第五十九章 枯れ木令嬢と執事
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いつもは早起きのジュリアもさすがに昨夜の夜会で疲れきっていて、目が覚めたのは昼近くになっていた。
これまで日が昇る前には起床していた彼女は、燦々と陽光が射し込む部屋で軽いパニックを起こした。
「どうしましょう。ロマンド様はもうお出掛けになられてしまいましたよね?
なんてことでしょう、お見送りすることもしないで寝ていたなんて」
「大分お疲れのようでしたので、お起こししませんでした。ロマンド様もそのまま寝かせて置いて欲しいと仰っておりましたし」
シャリーという名の侍女がそう言うと、隣のベッドの上のヴィオラもそうだというように頷いていた。
そのヴィオラの顔を見て、ジュリアはハッとした。
「あっ、ヴィオラ、具合はどう? ああ、まだ全然腫れが引いていないわね。痛いでしょう、可哀想に。朝食はちゃんと取れたの?」
ヴィオラがこんな辛い思いをしているというのに、いくらデビュタントだったからだといって、浮かれていた自分にジュリアは罪悪感を抱いた。
「さすがにまだ痛いですが、お腹が空き過ぎたので、お粥を頂きました。美味しかったです」
ヴィオラはまだ痛々しそうな顔だったが、嬉しそうな顔をしていた。
「そう。それは良かったわ。シャリーさん、ありがとう」
「とんでもありません。ヴィオラさんは、これから私のバディになるのですもの、当然ですわ。
退屈なら本をお持ちしようとしたら、ヴィオラさんったら、本を読むより仕事を覚えたいって。本当に仕事熱心で感心しまたわ」
「バディ?」
「シャリーさんはジュリア様付きの侍女になるそうです。ですから、私はシャリーさんと二人でジュリア様にお仕えできるのです。
何もできないし何も知らない私に、シャリーさんが色々教えて下さるそうなので、私はもう嬉しくて。
以前からジュリア様の役に立てる立派なメイドになりたいと思っていたのです」
喜んでいるヴィオラには申し訳ないが、自分のことは自分でできるから自分付きの使用人はいらない、そう言おうとしたが、どうにかジュリアはその言葉を押さえ込むことができた。
昨日の夜会に出かける時、散々みんなの世話になったことを思い出したからだった。
これからは男爵夫人になるのだ。今までのようななんちゃって伯爵令嬢とは違って、社交をしたり夫の仕事の手伝いもしなければいけなくなる。
やはり専属に付いてくれる者は必要だろう。しかし二人はご遠慮したい。分不相応だわ。
ジュリアがこう思った時、彼女の気持ちを読んだのかどうかは定かではないが、シャリーがこう言った。
「もちろん私だけではなく皆で、ヴィオラさんにはメイドとしての仕事を教えて差し上げるつもりです。
でも、基本私が屋敷内で若奥様にお仕えして、ヴィオラさんには男爵家のお仕事方面で、旦那様や若奥様の手伝いをしてもらおうとのことです」
「「えっ!」」
予想外のことだったので、二人の声は重なった。
しかしジュリアはすぐに、一昨日ロマンドに聞いた話を思い出した。男爵家は市場に花屋を開く予定であり、その際にヴィオラに手伝ってもらいたいと。
「若奥様、執事のハイドさんからお食事が済み次第お話があるそうです。ヴィオラさんのことで」
若奥様という言葉にまだ慣れないジュリアは、頰を赤くしながらわかったと頷いたのだった。
ブランチとなった食事を終えた後、ジュリアはロマンドの執務室で執事のハイドから、今まで知らなかったヴィオラの事情を知らされた。
彼女の生家が花屋で、しかもその店が朝市の通りにあったとは。道理で朝市へ行くのは嫌ではない。むしろ嬉しいと言っていたわけだ。
それに、このプラント男爵家とも繋がりがあっただなんて、縁とはなんとも不思議なものである。
というよりその縁をこうやって切らずに大切に守ろうとしているロマンドやロバート、そしてこのプラント男爵家の人々に感動したジュリアだった。
「今は王家御用達となりましたので、お城や高位貴族、教会の方に花を直接納品させて頂いておりますが、本来我がプラント家の農園は貴賤の上下など関係無く、草花を愛でる方々に喜んで頂きたくて栽培してきたのです。
そして、ヴィオラさんのお父上のマックス=ロック氏の経営する生花店に、花を卸すことを目標にしていたんですよ。
そしてようやくその夢が叶った途端、心無い者達によって、その店は無くなってしまいました。
すぐご家族を探して店を存続させるためのお手伝いをしたいと思ったのですが、見つけることはできませんでした。
それなのにまさかこんな身近な所にいたとは驚きました。
しかもその忌々しい人物を破滅させたのが、意図せずこのプラント家だったことに、深い因縁を感じますね」
プラント男爵家の執事ハイド=クロスリードの言葉に、ジュリアは全くねと同意した。
それにしてもその新しい店の立上げからヴィオラに関わらせて、いずれは責任者にしてくれるつもりだなんて、さすがは私の旦那様になる方だわ、とジュリアは誇らしく思った。
「ヴィオラさんがお店関係の仕事の方で忙しくなって、ジュリア様にご不便をおかけすることになるかもしれません。その時は別の専属メイドを手配しますので、ご遠慮なく仰って下さい」
ハイドの言葉にジュリアは大慌てでこう言った。
「優秀な侍女のシャリーさんがいるんですもの、メイドは私専属でなくて構いません。
ご存知かと思いますが、私は伯爵家ではメイドのような扱いだったので、自分の最低限の身の周りのことなら自分でできるので、ご心配はいりませんわ。お気遣いありがとうございます、ハイドさん」
すると普段は微笑みを絶やさないハイドが一瞬悲しげな顔をした。しかしまた穏やかな笑みに戻るとこう言った。
「実はジュリア様にお願いがございます」
「えっ? ハイドさんが私に願い事? ええ、何でも言って下さい」
ジュリアは嬉しそうに目を輝かせた。いつもお世話になってばかりいるハイドやこの男爵家の人々に感謝しているジュリアは、そのお礼に何をすればいいのかわからずにいつも悩んでいたのだ。
「まずお聞きしたいのですが、ご結婚が少し先に伸びたと伺っておりますが、それは本当のことでございましょうか?」
「あの…、ごめんなさい。もちろん結婚をしたくないとか、嫌だというわけではないのです。
私はロマンド様をお慕いしております。
ただ、今まで父との触れ合いがあまりに無さ過ぎたので、せめて一年くらいは父と一緒に暮らせたらと思うのです。
プラント男爵家には散々お世話になっているというのに、本当に申し訳ないのですが…」
ジュリアは昨日は浮かれ気分でロマンドに告げてしまったことを心の底から反省した。突然結婚の延期を告げられたロマンドはどんな気持ちだったろう、今更ながら恐怖にかられた。
嫌われただろうか、呆れられただろうか、怒っているだろうか。結婚式が楽しみだと逢う度にそう囁かれていたのに。
真っ青になったジュリアを見て、ハイドは何故かホッとした顔をして、ジュリアに言った。
「すみません。貴女を責めているわけではないのですよ。ただ執事として確認しておきたかっただけです。
ジュリア様がお父上であるウッドクライス伯爵様と親子としてもっと一緒に居られたいと思われるのは、至極当然だと思います。
ただ、私ももう年ですので、可能であれば、できるだけ早くジュリア様にこのプラント家の女主としての教育をさせて頂きたいと思っていたのです。
全くもって私の個人的で勝手な思いです。申し訳ありません」
「年だなんて。ハイドさんはまだまだお若いでしょう」
「いえ。もう六十も半ばですから、既に引退していてもおかしくないのです。
本来ならばとうの昔に引退していたはずなのです。本来の跡取りがこの家を継いで下さってさえいれば。
ところが、その者は借金だらけの男爵家などいらないと、家族や使用人、そして領民を捨てて、他家の婿養子になってしまいました。恥知らずもいいところです。
しかもそのせいで、まだ年少の少年二人に大きな負担を背負わすことになってしまいました。
それで私も自分だけ逃げるわけにはいかなくなりました。それ故、この年になった今も執事を務めさせて頂くことになったのです。
まあ、今の旦那様の元で働くことは、思いがけずそれはもう楽しく刺激的だったので、みかけは若く見えるかもしれませんが、中身は結構がたついています。
ですからできるだけ早く奥様になられる方に、必要なことをお伝えしたいのです」
「もちろん私も色々とプラント家のことを学んで、少しでもお役に立ちたいと思っています。
でも結婚もしていないのに、家の内情を教えて頂いてもいいのですか?」
ロマンドやこの男爵家を裏切ることなんて、絶対にありえないが、ジュリアは確認せずにはいられなかった。
するとハイドはニッコリ笑いながらこう言ったのだった。
「既にプラント家の人間関係の闇の部分まで、旦那様とロバートからお聞きになっておられますよね? ですから今更でございましょう?」
と。
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