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第五十五章 枯れ木令嬢と薔薇の庭園

 

 ルフィエの言葉を聞いたルードルフ侯爵夫妻は、自分の立場だけで相手を罵るような真似をしたことを互いに反省した。

 その上またもや恩ある親友夫妻を言い争わせてしまった、とハーディスをさらに落ち込ませてしまった。

 

 しかしリアナは立ち直りが早い逞しい女性である。ハーディスと夫に謝罪すると、すぐにジュリアにある疑問を投げ掛けた。

 

「ねぇジュリア、精霊様はいつも貴女の側にいて、貴女を守って下さっているのでしょう?

 それなのに何故ウッドクライス家の人達から貴女を守ってくれなかったの?」

 

「守って下さっていましたよ、ずっと。スパティ様が付いていて下さらなかったら、私はとっくに飢え死にしていましたもの」

 

「「「・・・・・・・」」」

 

 部屋の中が再び凍り付いた。

 

 ジュリアがウッドクライス家に連れて来られて暫くして、ある日とうとう空腹に耐えられなくなった彼女は、無意識に精霊スパティを助けを求めた。

 するとまるで目に見えない何かに導かれるように、ジュリアの体はフラフラと薔薇園へと向かった。

 

 ウッドクライス家の敷地は、伯爵家とはとても思えないくらいとても広大で、一人で勝手に出歩いたら迷子になりそうなくらいだった。

 だからまさか敷地内にそんな立派な薔薇園があるだなんて、ジュリアには気付けなかった。屋敷の周りにはあまり植物が植えられていなかったので、それを残念に思っていたくらいだ。

 それなのに、庭の奥には広い薔薇園だけではなく、多種多様な植物が植えられてあったのだ。

 

 もっと早くここに気付けていたら良かったのにと、ジュリアはとても残念に思った。今の自分にはとても薔薇を愛でる気力がない……と。

 

「薔薇園には物凄いエネルギーが充満していて、そのパワーに圧倒されて、弱っていた私はその場に倒れてしまったんです」

 

 とジュリアはその時のことを思い出しながら苦笑した。するとルフィエもそれに続いてこう言った。

 

「あの時は本当に驚いた。しかも助けに行きたくても、まるで見えない壁でもあるかのように何かに塞がれていて俺はお嬢様に近付けなかった。

 屋敷の者達に助けを求めたが、誰もそれに応じてくれなかった。

 というか、以前から彼らも薔薇園には近付けなかったようなんです」

 

「聖なる場所なのに?」

 

「聖なる場所だからですよ、リアナ夫人。あそこは元々この国の森の中心で、精霊達の聖地なんですよ。

 余りにも清らか過ぎる場所故に、汚れ過ぎた者達は排除されてしまうんです。


 元々人間は残念なことに善だけではありません。誰でも多少は醜いものは持っているものですよね。

 しかし一般的な人間よりも悪意が多い人間がその悪意を全て失ったら、その者達は人しての自己を失ってしまうんです。

 

 我がウッドクライス家はあの場所に家を建て、聖地を守ってきたのは精霊を守るためでした。しかしそれは同時に人間を守るためでもあったのですよ。

 つまり清らか過ぎる精霊と悪意を抱く人間の調和を図ることこそが、我が家の本来の役目だっのですよ。

 他国からの侵略からの防衛なんかじゃなかったんだ。

 

 故に我が家の女主の最も重要な仕事というのが、聖地に唯一残った薔薇園を護ることだったのですよ。

 つまりそれかできると見込まれ女性だけが代々女主となってたはずなんです。

 それなのに父は、シンディー夫人にその能力があるのかどうかをきちんと確認もせずにこの屋敷に迎え入れたんですね。

 しかもシンディー夫人にちゃんと女主としての役目を伝えていなかったとは……信じられない……」

 

「おそらくお祖父様はシンディー義伯母様のことをよくご存知なかった、と私は思います。そして今もまだ。

 義伯母様は植物がお好きではありませんから、精霊様達に拒否されています。

 そのせいで彼女は、嫁いでからずっと薔薇園には近付くことができなかったのだと思います。

 私が屋敷に来るまでは、薔薇園の世話は庭師に任せっぱなしだったと聞きますし」

 

「でもルフィエまで拒絶されるなんて変ですね。ルフィエは善人だし、植物も大切に思ってるのに」

 

 ロバートが納得いかないようにこう呟くと、ロマンドも頷いた。

 そう言われたルフィエは、二人が自分を信用してくれているのだと感じられてとても嬉しくなった。

 

「今はもうそんなことはありませんよ。しかし、それはお嬢様が私に心を許してくれるようになったからだと思います。

 護衛を始めた頃、お嬢様はこの屋敷を脱走しようと何度も試みては私に阻止されて、相当私を憎んでいらっしゃいましたからね」

 

 普段鉄仮面のルフィエが珍しくクスクス笑いながらこう言うと、ジュリアは呆れた顔でこう言い返した。

 

「私は最初からルフィエさんのことを嫌っても憎んでもいませんでしたよ。ルフィエさんはただ自分の仕事を真剣にしていただけですからね。

 今はこんな枯れ木みたいな弱々しい見た目をしていますが、元々私はかなり運動神経がいいんです。

 子供の頃から鬼ごっこで人に負けたことがなかったし、何度か街中で人に攫われそうになったことがありますが、全部逃げ切ることができましたからね。

 だから、毎回簡単に私を捕まえるルフィエさんには尊敬と信頼の念を持っていましたよ」

 

 しかしそれを聞いた者達の周りにはブリザードが吹き抜けた。  

 そうなのだ。少し考えればわかることだったのだ。こんなに愛らしくてかわいい少女が市井で暮らしていたら、絶えず危険と隣り合わせだったに違いことを。

 

 いくら安い素材を使っているとはいえ、超一流のデザイナーになっていてもおかしくない母親の素晴らしいデザインの服を着て、上品な身のこなしをしているジュリアが、ただの平民の娘になんて絶対に見えなかっただろう。

 

「君が無事で良かった!」

 

 ロマンドがいきなり跪いて、ジュリアを背後からギュッと抱き締めたので、さすがのジュリアも真っ赤になった。

 

「無事って……

 シンディーお義伯母様から薔薇園の世話と朝市へ買い出しに行くように命じられて、そのおかげで私は空腹でもなんとか生き抜くことができたんです。運が良かったわ。

 どうしたの? ロマンド様……

 そんなにきつく……痛いです」

 

 大好きな婚約者に抱き締められるのは嬉しかったが、ギュウギュウと次第に強くなっていく抱擁に、ジュリアは小さな声でそう訴えた。しかしその力が弱められることはなかった。

 するとルフィエがスッとロマンドの耳元でこう囁いた。

 

「か細い小枝のようなお嬢様の体が、ポキッといきそうで怖いのですが……」

 

 それを聞いたロマンドは慌ててその腕の力を弱めた。しかしそれでも彼女を離すことはなかった。そしてそのままの体勢でリアナ夫人に向かってこう言った。

 

「ルードルフ侯爵夫人、精霊達は自分達の意思だけで人間に攻撃などのリアクションを起こすことはありませんよ。

 何故ならそもそも精霊と人間との力の差は歴然たるものがあることを、精霊様達は百も承知していらっしゃるからです。

 

 ですから、ご自身が悪意を持って攻撃された時以外は、彼らが勝手にそのお力を使うことはありません。

 精霊と人間の価値観には相違があることを彼らが認識してなさっているからです。

 それ故にそれを使うかどうかの判断は、人間との和解へと最初に導いてくれたウッドクライス家の血を引く、我々『緑の精霊使い』に任されているのです」

 

「つまりジュリアは屋敷の人達への罰を望んでいなかったということなの?」

 

 リアナ夫人は意外そうな顔をしてジュリアに問うと、彼女は頷いた。

 

「ええ。ロマンド様と出逢う前までは、私は彼らを恨んでいませんでしたから」

 

「えっ?」

 

「だってリアナママ、私はロマンド様に教えて頂くまで、自分を父の庶子だと思っていたんですもの。

 いきなり父が愛人との間に生まれた私を引き取ったのだから、正妻や子供たちから嫌がらせをされても、それは仕方のないことだなと思っていたんです」

 

「「「ジュリア」」」

 

「だけどそれは間違いだったわ。屋敷の者達がみんなで私を騙していたのよね。

 お父様はお母様だけを愛していた。

 私だけがお父様の子供だった。そして私はお父様に嫌われてなんかいなかった」

 

「「「・・・・・」」」

 

「それを知った時、私の心に初めて憎しみという感情が生まれて戸惑ったわ。

 でもそれは悪いことではないと、ロマンド様やロバート様が教えて下さったの。過ちを許すことは立派だけれど、それだけではいけないのだと。

 それに、私だけではなく、ケントやヴィオラさんにまで酷い仕打ちをしていることは決して見逃してはいけないと思ったわ。

 

 だからお父様やルフィエさんの協力を得て、ずっと証拠集めをしていたの。だって私刑(リンチ)はいけないことだもの。きちんと法で 裁くべきでしょ?

 それに私の個人的な恨みで精霊様に復讐をお願いするだなんて、そんな失礼なことをするつもりはなかったわ」

 

 ジュリアは淡々とそう語ったのだった。

 回想シーンが長く続きましたが、次からは話がようやく進展して行く予定です!


 読んで下さってありがとうございました!


 小説の最初の頃と話の中に齟齬が生じたので、第一章の一部を変更しました。

 申し訳ありません。


ーそして何よりも辛かったのは、ウッドクライス伯爵家の庭には緑が極端に少ないことだった。

 

 王都だというのに、ウッドクライス伯爵家の敷地はかなり広大だった。しかし屋敷の周りにはほとんど木が植えられていなかった。

 芝生さえなくて石畳で覆われているなんて何なの?

 最初のうちジュリアはかなり戸惑った。農園育ちで緑大好き少女のジュリアは、この屋敷に連れて来られてからというもの、気分が絶えず下降気味だった。

 そう。孤児だった頃よりよっぽど悲惨な生活だった。


 もっとも庭の奥には多種多様の植物が植えられてあって、立派な薔薇園もあったのだが、自由に動き回れなかったジュリアは当初それを知らなかった。


 となりました。


 2022年7月25日

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