第六十四章 枯れ木令嬢とお客様
「奥様、お客様がお見えになっております」
ロマンドの執務室でハイドからプラント男爵家の昨年度の収支報告書の説明を受けている時に、シャリーがこう告げた。
「ジュリア様にお客様だと?」
ハイドが眉間にしわを寄せた。ジュリアがここにいると知る者などほとんどいないからだ。しかし、その訪問者が特殊部隊の隊員とその婚約者だと聞いて肩の力を抜いた。
ジュリアがハイドと共に応接室へ向かうと、そこには一昨日の王城の夜会で紹介された特殊部隊のフェルメール=ラースン男爵令息と、見知らぬ若いご令嬢がいた。
『あの方は確かロマンド様と同じ年の十九様。ご実家は主に酪農をしていると仰っていたわよね。
なんでもラースン男爵家の馬の飼育や調教の技術はこの国最高だと言われていて、確か王城の騎士団の御用達をなさっているはずだわ』
ジュリアは人の顔と名前を覚えるのが得意だった。
そしてそんな彼がお連れになったご令嬢は、婚約者で子爵令嬢のラーメ嬢だった。
ジュリアの方が特殊部隊の奥様達と話をしたいと言ったので、気を使ってくれたのだろうとジュリアは思った。
しかしそうではなかった。むしろ奥様達との会合の時には助けて欲しいというお願いをされてしまった。ジュリアはラーメ嬢よりも四歳も年下で、社交界には一昨日やっとデビューしたばかりだというのに。
『何故私に?』
おそらく顔には出てはいなかっただろうが、ジュリアの気持ちを読んだらしいフェルメールは、申し訳なさそうに婚約者について語り始めた。
ラーメ嬢はなんと、東の国境近くの広い草原地帯を治めるモンガント州のとある部族のご令嬢なのだという。
今では定住している人々がほとんどらしいが、建国前は長く遊牧生活をしていた民族だという。そしてこの国と隣の東の国を自由に移動していたらしい。
百五十年程前に、彼らは取り敢えずこのグリーンウッド王国に属するようになったが、今現在もモンガント州を名乗り、ある種自治区のような立場を貫いている。
グリーンウッド王国が何故それを容認しているのかというと、彼らが東の国との交流を続けてくれているおかげで、東の国とは円満に付き合っていられるからだ。
未だかつて東の国との間には争い事が一切ないのだ。言い換えればモンガント州を蔑ろにすれば、すぐさま東の国との緊張は高まるということだ。
ジュリアの目の前に座っているラーメ嬢は、なんとこの国では珍しい生物の精霊を操る『黄色の精霊の使い』なのだという。その上彼女は王都の学院を卒業した後、獣医になるために専門学校に通っているらしい。
こんな素晴らしい女性に、私がお手伝いすることなんて本当にあるのかしら……と心の中で再びそう思いながら、ジュリアはこう質問してみた。
「それでは、お母様が東の国の出でいらっしゃるのですね?」
「母というより祖母が東の国の出身なのです。何故か四分の一しか流れていないのに、私には東の国の血が強く出たようなんです。
元々東の国との交流が深いので先祖帰りをしたのだと思うのですが、女で『黄色の精霊の使い』は聞いたことがないらしいです。
しかも私が幼い頃に祖母は亡くなってしまったので、フェルメール様以外、家族も誰一人私の力に気付きませんでしたわ」
「ラーメと私はロマンド男爵とジュリア様と同じく幼なじみだったのです。父親同士が親友だったので。
私がラーメの力に気付けたのは自分がやはり精霊使いだったからなのだと思います。
一昨日ジュリア様が『緑の精霊の使い』だと知って、ラーメのことをロマンド男爵にお話ししたのです。ジュリア様にラーメの友達になって、礼儀作法や社交術を指導して頂けないかと思って。
彼女は変わり者なので友人があまりいないのです」
「変わり者だなんて酷い言い方ね」
ラーメが少しつりがちな目をさらにつり上げて言うと、フェルメールは平然とこう返した。
「だって事実だろう。嘘を言ってもすぐにばれる。本当に親しくしてもらいたいのならば、素の自分を最初からさらした方が早いだろう?」
二人のやり取りを見てジュリアはクスクスと笑った。この数年見かけなかった嘘偽りのないやり取りが楽しかった。
「伯爵令嬢様に笑われてしまったじゃないの。どうしてくれるの? 貴族令嬢らしく振る舞えといつも言っているのはフェルのくせに」
「でも、私が何年も口うるさくしても、君は全く貴族令嬢になれていないじゃないか。いや、君の環境を考えるとあと何年経とうが、君が淑女にはなれるとは到底思えない。
このままじゃいつまで経っても私達は結婚できないぞ。今の君じゃ男爵夫人として社交界に出るわけにはいかないだろう?
確かに酪農家の我が家にとって、獣医でしかも『黄色の精霊の使い』である女性を妻に迎えられるなんて、こんなに有り難いことはない。夢のような話だよ。
しかし、貴族の女主はそれだけではすまないんだ。
そうでしょう? ジュリア様」
えーっ!
私に振らないで。私はエセ伯爵令嬢なのに〜。と、ジュリアは心の中で叫んだが、それは表情には現さずに済んだ。
「あの、一つ質問してもよろしいでしょうか?
淑女にはなりにくいラーメ様の環境とは、どういうことなのでしょう?」
ジュリアがこう尋ねると、フェルメールがそれに答えた。
ラーメは一応子爵令嬢の肩書があるのだが、モンガント州はある意味独立国のようなものなので、グリーンウッド王国とは文化や習慣が異なっているのだそうだ。
元々遊牧民で部族ごとに移動していたので、その部族の長が貴族の名を名乗ったが、その内情は本国の貴族とは大きくかけ離れているらしいのだ。
その上今現在通っている獣医学校は三分の一が貴族らしいのだが、ほとんどが男子生徒。そして僅かにいる女生徒はラーメ以外は全員平民なのだという。
「でも、ラーメ様は王立学院も卒業なさっているのでしょう?」
「ええ。そうなんですけど……」
ラーメは下を向いてモゴモゴと口籠った。
「私が一緒に入学できていたら事態も少し違っていたのでしょうが、一年遅れで私が入学した時には、時既に遅しでした。
彼女は学院内で完全に孤立していたのです。その上『野生の牝馬』だなんて二つ名までついていて。
なんでも乗馬大会に飛び入り参加してぶっちぎりの優勝をしたらしくて」
フェルメールは遠い目をしながらそう語った。
そんな一人ぼっちだったラーメは、フェルメールが入学しても当初は彼に近寄らなかったという。変人、変わり者だと評判になってしまった自分が婚約者だとわかってしまったら、彼に迷惑をかけてしまうと思ったからだという。
そんなラーメにフェルメールは酷く腹を立てたらしい。何故婚約者であるお前を俺が迷惑に思うんだ? お前は俺がそんな情けない男だと思っているのかと。
「私も甘かったのです。一人ぼっちのラーメを可哀想に思って、授業以外は彼女と一緒に過ごしていたんです。だから結局彼女には女友達ができず、淑女としての振る舞いも社交術も身に付かなかったのです」
「フェルメール様は正しい行為をなさったと思いますわ。風評被害というのはそうすぐに消えるものではありませんもの。
もしラーメ様をお一人にしていたら、どんな嫌がらせをされたかわからなかったでしょう。
それにしてもラーメ様は本当にフェルメール様に愛されていらっしゃるのね。素敵ですわ」
「そ、そんな……」
ジュリアの言葉にラーメは真っ赤になった。しかしそれでもコクコクと頷いた。
年上の女性なのに思わずかわいいとジュリアは思ってしまった。そして見かけはちょっと怖そうだけれど、こんなに素直で純情では貴族社会で過ごすのは大変そうだと思った。
ジュリア自身は意地悪な貴族の見本のような義伯母や従姉妹、使用人達に散々虐げられてきたので、社交界で虐められたとしても自分は平気の平左のような気がするが、と彼女は思った。
一昨日の夜会を怖いと思ったのも、母の思いのこもったドレスを汚されるのではないか、と不安だったからに過ぎない。
「フェルメール様。私は幼い頃から病弱で、三年前までずっと王都を離れ、田舎で静養しておりました。
そのため、友人もほとんどおりませんし、社交をしたこともありません。ですから申し訳ないのですが、そちらの方面ではお役には立てません。
ただ、ラーメ様とお友達になって頂けるのならとても嬉しく存じます。
それにもし宜しければ礼儀作法とダンスでしたら、ご協力させて頂きますけれど……」
ジュリアがこう言うと、フェルメールは目を輝かせた。そして、
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします。一昨日の夜会での貴女のダンスは、仕事を忘れて見惚れるほど素晴らしかったです。
ジュリア様にご指導を受けられるなんて光栄です」
と、彼は深々と頭を下げた。すると横に座っていたラーメも慌てて頭を下げたのだった。
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