第六十三章 枯れ木令嬢と女性秘書
「プラント男爵家の者は皆ジュリア様に感謝しておりますが、その中でも私が一番貴女様が見つかったこと天に感謝しているのですよ。旦那様よりもね。
こんなことを言ったら旦那様にどこか遠くへ吹き飛ばされそうですが」
ハイドが目を細め、本当に嬉しそうにこう言った。
最初に会った時からハイドは自分に好意的だったが、それは自分がプラント男爵家の農園を最初に浄化したからだと解釈していた。
それでなかったら、主であるロマンドが探し続けていた相手がようやく見つかった安堵なのかと。
もちろんそれもあったのだろうが、一番は、私が間接的に先々代の夫人の薔薇を守ったことに対する感謝の気持ちだったのかも知れない。
案の定ハイドはこう言った。
「私の執事人生は無意味だった……そんな絶望の中にいた私に、ジュリア様が希望の光を差し込んで下さったのです。
貴女様のおかけで奥様の意志や願いを守り抜くことができました。そして私のこれまでの人生が有意義なものだったと、そう思えるようにして下さったのです。
私が後どれくらい執事として務められるかはわかりませんが、最後にお仕えできるのがジュリア様であることを光栄に思っております。
いずれ私の跡は孫が継いでくれると思います。ただし、執事はロバートになるでしょうから、孫はジュリア様の専属秘書になると思うのですが」
「お孫さんですか?」
「ええ。今はこちらで侍女をさせて頂いておりますが、私が少しずつ秘書としての心構えを指導しております」
「侍女?」
「女性の秘書はお嫌ですか?」
「いいえ。そんなことはありません。ハイドさんの信頼されている方でしたら安心です。でも、お孫さんがこちらで働いているのは知りませんでした。どなたなのでしょう?
もしかしてシャリーさん?」
ジュリアは自分付きになったという侍女を思い出してそう尋ねた。
侍女というよりまるでどこかの貴族令嬢のように、上品で流麗な雰囲気を醸し出していた美しい女性。彼女がハイドの孫娘だとしたら納得できる。
そして、それは当たっていた。
「シャリーは男爵家の隣りの領地に住む男の元に嫁いだ、私の一番上の娘の子でしてね。初孫なんです。
ジュリア様に憧れていましてね、前々からジュリア様がプラント家の奥様になられたらお仕えしたいと申していたんですよ。
本当のことを申しますと、息子達の孫もプラント家で働きたいと言っているのですが、執事として働きたいのなら、ロバートがいるので無理だと言ってやりました」
「前々からって……
私とロマンド様が婚約できたのは偶然だったんですよ?」
ジュリアは驚いた。あの賢そうなシャリーが、どこの誰かもわからない少女に仕えたいと本気で思っていたとは、正直考えられなかった。
ところがハイドはニコニコしながらこう言ったのだった。
「旦那様をよく知っている者ならば、皆ジュリア様がプラント家の奥様になられると思っておりましたよ」
「えっ?」
「屋敷で働く者達は私やロバート以外、旦那様が『緑の手』の持ち手であることは知っていても、『緑の精霊使い』であることは知りません。
ましてやジュリア様の本来のお力のことも。
それでも以前から旦那様のジュリア様への執念、いえいえ愛情は物凄いものがありましたので、屋敷の者達は皆、旦那様が絶対に奇跡を起こすと信じていましたよ。
何せ旦那様はとにかく規格外な物凄い方で、不可能だと思われていたことを次々と可能にしてこられましたからね。
そしてそんな素晴らしい旦那様がこれほどまでに望まれている方なのだから、さぞかし素敵な女性に違いない。
皆そう思っていたんですよ」
慌てて言い直してはいたが、執念という言葉を聞いてジュリアは何とも言えない気持ちになった。
そこまで自分がロマンドに思われていたことは純粋に嬉しい。しかし果たして自分にそれほど価値があるのだろうか?と。
何分自己評価の低いジュリアは少し怖くなった。しかし、ロマンドのことが好きならば逃げてはいけない。もし今相応しくないのならば、これから相応しい人になればいいのだから。
それにしても普段のロマンドの態度からは、そんな熱すぎる情熱は一切感じなかったので、ジュリアは意外に感じた。
彼は彼女の前ではいつも本当に穏やかで優しくて温かくて気品に満ち溢れていたから。そう、真っ赤な薔薇のように……
「旦那様はお祖母様に当たられる、かつての私の女主人がお育てになった薔薇のような方なのですよ。
気高く美しく、そして大切なものを守るために全身に鋭いトゲを持っていらっしゃるんですよ。
敵以外にそれをお見せになることはありませんがね。おそらく旦那様はそれをジュリア様にお見せするつもりは一生ないのでしょうが、一応お伝えしておきます」
ハイドの偽笑顔にはもう騙されない。つまり自分が油断してうっかり誰かに何かをされたら、ロマンドは全身に身に纏った鋭いトゲで、相手を攻撃するということですよね?
王宮を簡単に吹き飛ばせるくらいのパワーで。
その力を直接人に向けたら……と少し想像したらブルッと震えた。私がしっかりしないといけないんだわ、とジュリアは悟った。
しかしこんなにも使用人に信用され敬意を持たれているロマンドを、ジュリアも誇らしく思った。
「ジュリア様。これから当分の間、旦那様はあちらの方のお仕事でお忙しくなると思います。お顔を合わせたり、お話をする時間も取れなくなるかも知れません。
それにおそらく伯爵家の情報もすぐには入ってはこないでしょう。ご心配でしょうが、どうか、不安に思わず、旦那様を信じてお待ちになって下さいね」
ハイドの言葉にジュリアは頷いた。
正直ウッドクライス家のことは今更だと彼女は思っていた。それに自分はもうあの家を出て嫁ぐ身でもあるし。
ただ弟のケントのためにもあの家族や今の使用人達がいなくなってくれればいいとは思うのだが、実際にそうなればあの屋敷には誰もいなくなってしまう。
結局ケントは自分の家には帰れなくなるわね。ため息をつきたくなるのをジュリアはグッと堪えた。
そしてあの屋敷に一人残される父のためにも、ルードルフ侯爵夫人であるリアナママにお願いして、必要最低限の使用人を早急に紹介してもらわないといけないとそう思った。
それにしても義伯母達は、昨日のうちに王城のパーティー会場からどこかに連れて行かれた。おそらく残りの使用人達も今頃は騎士達に連行されているのだろう。
今頃あの屋敷は無人、いや、多くの人々に現場検証されているはずだ。
今後一体どうなるのかわからないが、公の場で正しく裁かれるだろう。
その罪状は単なる当主の娘に対する虐待やお家乗っ取りだけじゃない。
従兄弟達はともかく、義伯母や執事バージル=ハントはおそらく西の国の人間と関わっている。『黒の精霊使い』と。つまり国家内乱罪、反逆罪だ。
多分それで父親であるウッドクライス伯爵だけでなく、『緑の精霊使い』であるロマンドも忙しくなるのだろう。
もっと早く自分も『緑の精霊使い』としての意識をきちんと持って、自分の能力を把握し、それを磨く努力をしていたら…
今更後悔しても遅いのだが、なんの役にも立たない自分自身が腹立たしかった。
しかし、今自分にできることは周りに迷惑をかけずに、女主としての勉強をするだけなのだ。
その自覚を促すために、執事であるハイドは隠しておきたいはずのプラント家の歴史を詳らかにしてくれたのだろうと、そうジュリアは悟ったのだった。
ところが、その翌日、思いがけない客人の訪問によって、ジュリアの決意は早々に中断されることとなったのだった。
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