族の令嬢を妻に迎えてやりたかった。

 

『何も知らず我々特殊部隊に守られてきたくせに、その長である我が家を見下してくる下位貴族どもに、我が家は本来高貴な家柄なのだと見せつけてやりたい。

 ウッドクライス伯爵家が望めば、侯爵家の令嬢を娶るくらいのことは簡単なのだと』

 

 ゴードンは、それを周りの者達に周知させたいと思ったのだ。

 

『ウッドクライス家は利権や権力に絡まないために、高位貴族とは縁を結ばない』

 

 という初代当主から守り続けてきた、その不文律の掟を破ってでも。

 

 しかしその時のゴードンは、自分のそのつまらない欲望と歪んだ矜持のせいで、まさか愛する妻との間に生まれた息子やその孫達までも不幸にするとは、夢にも思わなかったことだろう。

 

 

 ✽

 

 

 ハーディスは城の中庭へ出ると、薔薇園の側のベンチに腰を下ろした。

 冬だというのに太陽の日差しのお陰か、もしくは親友であるフィラムやこの薔薇園にいる緑の妖精達の慈愛のお陰なのか、ハーディスは全く寒さを感じなかった。

 

 珍しくベンチの背もたれにハーディスが凭れていると、彼の前にハーディス付きの侍従達が小さな簡易テーブルを運んできた。

 

 そしてその上に湯気が立つスープの皿と共に、少し大き目のバスケットが置かれた。

 

「閣下、お疲れで食欲が無いかもしれませんが、お嬢様の手作りランチですので、残さずに召し上がって下さいね。

 スープの方は城の厨房で作らせたものですが、温かい物を何か出して欲しいとのお嬢様からのご要望ですから、冷めないうちにお飲み下さい」

 

 同年輩の侍従にそう言われて、ハーディスは疲れた顔にそれでも笑みを浮かべて、

 

「ああ、わかってる。ありがとう」

 

 と頷いた。

 

 実は昨日からプラント男爵家の秘書のロバート=サントスが、ジュリアお手製のランチを届けてくれることになったのだ。

 ロマンドと薔薇による通信を始めたジュリアが、彼から父親が酷く疲れていて食欲が落ちていると聞いて、せめて昼くらいはきちんと食べて元気を出してもらいたいからと、ランチを作ってくれることになったのだ。

 もちろん婚約者のロマンドやロバートの分も作っているようだったが。

 

「自分の娘からの手作りランチを召し上がれるなんて、閣下が羨ましいですよ。私の娘など、クッキーすら焼けませんよ」

 

 侍従が本当に羨ましそうに言ったが、ハーディスは少し複雑そうな顔をした。

 確かに娘の手作りの食事を食べられる父親なんて僥倖としか言えないかも知れない。

 

 しかし、そもそも普通の貴族のご令嬢なら厨房などに入ることはない。ジュリアは平民、しかも孤児として暮らしてきたから料理ができるのだ。そうしなければ生きてこれなかったから。

 伯爵令嬢である娘をそんな目に遭わせてしまった自分が情けなくて、申し訳なくて、ハーディスの胸はまたギュッと痛んだ。

 

 ますます顔色が悪くなって、食事に手を付けようとしない上司に向かって部下がこう言った。

 

「閣下、ロバート卿よりご伝言があります。

 

『私はお料理をするのが大好きなの。特に大好きな人達に喜んで食べてもらえると凄く嬉しいわ。

 食事は睡眠と同じくらい生きるためには大切なこと。それなのに貴族の娘だからといって、料理をしないなんておかしいわ。

 それと、娘の愛情のこもった食事を残すような父親は最低よ、そう、お父様に伝えてね』

 

 と、お嬢様が仰ったそうですよ」

 

 ハーディスはそれを聞いて瞠目した。ジュリアは料理をすることが好きで、それを恥だとは思ってはいない。むしろ誇らしいことだと思っているらしい。

 そうか。そんな娘を哀れだと思うことこそ娘を侮蔑していることなのだ、とハーディスははっとした。

 それに、娘はあの屋敷にいた二年間、お腹を空かせても満足に食べられずにいたのだ。

 病気でもないのに食欲がないくらいで、平気で食事を残すだなんてとんでもないことだ。

 

 ハーディスは冷めないうちにと、まずスープを飲み干し、それからバスケットの蓋を開け、中から具材たっぷりのサンドイッチと、カットされたフルーツを食べた。

 そのサンドイッチは、昔妻マーガレットがデートの時に作ってくれた味によく似ていた。

 懐かしさと切なさが胸に込み上げてきて、ハーディスは涙を堪えながらそれを呑み込んだ。

 

 彼は愛する家族とは滅多に逢うことがでず、辛い想いをさせたまま離れ離れになった。

 そして結局愛する妻を死なせ、かわいい一人娘を孤児にしてしまった。

 その挙げ句ようやく見つけ出して引き取り、それまでの分も幸せにしてやるつもりだった娘を、更に不幸に陥れてしまった。

 

「私の幸せを思うのなら、あのまま探さないでいて欲しかった」

 

 そう娘に言われた時のハーディスの衝撃は、言葉では到底言い表わせなかった。まるで心の臓を握り潰されたような激しい痛みを感じた。


 花男爵と呼ばれる娘の婚約者は、初恋の相手と結ばれるために、娘の居場所を見つけ出す前から、迎え入れるための準備を着々と進めていた。

 それなのに父親であるハーディスは何の準備も整えないまま、娘を悪の巣窟に放り込んでしまったのだ。


 あの時彼が拙速な行動を取らなければ、もっと早くに花男爵は初恋の相手であるジュリアを見つけ出すことができただろう。そして、娘を幸せにすることができていたに違いない。

 そう思うと、自分は娘を不幸にするためだけに存在しているようで、居た堪れない気持ちになった。

 

 だからこそハーディスは、たった一人の娘であるジュリアを花男爵の元に嫁がせることにしたのだ。

 その時点では、ウッドクライス家があんな呪われたような家だとはまだ気付いてはいなかった。しかし娘を王家に利用されたくはなったからだ。

 彼が婿入りしてもいいと言ってくれたことは、正直飛び上がるほど嬉しかったのだが。

 

 

 その後ハーディスは、ロマンドからの手紙で兄嫁や養子、そして使用人達の所業を知り、彼らの犯罪を暴くために動き出した。

 そしてそれと並行して、この国の防衛の在り方を変えるための行動を本格的に起こすことにした。

 

 丁度といっては語弊があるかも知れないが、数年前に西の国で密かにクーデター未遂事件が起こった。そして、その指名手配犯達がこの国に入り込んで、悪事を働いていたことが最近わかってきた。

 その事件を解決することで、我々の力を見せつけてやろう。


 そもそも『緑の精霊使い』による特殊部隊は、この国の軍隊が総出でかかってきても敵わない程強大なのだ。大人と子供くらいに力の差がある。

 この際我々は、自国の軍でさえ簡単に捻り潰すことができるのだということを、そろそろ王家や貴族達に見せつけ、知らしめてやろう。

 

 それでもこちらの要望に応えないというのなら、自分が王宮を吹き飛ばしてやろう、そうハーディスは思っていた。

 すると、花男爵もハーディスの計画に乗ってきた。

 

「大切な初恋の相手と幸せな結婚生活を送るためには、職場の待遇改善が必須ですから」

 

 と言って。

 

「自分の目的を達成するためならば、彼は王宮どころか王城まで壊滅させるのだろうな」

 

 ハーディスは中庭のベンチに座って辺りを見渡しながら、そんな物騒なことを一人呟いた。

 そして今度は食後の紅茶をゆっくり飲みながら、再び過去に想いを巡らせたのだった。

 

 

 読んで下さってありがとうございました!

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