第六十一章 枯れ木令嬢と悪どい執事(自称)
「ハイドさんの息子さん家族は王都に住んでいらっしゃるんですよね?」
「はい。ですから私はちょくちょく会っています。妻に申し訳ないのですが」
ハイドさんの奥さんは元子爵令嬢なので、王都で顔見知りと出会うと色々問題があるらしい。
二人が学園時代から付き合っていたと思われると、元の婚約者や没落した元兄からの恨みを買う恐れがあるかもしれないというので。
「妻の元婚約者は、あの一件で性格の悪さが世間に露呈して、次の婚約者がなかなか見つからずに苦労したみたいなので、今でも妻を恨んでいるそうですよ。
どこかのパーティーで酒を飲んで愚痴っていたのを息子が実際に聞いたそうですからね」
それを聞いたジュリアは喫驚した。
『元婚約者に愛想をつかされたのは自業自得じゃないの。自分だって堂々と浮気をしていたというのだから。それにモラハラ、パワハラ……
婚約者が自分以外に思いを寄せてても文句は言えなかったはずだ。それに自分から彼女の有責で婚約破棄をしたのでしょう?
それを何十年経っても人様に愚痴るだなんて、なんて情けなくて執念深い人なんでしょう』と。
それにその奥さんの兄も大概だとジュリアは思った。確かに父親が慰謝料で大変になったのはわかるが、本人に実力さえあれば、官吏の職を解かれるなんてことにはならなかっただろうし、離縁されることもなかった筈だ。
その証拠に彼の妹達は誰一人として婚家から離縁などされなかったというのだから。それだけ彼女達は価値のある女性だったのだろう。
まあ、それはともかく、何故ハイドさんが息子達から恨まれているかというと、ハイドが活き活きと楽しそうに仕事をしているからだという。しかも好き勝手に。
それを聞いてジュリアは唖然とした。ハイドがどれほど苦労したのか、ロマンドやロバートからよく聞いていたからだ。
そりゃあそうだろう。先々代と先代の元当主達は何の役にも立たないどころか面倒事ばかり起こしていたという。
それ故、ハイドさんは元当主夫人達の補佐というよりも、実質彼が当主の役割をはたしていたことは想像に難くない。ロマンドが当主となるまでずっと。
今居るこの王都の邸もハイドが交渉して購入したものだと聞いていた。元々それほど裕福ではなかったプラント家はタウンハウスなど所有していなかったからだ。
ロマンド達が勉学のために王都へ向かった時、付き添いでついて行ったハイドさんが、たまたまた目にしたこの物件を即買いしたのだそうだ。
しかもまだ大量の借金が残っていたにもかかわらずだ。
ただし屋敷の修復や庭の整備をしたのは、王室御用達になった後だったそうだ。それは王都での生花の需要が増えたために、王都に商売の拠点が必要となったからだという。
この屋敷の場所は中心地から少しだけ離れているとはいえ、よくもまあ王都にこれだけの土地建物を手に入れられたものだと、世間知らずのジュリアでさえ感心した。
「まだ借金が有るにも関わらずこちらを購入したと聞いています。ご英断でしたよね。
今は土地の値段がかなり上がっていて、なかなか王都には屋敷を持てないと聞いています」
「お褒め頂いてありがとうございます。私も自己自賛になって恐縮ですが、自分がこんなに悪どい商売ができる人間だとは思ってもみませんでしたよ」
「悪どい?」
聖人君子のような穏やかで上品な微笑みを浮かべながらハイドがこう言ったので、ジュリアは意味が分からず首を捻った。
「ここは買い手がいない不良物件だったので、実はただ同然だったのですよ。ですから売って欲しいと言ったら、その場で契約書にサインしてくれたんです。
でもそれでは贈与の形になってしまうため、それは避けたかったので、その年の税金分の金額をこちらがお支払いしましたら、とても感謝されました」
それを聞いたジュリアは少しだけブルッとしてこう呟いた。
「もしかして、ここは汚染された土地だったのですか?」
「その通りです」
「でも、偽肥料で汚染された土地は『緑の手』の持ち主や『緑の精霊使い』なら浄化できますよね?」
「はい。ですがそのことは、この土地を購入した時点では、まだ世間には周知されていなかったのですよ」
涼しげな顔でそう語るハイドに、ジュリアは少し怖くなった。確かに浄化するには費用がかかるが、浄化すれば正規の値段で売買できて、多少なりと利益が出るはずだ。
「土地の持ち主がまともな相手なら、騙し取るようなそんな真似はせず、その事実を教えて差し上げ、こちらも買い取りを諦めていましたよ。
しかし、元の持ち主がかなり問題のある人だったんですよ。
つまり法に触れなければ、ばれなければ何をしても構わない、という輩でしたので、遠慮はしませんでした。
その男に死んでもらいたいと願う者も多かったので、奴を復活させる手伝いなどしたら、こちらの身が危なかったんですよ」
ジュリアは目を丸くした。
「この土地の持ち主のことを最初から知っていたのですか?」
「ええ。学園の同級生でしたので。でもまあ、全く接触したことはなかったので、向こうは私のことは知らなかったでしょう。ですがあちらはとにかく有名でしたから私はよく知っていましたよ。
侯爵家という後ろ盾の元で好き放題していましたからね。気に入らないものを陥れて退学させたり、服從を強要したり、ご令嬢を弄んだり」
「酷い……」
「そして卒業して侯爵を継いでからも全く態度を改めなかったので、さすがに家は徐々に傾いていったようです。
ところが、それでも反省するどころかますます影で悪さをして、領民や使用人までも苦しめていたんです。
そのせいで子を亡くした領民が、この場所にあの偽肥料をばら撒いたんですよ。復讐のためにね。
実はここはかつて王都一と呼ばれる薔薇庭園だったんですよ。もちろんそれはウッドクライス伯爵邸を除いての話ですが……
そして侯爵家は花を鑑賞するという名目で、人を集めて違法行為をしていたんです。
つまり、貴族の裏の社交場だったんです。賭博だとか、違法取引の交渉だとか、逢引きだとか」
「普通に薔薇を鑑賞に来た方もいたのでしょう? よくばれませんでしたね」
「違法行為は地下室で行われていたようです。だから気付かれなかったのでしょう」
あの地下室は元々はそんなことをするために作られたのかと、現在は室として野菜や球根を保存している場所を思い浮かべ、そのイメージのギャップにジュリアはジト目になった。
「でも、薔薇園の薔薇が全部枯れてしまったので、そこが社交場としては使えなくなったということなんですね?」
「そうです。そのために収入源がなくなり、ここの維持管理費や税金も負担になって、侯爵は早く手放したかったのです」
「でも、いくらただ同然で手に入れたとしても、その当時はまだ借金を返す目処はついていなかったのですよね? その後の税金はどうするつもりだったのですか?」
ジュリアの質問にハイドは再びニッコリ微笑んだが、もうこの笑顔には騙されないわと彼女は身構えた。そしてその予想は当たった。
「あの詐欺事件の被害対策として、汚染された土地には税金をかけないという法が制定されると、王城勤めの友人から教えてもらっていましたから、そこは問題ありませんでした。
ロマンド様がいらっしゃればすぐに浄化して頂けるのですから、本当に必要になるまでこの土地は放置したので、その間は無税でした。
でもまさか、こんなにも早く浄化することになるとは思いませんでしたが。それは嬉しい誤算です。本当にロマンド様は素晴らしい方です」
最後の言葉を言った時のハイドの嬉しそうな顔は、作り物ではなかった。
「ハイドさんは、自分のそれまでの人生を否定したくなくて執事を辞めなかったと言ったけれど、それは嘘ですよね。
まだ子供だったロマンド様やロバートさんにだけに重い責任を押し付けたくなかったからですよね?
そしてそれと同時にお二人の才能に希望を抱かれたのではないですか? あのお二人ならプラント男爵家を復興してくれるのではないかと。
息子さん達がお父様を羨んでいるのは、ハイドさんが希望に燃えて、日々お仕事に励んでいらっしゃることがわかっているからなのでしょうね」
「ええ、おそらく」
ジュリアの言葉に驚きながらも、ハイドは素直に頷いたのだった。
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