第七十四章 枯れ木令嬢と真実 5
「私は騙したわけじゃない。最初からキャシーは夫の子供だと言っていたわよ。大体私なんかを伯爵様が相手にするわけがないじゃない!
もっとも、簡単に私を健気で哀れな母親だと勘違いするようなお人好しだったから、本気で迫っていたらもしかしたら愛人にしてもらえたかも知れないけどね」
とキャシーの母親はそううそぶいた。何とも下品で醜悪なその女の言葉に、ハーディスは吐き気を催しながらも必死にそれを堪え、彼女を睨みつけながら最後にこう尋ねた。
「キャシーは私の娘だと偽り、私の実の娘を虐待した。それ故に刑罰を受けることになるだろう。そして二度と我が家とは関わりがなくなる。
そうなるとあの娘は罪を償った後、もう頼る者がいなくなるが、お前は彼女をどうするつもりなんだ?」
「どするって私が引き取りますよ。自分の娘なんですからね」
「ほう。自分一人で暮らすのもままならないように見えるが、そんなお前でも娘の面倒を見られるというのか? 本当にそんなことができるのか?」
「私が娘の面倒を見るですって? 何馬鹿なこと言ってるんですか。あの子はもう十七、いや十八かな? どっちにしてももう立派な大人なんだ。面倒見てもらうのはこっちだよ。娘なら親の面倒を見るのは当たり前だろ?」
「その前にまずは親が子供を育てるのが当たり前だと思うがな。
しかし生憎だが、キャシーはお前の面倒を見るどころか自分の世話もできないぞ。これまでずっと、なんでも侍女やメイドにやってもらえる令嬢として育てられたのだからな」
ハーディスがこう言うと女は笑い出した。
「アハハ……伯爵様。女はどんな能無しだって、役に立つもんなんだ。その証拠に私みたいのだってこうやって生きて行けるんだからね。
だからキャシーみたいな若い娘、しかもご令嬢として育てられた娘なら、いくらだって役に立つさ。
疵物だから正妻は無理だろうが、爵位の低いお貴族様や商家の旦那の妾くらいにはなれるだろうさ。そこで私もついでに面倒みてもらうつもりさ。
まあそれも無理なら、最悪高級娼館に売り飛ばせば、暫くの間は私も遊んで暮らせるだろうよ」
女はまだ完全には酒が抜け切っていなかったのだろう。そうでなければこんなことを口走るはずがない。何故なら……
「看守、この女を地下牢へ連れて行け。一番のおもてなしを受けられる女囚牢へな」
女は屈強な看守に両腕を捕まえられて無理矢理に立たされると、そこで初めて狼狽した。そしてこう叫んだ。
「なにをするんだよ! ただの参考人として私はここへ呼ばれたんだろう? それなのに何故地下牢なんかに入らなきゃいけないんだよ!
私は罪なんか犯していないよ。前の伯爵様のことだって、あっちが勝手に勘違いして金を送ってくれていたんだ。
それに奥様にだって、娘があの旦那様の子供だなんて、私は一言だって言ってやしないんだ。奥様がそれでもいいと連れて行ったんだよ。金だって、勝手に置いてったんだ。さっきから何度もそう言ってるだろう!」
それを聞いたハーディスは必死に怒りを抑え、冷淡な顔でこう告げたのだった。
「そうだな。ここに来るまでは確かに罪は犯していなかったな。たとえお前が娘を売りたいと思っていたとしても、実際に口にしなかったとすればな。
だから正確に言えば、悪行三昧な行いをしてきたが、それを罪には問えなかったと言った方が正しいのだろう。
しかし残念なことに、城内の取調室、つまりここに来てからお前は罪を犯したんだ。しかもそれはたった今だ」
「なんだって! 私がどんな罪を犯したっていうんだ。ふざけんな。私はここでこうしてあんたと話をしていただけじゃないか!」
「そう。お前は私と話をしていただけだ。そしてその中でお前はこの国では言ってはいけないことを言ったんだよ。娘を高級娼館に売り飛ばすつもりだとね」
「あっ……そ、それはただの例え話じゃないか!」
女は真っ青になった。
「例え話でも娘を売り飛ばすなんてことを口に出してはいけないのだ。そんなことを口にするということは、そうする可能性がある証だからな。
人身売買はこの国では殺人罪と同等の重罪だ。それは他人の子供であろうと自分の子供であろうと関係はない。覚悟しておくんだな」
ハーディスの言葉に女はようやく酔いが醒めたらしく、ガクガクと振るえながら看守に引き摺られて行った。
その後ろ姿を見ながら、ハーディスはやるせない思いをした。
あんな女と暮らしていたら、そりゃあ子供は感情をなくすよな。キャシーの育った環境をもっとよく知ってさえいたら、あの子ともっと違う接し方ができただろう。
そうすれば、キャシーももっと人を労れる娘になれていたかも知れない。リンダのように性根まで腐っているとはとても思えないし。
いや、私も兄同様にあの娘に騙されているのか?
私は気持ちを引き締めると、その足でキャシーの元に向かったのだった。
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キャシーと話をしていた途中で、彼女の母親とのやり取りをふと思い出してしまったハーディスだったが、
「ロマンド君は君になんて言ったんだね?」
と、毒母から今度はその娘へと思いを切り替えて、話を元に戻してこう尋ねた。
「ジュリア様のデビュタント用のドレスがあまりにも素晴らしかったので、私は思わず羨ましいわと口にしたのです。ええ。嫉妬混じりの浅ましい言葉だったと思います。
そうしたら、ロマンド様が仰ったのです。
『あなたのデビュタントの時も、伯爵様はあなたにお似合いの素敵なドレスを作って下さったのではないですか?』と。
それでようやく私は思い出したのです。伯爵様に作って頂いた淡い黄緑色の美しいレースのついた白色ドレスのことを。
伯爵様からどんなドレスがいいのかとお手紙を頂いた時、私は黄緑色のドレスがいいとお返事したのです。
私が生まれて初めて買ってもらった新品の服が黄緑色をしていて、その時からずっと黄緑色が大好きだったからです」
「もしかしてその黄緑色のドレスというのは、私の兄が君に買い与えたのかな?」
思わずハーディスが尋ねると、キャシーは頷いた。
「ある日伯爵様が突然やって来て、私の着古したボロボロの服を見て目を見開かれたのです。そして、すぐに察したのだと思います。
伯爵様が私のためにと送って下さっていたお金が、私には使われていなかったことに。
だから自ら私を洋服屋に連れて行って下さったんだと思います。そこで好きな服を選びなさいと仰って下さいました。
でも、今まで服なんて着れればいいと思っていた私には、好きな服を選べと言われても、どれが好きなのかわからず、選ぶことができませんでした。
すると、伯爵様がとても綺麗な黄緑色のドレスを選んで下さったのです。これがキャシーに一番似合うよと言って。
それから私は黄緑色が一番好きな色になったのです。
だからハーディス様にも黄緑色のドレスをお願いしたのです。
でも、その後屋敷であの人達にそのことを話したら笑われました。デビュタント用のドレスは白だと決まっているのに、そんなことも知らないのかと。
でも、貴方様は私の希望通りのドレスを贈って下さいました。白地に淡い黄緑色の美しいレースをあしらった、それはそれは素敵なドレスを。
私は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。あの最初のドレスを、ハリス様に買って頂いた時と同じくらいに。
私のことを真剣に思ってくれる人がいるんだなって。
それなのに、何故その気持ちを私は忘れてしまったのでしょう……」
淡々と話していたキャシーだったが、最後の方は呆然としたようにこう呟いたのだった。
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