第五十七章 枯れ木令嬢と父とのダンス
更新遅くなりました。
ようやく夜会の話が終わります。最後にようやく父親の格好いいところが出てきます。
「ねぇ、お父様、今更ですが私のこのドレス姿はいかがですか?似合っていますか?
こんな素敵なドレスをありがとうございました。
お父様とお母様の愛のこもったドレスを身に着けられて、私は本当に果報者です」
ジュリアは立ち上がると、父親のハーディスの前で軽やかにクルリと回転してみせた。
「綺麗だよ。とてもよく似合っている。
凄いね、母親というのは。まだ幼い君から淑女となった娘の姿を想像できるなんてね。
これから華麗な大輪の花を咲かせる前の、清廉な白い薔薇の蕾のようだよ」
ハーディスは目を細めて改めて愛娘を見た。妻マーガレットがデザインしたドレスは、本当に娘によく似合っていた。
どんなにか娘の晴れ姿を見たかったことだろうと、亡き妻を思って再び目頭が熱くなった。
「お父様、私、このドレスをもっと皆さんに自慢したいのです。お父様とお母様に作って頂いたのだと。私は両親にこんなに愛されているのだと」
「ジュリア……」
「375個の真珠の一つ一つがお父様とお母様からの愛なんだって、みんなに自慢したいの。
だから、ホールで一緒に踊ってもらえませんか?」
ジュリアからの思いもかけない誘いに、ハーディスは驚嘆した後で嬉しそうに破顔したのだった。
✽
『夜会にはたくさんの人が参加していて、誰も自分のことなど気になんてしないわ。だから多少失敗しても、誰も気付くはずがない……』
城に着くまではそう思っていたジュリアだったが、それは相手によりけりなんだということに、ロマンドと踊った時に悟った。
そして今さらにその思いを強くしていた。
父親のハーディスにエスコートされてホールに戻ると、ロマンドといた時以上に彼女は周りから注目をされた。
王族や高位貴族達はハーディスの本当の身分を知っていたし、そうでなくてもハーディスは若い頃はその美貌で女性から大人気だったからだ。
しかも彼は爵位を継ぐと、あまりの忙しさのために滅多に社交場には現れなくなっていた。
そのために、偶然社交場でウッドクライス伯爵に遇えると幸運に恵まれる、というジンクスまで囁かれていたらしい。
王城に向かう馬車の中でロバートからその話を聞いた時、ジュリアはあ然としたものだった。
しかしそれは大袈裟な噂などではなく真実だということを理解した。老若男女、特に女性達は熱い眼差しで父親を見ていることがわかった。
久しぶりに夜会に現れたと思ったら珍しく若い娘をエスコートしている……
一体誰だ?
ホールの中は最初のうちはざわざわしていたが、誰かがこう言ったことで雰囲気が一転した。
「ねぇ、あのご令嬢、伯爵様に似ていらっしゃらないこと?」
「そういえば……もしかしてお嬢さん?」
「では、花男爵と婚約なさったというご令嬢?」
「言われてみれば確かにお二人はそっくりだな。お二人ともなんてお美しいのだろう」
「それに、ご令嬢の身に纏ったいるドレスはなんて素敵なんでしょう。
あんなに見事な刺繍がされたドレスを見たことがないわ。おそらくマダム=フローラの作ね。
羨ましいわ。私もあんなドレスを着てみたいわ」
「無理よ。だって、あの輝いてる真珠、物凄い数よ。とてもじゃないけれどあれだけ大きさの揃った真珠を取り寄せるなんて到底無理よ。
広く貿易のお仕事をなさっているウッドクライス伯爵様だからこそ、きっとおできになったのだと思うわ」
「それなら硝子でいいから、同じデザインのドレスが欲しいわ。最先端よね。本当に素敵だわ!」
こんな淑女達の話が耳に入ってきて、ジュリアは嬉しくて舞い上がり……いや、父親によって軽々とターンをさせられて、まるで蝶のように舞った。
ロマンドとのダンスももちろん楽しかったが、正直父親と踊る方が楽だった。とにかくリードの仕方が雲泥の差だったのだ。
「お父様、ダンスがお上手だったのですね」
「そうかい? ジュリアもとても上手だよ。マーガレットと遜色ないくらいに」
「それは本当ですか?」
「ああ。おべっかでもご機嫌取りでもなく、本当に上手だよ。だからとても楽しいよ。そして幸せだ」
ハーディスが溢れんばかりの幸せそうな笑顔を向けてこう言うと、ジュリアも嬉しそうに笑った。
「お父様、皆様が私のドレスを褒めて下さっていますわ。最先端のおしゃれなドレスだって。
ウフフッ……このドレスは十年前にお母様が考えられたドレスだというのにね。お母様は流行遅れになるかもと気になさっていたそうですが、無用な心配でしたね。
さすがですわ、お母様。それにお父様がこのドレスに関わっていたことをこちらが言わなくても、皆様勘付いていらっしゃるみたいですわ。それが嬉しいです」
『ああ、なんて愛らしくてかわいい娘なんだろう。愛おしくて堪らない。何故こんなにも大切な娘を今まで放置してしまったのだろう。
悔しくて虚しくて腹立たしい。もう間もなく娘は嫁いで本当に離れてしまう。
私のこれまでの人生は一体何だったのだろう。一番大切な妻子を守れず、共に暮らすことも叶わずに。
兄上、貴方も亡くなる時、さぞかし悔しかったことでしょうね。ようやく心から愛する人ができて、その人とその人の息子を守ろうと決心した矢先にあんな目にあわされるなんて。
しかもケントが唯一自分の息子だと気付かないまま殺されるなんて』
ハーディスはジュリアと踊りながら、無念な思いで死んだであろう兄のことを考えた。何故自分達はこんな目に遭わねばならなかったのかと。
「お父様、私これからもお父様ともっとこうして一緒にダンスを踊りたいわ。今夜限りなんて絶対に嫌だわ」
「ああ、私もそうだ。何故こんなに早く娘を手放すことを決めてしまったのか、後悔しているよ」
「あら、お父様。婚約したからって皆様すぐに結婚なさるわけではないでしょう?
ロマンド様のことは大好きだけれど、お父様とちゃんと親子として過ごしてから嫁ぎたいと思っているんですよ、私は。それは駄目ですか?」
ハーディスは瞠目した。そんなことが可能なのか?
確かにまだ結婚の日取りは決めてはいなかったが、このデビュタントの式を終えたら、後はウエディングドレスができ次第結婚だと何となく思い込んでいたのだが。
「駄目な訳が無い。ジュリアと一緒に過ごせたらどんなに嬉しいか」
「良かった!
でもお父様、これから一緒に暮らすなら、最低でも週に二回は一緒に食事が取れないと嫌ですわ。そうでないと、今までとそう変わらないということですもの」
毎日一緒に食事をするのが普通だろうに、娘の控えめな要求に胸が一杯になってこう言った。
「間もなく色々な厄介事の始末が終わる。そうしたら、今の職場の環境を改善するつもりだ。
もう、自分を含めて部下達の生活を国のためだからといって犠牲にするつもりはない。
だから、あと少しロマンド卿の元で待っていて欲しい」
「はい、わかりました。
それとお父様。仕事が一段落したら屋敷でパーティーを開きませんか? 部下の皆さんと奥様方をご招待して、慰労と感謝と奥様達との交流のために。
ウッドクライフ家では今まで部下の皆様を招いたことはないのでしょう?
私、これからはパーティーの主催の仕方を勉強しようと思っているのよ。 貴族の妻になるためには必要でしょう?」
「ああ、そうだね。今まで社交の場にも連れて行ってやれずに悪かったね」
「それはもういいんです。お父様が私を守るために表に出さなかったのはわかっているのですから。
それより、そのパーティには奥様方もご招待するというのが重要なポイントなんですよ。
だって今は皆様、奥様にもご自分達のことをお話していないのでしょう? お父様のように。
でもそれはやはりおかしいと思うのです。詳しい仕事内容まで教える必要はないでしょうけれど、夫が国を守る特殊任務についているということを知るだけで、奥様方の気持ちの持ちようが変わると思うのです。
夫に疑問や疑惑、そして不満を抱くことは辛いことですから」
全くその通りだ。情報漏洩を危惧するなら、結婚の際に神殿で誓約魔法をかければ、たとえ離縁したり夫婦喧嘩したり、酔っ払って前後不覚になったとしても安心だ。
これまでは、誓約魔法をかけることはまるで妻のことを信用していないと思われそうで、審議さえしなかった。
しかし夫のことを知りたいのか知りたくないのか、知る覚悟があるのかないのか、妻にだって決断する権利かあるのではないだろうか。そうジュリアは思ったのだ。
「それはよい考えだね。私も今回のことが落ち着いたら、部下達から意見を聞いてみることにしよう」
✽
とても楽しそうに、そして幸せそうに父親と踊るジュリアを見つめながら、ロマンドは嬉しいけれど少々複雑な思いになっていた。
もう三曲も続けて踊っている。自分とは二曲で疲れたと言っていたのに。
まあ、その理由はわかっているのだが。ウッドクライス伯爵のリードはとても上手で、ジュリアはただその身をパートナーに預けているだけだ。だから身も心も楽なのだろう。
それに比べて下手な自分とでは、ジュリアの方がかなり気を使っていたに違いない。
「今まで苦手だといって練習を避けていたつけが回ってきたのですね」
とロバートに言われ、ロマンドはそれが事実なので反論ができなかった。
「まあ、義理の父親に花を持たせるのも、婿としては必要なことですから、今回は諦めて、これからはダンスの練習に励んで下さい」
これからたくさん練習して、義父よりも絶対にダンスが上手くなってみせる、とロマンドは固く心に誓ったのだった。
読んで下さってありがとうございました。




