第七章 枯れ木令嬢と薔薇のドレス
ジュリアは最後のジュースを飲みながら、中庭の方に目をやってこう言った。
「とても素敵なお店ですね。
お食事は新鮮で美味しいし、中庭にはロマンチックでかわいらしいお花が植えられてあるし。まるで絵本の中の世界のようです」
「気に入って貰えましたか?」
「はい、とても。また来たいです」
ジュリアが正直にそう答えると、ロマンドはとても嬉しそうに目を細めた。
「気に入って貰えて良かった。貴女が来たい時にいつでもいらして下さい。いずれこの店は貴女のものになるのですから」
「はい?」
ロマンドの言っている意味がわからず、ジュリアが小首を傾げた。
「このお店の名前を知っていますか?」
「いいえ。ごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ。
この店の名前は『ジュリア・ガーデン』、つまり貴女をイメージして我がプラント男爵家が作った貴女のお店です」
「!!!!!」
『ええと、まさか私とのことが決まってから造ったという訳でもないわよね?
まだ新しいお店のようだけれど、建てられてから数年は経っていそうだし。店を改装したとか、名前を変えたということなのかしら…
私をイメージしたと言うけれど、こんなにお洒落でかわいいお店が私のイメージって……どちらかというと枯れ木令嬢の私とは真逆なんだけど』
ジュリアの頭が混乱してまだ考えがまとまらないうちに、ロマンドが言葉を続けた。
「本当は貴女には、ここでもっとゆっくりとして頂きたいところなんです。ですが、今日は他に行きたい所があるので、そろそろよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
ジュリアは慌てて立ち上がった。
しかし、カフェを出たロマンドがジュリアと共に向かったのは、右隣りの洋装店だった。
「いらっしゃいませ、プラント男爵様。お嬢様。お待ちしていました」
四十代くらいの上品で美しい女性が挨拶をしてきた。
「マダム、彼女が私の婚約者のジュリア=ウッドクライス伯爵令嬢です。
ジュリア嬢、こちらはこの店の女主のフローラ=カーラーさんだ。お隣同士のよしみで懇意にしてもらっています」
「まあ、こちらこそ男爵様には色々とお世話になっております。
お嬢様、これから公私共々良きお付き合いをよろしくお願い致します」
「よ、よろしくお願いします。どうぞジュリアとお呼び下さい、マダム」
「フローラとお呼び下さい、ジュリア様」
「わかりました、フローラ様」
「様ではなく、ただのフローラでお願いします。私は平民ですので」
「目上の方を呼び捨てにはできません。ではフローラさんでよろしいでしょうか」
ジュリアが困ってそう言うと、マダムはとても優しそうな目をして言った。
「はい。それでは仮でさん付けでお願い致します。でもいつかそれを取って頂けるように頑張りますわ」
「?」
「お願いしていた服を見せてもらってもいいですか?」
ロマンドがマダムにこう言うと、彼女は頷いて、直ぐ側の洋服がけにかけていた数着の中から、淡いピンク色のミモレ丈のワンピースを手にして二人に見せた。
七分袖で、ウエスト下がふわっとした可愛らしいデザインだ。
しかも襟ぐりに刺された濃いピンクの薔薇の刺繍が、まるで本物の花のように見事で、とても美しかった。
「これなど如何でしょうか」
「とてもかわいいデザインですね。色合いも明るいし。
ジュリア嬢はどう思いますか? 本当は時間をかけて貴女の気に入った服を選んで欲しいのですが、今日の目的である植物園を回る時間が減ってしまっては本末転倒でしょう?
ですから、予めマダムに貴女のことを話して選んでもらったのですが。
もちろん気に入らなければ別の服でも構いませんよ。あと数点選んでもらっているようですから」
「あの…私のドレスですか?」
「もちろん貴女のドレスですよ」
「あの、今着ているドレスではいけないのですか? この服では男爵様に恥ずかしい思いをさせてしまいますか?」
ジュリアは真っ青になった。
さっきカフェの中でロバートはルフィエに対して、
『君はもっと周りの状況に注意を払う必要があると思うよ。今流行っているものだとか、若者やご令嬢様が何を好きなのか…』
そう言っていたが、それは遠回しに自分が言われていたのだとジュリアは思った。
顔色を悪くしたジュリアに、マダムがさり気なくこう説明した。
「ジュリア様が今お召になっているドレスもとても素敵ですわ。隣国の特産の高級なシルク製のドレスですもの。
ただ、そのドレスは室内用のドレスで、行楽向きではないのです。
王立植物園はとても広いので、歩きやすいドレスの方がいいと男爵様はお考えになったのだと思いますわ」
彼女はさすが接客のプロである。
ロマンドはジュリアが社交用のドレスしか持っていないことは既に調査済みだった。
しかも三着を着回ししていることも。
そして街へ外出する時にはお仕着せだと知っていた。だから普段用の外出着をプレゼントしようと思ったのだ。
しかしロマンドは、何故服をプレゼントするのかという理由付けを考えていなかった。
マダムのフォローに内心ホッとしながら、彼は動揺を押し隠して言った。
「すみません、ジュリア嬢。私の言葉足らずで。
前もって貴女と服装の相談をしていなかったことに夕べ気が付きましてね、マダムに急遽無理なお願いをしてしまったのです」
「まあ、そうだったのですか。ありがとうございます。気を遣って頂いて。
私、貴族社会の作法や服装規定がまだよく分かっていなくて。
ごめんなさい、男爵様……」
「気にしなくても良いのですよ。貴女はまだ社交デビュー前なのですから。
これから私が助言して差し上げますから心配しないで下さい」
「はい。よろしくお願いします。
でもこのドレスはとても素敵ですけれど、父が戻らないと私一人では勝手に決められませんわ」
義母に頼んでもお金を払ってもらえるとは思えなかったので、どうにかこのドレスを買わずに済む方法はないかとジュリアは模索し始めた。
気分が悪くなったと言って帰ろうかしらと思った瞬間、ロマンドが悲しげな顔をした。
「すみません。お気に召しませんでしたか?
では、別のを見せて頂けますか? マダム……」
「ま、待って下さい。そのピンクのドレスはとても素敵です。デザインも薔薇の刺繍がとても素晴らしくて。ただ、お支払いが……」
「このドレスは私から貴女へのプレゼントですよ。婚約が成立した記念の。
本当は仕立てかったのですが、それはまた後日ということで」
「婚約が成立したのですか?」
「はい。昨日貴女のお父上から書類が届きましたので、役所にすぐに提出しました。
ですから私達はもう正式な婚約者同士です。誰にも邪魔はさせませんよ」
ロマンドが本当に嬉しそうにそう言ったので、ジュリアも嬉しくなった。
嘘偽りではなく心から自分を望んでくれているのだと、彼の顔を見たジュリアはようやくそれを信じられた。
「ですから是非受け取って下さいね」
「はい。ありがとうございます」
ジュリアはようやく頷いたのだった。
そしてマダム・フローラお勧めのピンクのミモレ丈ワンピースに着替えたジュリアは、それこそ刺繍の咲きかけのピンクの薔薇の蕾のように、可憐で愛らしかった。
それに加えてモジモジと恥じらうその仕草に、ロマンドは我を忘れて彼女を抱きしめてしまったのだった。
この国では、婚約は婚姻と同様に、立派な契約事なので、正式な書類を作って役所に届けます!
きちんとした手順を踏まないと、簡単に破棄は出来ないシステムだという設定です……
読んで下さってありがとうございました!