第七十二章 枯れ木令嬢と真実 3
「二人のことを愛してる。全ては君達のためにしていることなんだよ」
シンディーはバージルのこんな甘い嘘に騙されて、カークの当主の座を奪う可能性のある、ハーディスの妻子を追い払ったのだ。
ところが態々引き取った三人の子供のうち、ケントがハリスの本当の子だと分かった時、彼女は憎しみや怒りを抑えられなくなった。このままではそのうちカークを人殺しの息子にしてしまうと、恐怖に怯えた。
しかし幸いなことに、ハーディスもケントの事実を知ったことにより、ケントは寄宿舎に入れられた。このことで、結果的にシンディーは彼に手を出さずに済んだのだ。
それなのにある日突然、ハーディスがジュリアを連れて帰ってきた。その時シンディーは心底驚いたのだ。
それはジュリアが見つかってしまったということよりも、ジュリアがハーディスに瓜二つだったことに対する驚きと嫉妬だった。
ジュリアは誰が見てもハーディスの子であって、ウッドクライス伯爵家の正統な跡取りだということを如実に表していたからだ。
さすがに夫の子のケントと比べると憎しみは遥かに小さなものだったし、嫉妬とは別に後ろめたさもあったので、シンディーはなるべくジュリアとは接触しないようにした。
それなのに侍女頭やメイド頭が勝手に彼女の気持ちを推し量り、ジュリアに対して酷い対応をするようになり、それが徐々にエスカレートしていった。
このことについてバージルがどれくらい関わっていたのか、シンディーは知ろうともしもなかった。
しかしそうは言っても、シンディーがハーディスの妻であり、ジュリアが愛人の子だというバージルが作ったシナリオ通りに彼女は嘘をついていたのだから、所詮同じ穴のムジナだ。
ハーディスとジュリアの手紙を、バージルが握り潰していたことを知りながら、それを見て見ぬふりをしていたことも罪が大きい。
その上、屋敷に来た時は健康そうだったその容姿が、まるで枯れ木のように痩せてきたことで、ジュリアの食事量が極端に少ないこともなんとなく察してはいたのだ。
それでもシンディーは、私には関係ない、私が指示したことではないと、ジュリアにずっと目を背けてきたのだ。
「娘のことをくれぐれもよろしく頼む。娘はこれまで散々辛い目に遭ってきたのだ。だからその分もこれからは幸せにしてやりたいんだ」
そんなハーディスの願いも忘れて。
結局自分は何をしたかったのだろうか。別に自分はハーディスの妻になりたかったわけでも、伯爵夫人の座を守りたかったわけでもなく、ただ温かい家庭が欲しかっただけなのに。
愛しているという上辺の言葉だけを信じて、バージルの操り人形になっていただなんて。
全てを悟ったシンディーの頭に、ふと息子の顔が浮かんだ。逮捕された時、何が起きたのかさっぱりわからずにただ動揺していた、まるで子供のように不安げな顔が。
息子はどうなるのだろう。あの子は何も知らないというのに。
カークは今どうしていて、こらからどうなるのかとシンディーは尋ねた。
するとハーディスはその質問に少しだけホッとした顔をした。こんな女にもまだ母性が残っていたのかと。だからこう教えてやった。
「カークは何も犯罪を犯したわけじゃない。ジュリアへの虐待もただ傍観していただけで加担していたわけではないしね。だから大した罪にはならないだろう。
しかし今までのように我がウッドクライス家の名を名乗らせるわけにはいかない。それはわかるだろう?
バージルは、この国の農地を毒で汚染させた詐欺師に加担していた反逆者。その上前当主を暗殺した殺人者。カークはそんな男の息子なのだから。
だが、彼が私の指導に従ってきちんと学んでいたのなら、今後生きて行くには困らないだろう。
私の娘は七歳で父親と引き離され、十三の時に母親に死なれた。それでも一人で生きてこれたのだから、もう十八にもなるカークのことは心配いらないだろう。
そう。私の娘のように食べ物に困るようなことにはならないだろうさ」
「「うっ……」」
皮肉のこもったハーディスの言葉に、シンディーとその情夫であるバージル=ハントは顔を歪めた。
以前からハーディスは、カークは当主にはなれないのだから生きる術を身に付けるようにと散々忠告してきたのだ。そのための教育費だって惜しまなかった。
それなのにこの二人は偽りの当主の座にこだわった。そしてそれに従ったのはカーク自身なのだ。
するとさらに追い詰めるようにヘンドリクス侯爵がこう言った。
「当然お前とお前の母親の存在は我が家の系譜から抹消する。故にカークとは今後一切関係がない」
と。
✽
ヘンドリクス侯爵の元妻とバージル=ハントは、最終的に自白剤を強制的に飲まされて全てを白状した。だがそれを飲ませるまでがかなり大変だった。
ところがそれ程までに恐れられている自白剤を、寧ろ自ら進んでそれを飲んだ者もいた。
偶にこういう者達がいるのだ。それは己の言うことをどうしても信じてもらいたいと渇望する者達だ。
その多くは権力によって真実を歪められてしまう弱者だ。
その中でも特に多いのが、夫に不義を疑われた妻達だった。妻がいくら身の潔白を訴えようと、それを証明することが難しいからだ。
そのような場合に彼女達は、公の場で自白剤を服用して、自分の身の証を立てるのだ。女性として人として隠しておきたいことも洗いざらい全て晒すしか、悲しいことに手立てがないのが実情なのだ。
今回取り調べを受けた女性の中にも、自ら自白剤を飲むことを希望した者がいた。それはウッドクライス家の養女リンダの実母だった。
彼女は本来自白剤を飲む必要などはなかった。リンダがハリスの子ではないと、ただそう証言すれば済むことだったからだ。そもそも彼女は、リンダがハリスの子だなんて一度も言ってはいなかったのだから。
たとえ彼女の長男が窃盗グループのリーダーで、リンダに命じてジュリアの身の回りの物を盗んで売りさばいていたとしても、それは彼女のうかがい知るところではなかった。
そう。婚家の子爵家を追い出された彼女は、実家の男爵家に戻り、ただ息を潜めてひっそりと暮らしていただけなのだから。
そんな彼女が息子と娘が逮捕されたと知った時、今まで堪えてきた憎しみや鬱憤が溢れ出した。
確かに息子と娘のしたことは許されることじゃない。罰せられるのも当然だ。
しかし子供達がこうなった元凶にはなにもお咎めがないなんて許せないと。
たとえ法で裁かれなくても、自分があいつの社会的信用を失墜させてやる。自分達が地獄に堕ちるなら、元夫も絶対に道連れにしてやると彼女は心に固く誓ったのだ。
その強い復讐心のために彼女は自白剤を飲んだのだ。そしてもがき苦しみながら、今まで何度訴えても誰にも信じてもらえなかったことを全て吐き出した。
夫に不義を疑われて捨てられた女性の、その悲しみや苦しみを。それを聞いた者達は彼女に酷く同情したのだった。
その結果、女性の元夫である子爵には、勘当した息子の起こした犯罪の被害者側から、その賠償金を請求されることになった。
いくら勘当したとはいえ、そんな息子に育てたのはそもそも父親の責任であると。
そして正当な結婚によって生まれた実の娘を捨てたとして、育児放棄罪にも問われ、罰金と未払いだった養育費の支払いを命じられた。
そう。リンダとその兄は二人ともれっきとした子爵の実子であったのだ。
それなのに有りもしない妻の不義をでっち上げて、慰謝料も支払わず離縁したとして、当然元妻への莫大な慰謝料も命じられた。
当然現在の妻も慰謝料の支払い義務が発生した。
このことで子爵家は社会的信用も資産もなくし、おそらくまもなく崩壊することだろう。
愛人と結婚したいがために、不義をしたなどという事実無根の言いがかりをつけて、正妻を追い出したことが明白になったのだ。その後娶った後妻とともに、彼が貴族社会から制裁を受けるであろうことは、火を見るよりも明らかだったからだ。
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