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第七十五章 枯れ木令嬢と父の境遇


 キャシーはジュリアに嫉妬をしていたのだと言った。そしてケントにも。

 

 まだ幼い頃は気付かなかったが、成長していくケントを見ているうちに、ケントが前伯爵ハリスの実の子供なんだということは、なんとなく分かったとキャシーは言った。

 

 言葉では上手く説明できないが、草花を見つめる優しい瞳が、二人はそっくりだった。そして漂わせている雰囲気が同じだったと。

 だから次第にケントに嫉妬するようになったのだという。

 自分だってハリスの子供として生まれてきたかった。あんな飲んだくれのろくでなしの父親ではなくて。

 

 それでもケントだけの時にはまだその嫉妬をどうにか抑えることができたのだ、とキャシーは言った。カークやリンダだって自分と同様にハリスの子ではないと感じていたからだ。

 

 しかしジュリアを見た時、キャシーはその嫉妬を抑えることができなかったと語った。ジュリアは親子だと間違えようもないほどハーディスに似ていたからだ。

 その上彼女は何をやらせても完璧だった。自分と同じ平民の母親から生まれてきたというのに。

 

 礼儀作法もダンスも教養も、一年も経たずに完璧だと教師達から太鼓判を押された。

 そして教師達は口々にこう言った。

 

「さすがはハーディス様のお嬢様。お父様によく似て大変優秀ですね。完璧です」

 

 本物と偽物ではこうも違うのか。自分だって立派な伯爵令嬢になろうと必死に頑張ってきたのに、何一つ勝てやしない。

 そう思った時、彼女の中で何かが崩れ去る気がしたという。

 

 それまではリンダのように下位の身分の者を馬鹿にしたり、見下すようなことをキャシーはしていなかった。そもそも自分は平民だったのだから。

 しかし自分は何もやってもどう頑張っても、どうせ本当のウッドクラウス伯爵家の娘にはないのだ。

 それなら貴族と結婚して、本当の貴族になりたいと思うようになったとキャシーは言った。

 

 とはいえ、最初は別に高位の貴族の元に嫁ぎたいと思っていたわけではなかった。

 いや、本音では高位貴族では自分に釣り合わないから、下位貴族の方が余計な苦労をしなくていいなと考えていたらしい。

 それなのに元当主や現当主からの縁談の話を断っていたのは、ただリンダやカークと張り合っていただけだという。

 人のせいにするなんて卑怯だとは思うが、それが正直な思いだったと。

 

 キャシーはシンディーやリンダがいる時はジュリアをかまっていたが、それ以外では完全に無視していたと語った。

 リンダと同じことをしてしまったら、本当に自分は最低の人間になってしまう、そう思ったからだという。しかし、

 

「たとえば、直接人を殺さなくても、助けようともせずに見殺しにしたとしたら、結局それは人殺しと変わらないんですよね。今頃そんなことに気付くなんて馬鹿みたいだわ。

 貧しくて苦しい環境で育ったのはジュリア様も同じなのに、そんな彼女に嫉妬をして助けもしなかったなんて自分が情けないです。

 

 私は犯罪者です。どんな処罰でも受けます。そして、もしいつか刑を終えることができたとしたら、その後は修道院へ入って、ジュリア様の幸せを祈り続けます」

 

 キャシーは静かにそう言った。

 

「本当に反省する気があるなら、どんなに時間がかかろうともやり直しはできるだろう」

 

 別れ際にハーディスがこう告げると、キャシーは涙をこぼしたのだった。

 

 その姿を横目で見ながらその場を離れたハーディスは、深いため息をついた。確かにキャシーの行いはそう簡単に許すわけにはいかない。

 しかし彼女の前で甘いことは言わなかったのだが、ウッドクライス家の環境は最悪だった。

 

 

 シンディーやバージル=ハント、リンダがあの調子だったから、使用人も信じられないほど質が悪く、とても貴族の家敷の使用人とは思えなかった。平民だってあんな者達は雇わないだろう。

 その上性格もあまりにも(たち)が悪くて本当に唖然としてしまった。

 彼らの中で誰一人として、自分が悪かったと反省する者がいなかったのだから。

 

 その点ではキャシーに申し訳ないという気もした。

 我が家の男達にもっと家庭を顧みる余裕があったなら、ジュリアとケントだけでなく、キャシーもこんなことにならずに済んだのかもしれない。カークとリンダはともかくとしても。

 

 

 キャシーのいる取り調べ室を出たハーディスは、重い足取りで地下の薄暗い廊下を歩いた。そして、ため息をつきながら石の階段を上って行った。

 地上に出るとその太陽の眩しさに、寝不足の目は耐えられずに涙を零した。

 

 午後に予定されている最後の立ち会いの時間まで、少し寝ておこうと思っていたのだが、とてもじゃないが横になどなってはいられなかった。

 この五日間、ハーディスは朝から夜まで自分の屋敷の者達とその関係者達から、最終的な調書を取るための場に立ち会っていた。

 そのあまりにも酷い内容に、彼の心はすっかり疲弊していた。

 

 自分の育った屋敷がまるで伏魔殿のようになっていたその事実に、彼は愕然とした。

 しかも、そこに自分の宝である娘のジュリアを自ら送り込んだと思うと、自責の念に堪えられなかった。

 

 ✽

 

 ハーディスは学園に在学中から起業して、学生との二足の草鞋を履いていた。

 そのせいで毎日忙しくしていた彼は、家には病気の母親の顔を見るためだけに帰っていたようなものだった。

 そのため、母親の死後は家に帰る意味もなくなったので、仕事用に借りたアパートで寝泊まりしながら学園に通っていたので、ほとんど屋敷には寄り付かなかった。

 

 まあ、兄のハリスが結婚したことで、居辛くなったこともある。しかしそれは別に義姉のシンディーが嫌いだったというわけではない。

 ただ、父親は既に王都の別の屋敷に移り、兄は滅多に屋敷に戻らない状態で、兄嫁とそれほど年が違わない弟が一緒に住むというのも憚られたからだ。

 

 そしてハーディスは学園卒業後は特殊部隊に入隊し、寄宿舎で生活するようになったので、実家とはほとんど関わりがなくなった。

 もっとも兄のハリスが特殊部隊の実質トップの防衛統括大臣になっていたので、家との縁が切れていたわけではない。

 

 しかしハーディスは、特殊部隊と貿易の仕事で忙しかった。

 そして、その中でどうにか僅かな時間を見つけると、愛するマーガレットやジュリアに逢いに行くことに全て費やしていたので、実家のことを考える余裕などは全くなかった。

 そのために、ハーディスが王都の屋敷に足を踏み入れることは滅多になかったのだ。

 

 ところが家を出てから十二年後、予測もしていないことが起こった。

 兄の急死によってハーディスは、王命を受けてウッドクライス伯爵家の当主になることが決定したのだ。

 しかもその直後に妻子が行方不明になって、彼は当主と防衛統括大臣の激務をこなしながらも、必死に二人を探し続けるという、過酷な日々を送ることになってしまった。

 さすがに貿易の仕事は、暫く部下に一任せざるを得なくなったのだが。

 

 ハーディスはずっとこんなハードな日々を送っていたので、三年前にようやくジュリアを見つけた時も、屋敷の環境が最悪な状態になっていたことに、彼は全く気付くことができなかった。

 彼の育った環境下では、使用人はいつだってきちんと教育されていることが当たり前のことだったからだ。

 それ故に使用人に問題があるだなんて発想自体が、ハーディスには存在していなかったのだ。

 母の死後も、侯爵令嬢だったシンディーという、立派な女主がいたのだから。


 それに、愛妻を亡くして父親が腑抜けになってしまった時、


「ウッドクライス伯爵家の事は王家に任せなさい。貴殿は家のことは心配せずに、仕事に邁進して欲しい!」

 

 父親と家のことを心配して仕事をセーブしようと考えていた兄ハリスに、こう言って思い留まらせたのは、前国王と現国王だったのだ。

 そう。ハーディスが継ぐことを決めた時も、王家は全力でウッドクライス伯爵家をフォローすると約束した。

 王家から使用人を手配するから屋敷のことは任せろと言ったのだ。

 

 それでハーディスも兄同様にこう思ってしまったのだ。

 家庭を犠牲にしてまでもこんなに国の為に尽くしているのだから、国もそれくらいして当然だと。  

 そして王家が任せろというのだから屋敷のことは安心だ、と安易に考えてしまったのだ。

 

 それにルフィエからの定期連絡の中にも使用人に関する話など無かったので、彼らに問題があるとは思わなかったのだ。

 ところが、ハーディスは彼にジュリアをいかなる災いから守るように命じただけで、娘の様子を伝えてくれとは頼まなかった。そんなことを態々告げなくても分かると思ったのだ。

 しかし、傭兵は依頼されたことしかしないというのが当たり前のことだったのだ。それを知らなかったハーディスのミスだった。

 

 もっとも、もしきちんと依頼していたとしても、場末で育ったルフィエが、ウッドクライス家の使用人達のことを問題有りだと認識して、それを報告できたかというと甚だ疑問ではあるが。

 何故なら、ウッドクライス邸の侍女やメイド達の行動は、市井の場末のメイドレベルの使用人と大して変わらなかったからだ。

 

『何故ジュリア様に専属の侍女を付けなかったのですか?』

 

 以前ロバートにこう指摘された時、全くその発想がなかった自分の迂闊さに、己を酷く罵ったハーディスだった。 

 読んで下さってありがとうございました!

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