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第五十四章 枯れ木令嬢と母達の決断  

 

「なるほど、マーガレットがあの家を出たのはジュリアを守るためだったのね。これでようやく納得できたわ」

 

 ジュリアの話を聞いたリアナ夫人が納得した表情をして頷いた。

 

「納得? どういう意味だい?」

 

 わかっていないという顔で尋ねる夫のジャイドに、妻は呆れたような顔で見てから、今度はハーディスに目を向けた。

 

「マーガレットはね、あの元ウッドクライス伯爵夫人のような女にスゴスゴ引き下がるようなか弱い女性ではないのよ。

 それに、傍から見たらあり得ない環境だったとしても、マーガレットがあの家から逃げ出したりするわけがなかったわ。

 何故なら彼女はハーディス様を心から愛していたから。

 まるで放置された愛人のような極悪な環境下に置かれていたとしても、彼女は植物を育て、服を作り、手芸をし、ご近所の方々と交流して、それなりに幸せそうだったわ。

 第一、ハーディス様に瓜二つの愛娘が側にいたんだし。

 

 だからマーガレットとジュリアがいなくなったと聞いた時、私はまず事件性を疑ったの。彼女が自ら出て行ったとはとても思えなかったから。当初は置き手紙のことも知らなかったし。

 でも後になって、あの家には保護シールドが巡らされてあって、十分過ぎるほど危険防止対策がされていたと聞いた時は驚いたわ。

 確かに母子だけでは心配だから護衛を付けた方がいいと、私は散々ハーディス様には言っていたのに、それを無視されて腹立たしく思っていたわ。

 だけどこちらが心配しなくても、既に精霊魔法で守っていたとはさすがに思わなかったもの。

 

 だけどその保護シールドが解除されていないのにもかかわらず二人が消えたということは、彼女が自らの意思であの家、あの町を出て行ったということなんでしょう?

 そのことに気付いた時から、彼女が出て行った理由がわからなくてずっと疑問に思っていたのよ。だけどこれでようやく理解ができたわ」

 

 満足そうに頷いている妻に、ジャイドがまだ納得できないという顔を向けると、彼女はあからさまにがっかりした顔をした。

 

「本当にどうして男の方って母親の気持ちがわからないのかしら。

 例外はあるのでしょうけれど、母性のある女性ならどんなに夫を愛していても、どちらか一つ選ばなければならなくなったら、子供の幸せの方を優先するものなのよ。

 

 マーガレットは夫との暮らしよりも、未来のジュリアの幸せを選んだのよ。

 ジュリアが『緑の精霊使い』としての役目を国から命じられてしまったら、ハーディス様のようになってしまう……そう考えたのではないかしら。

 まともな家庭生活もできず、自由もなく、働き詰めの一生だなんて、一体どこの母親が娘にさせたいと思うのよ」

 


 この時ロマンドには、リアナ夫人の姿に自分の母親の姿が重なって見えた。

 

 子供の頃、そう、ジュリアが精霊様にお願いして、あの枯れ果てた農地を蘇らせてくれた時、母は急いでジュリア親子にプラント家の農園から出るようにと告げた。

 

 あの時は母がジュリア達を追い出そうとしているのだとロマンドは勘違いをして、ショックを受けたし怒りを感じた。あんなにマーガレットおばさんと仲良くして、楽しそうだったのにどうしてなんだと。

 

 しかし、ジュリア達が出て行った後、伯父の言葉でようやく母のとった行動の意味を理解したのだった。そしてこう思った。

 

『短い時間だったけれど、母とマーガレットさんは本当に仲が良かった。まるで姉妹のように。

 きっと誰にも言えないようなこともお互い話し合っていたのだろう。何せ二人とも家出した経験を持っていたのだから』


 と。

 

 直接聞いたことはなかったが、ロマンドの母はジュリアが『緑の精霊使い』だということを最初から聞かされて知っていたのだろう。

 だから、伯父に利用されないように、早く農園から出るように勧めたに違いない。


『たとえ貧しくても、いくら辛い目に遭っても、子供のためなら母親って頑張れるものなのよ』

 

 ロマンドの母はいつもそう言って、あの農園で伯父や心無い使用人達に嫌がらせをされても、決してあそこから出ようとはしなかった。

 マーガレットと違って資格も学歴もなかった自分では、あの場所でないと息子を守れないと思ったのだろう。

 

 家を出ることと残ること。一見すると正反対のようだが、実はそのどちらも母親達が子供のことを一番に考えた上での決断であり行動だった。

 今頃になってそのことに気付かされたロマンドだった。

 

 当時は農園から出ようしなかった母親を意気地無しだと思っていた。そしてそのせいで自分は不良債権を背負わされてしまったと、少しだけ恨んでいた。しかし全て自分のためだったのだ。

 

 親の心子知らずとはまさに自分のことだなと、ロマンドは心の中で一人苦笑したのだった。

 


 ✽

 


「私では娘のジュリアを守れない。幸せにできないとマーガレットは考えたということなんだな……」

 

 ハーディスが呆然とこう呟いた。彼は酷く惨めだった。妻から娘一人守れない男だと思われていていたことに。

 

「実際そうだったのでしょう?

 両手で数え切れるくらいの日数しか娘に会えていなかったのだから。それで守れるわけがないじゃないの。

 いくら精霊魔法を使って危険から守っていたとしても、それは物理的な危険のことだけでしょう?

 それに確かにまめに手紙は送っていたみたいだけど、それは貴方の一方通行の思いだったわけだし。

 やはりマーガレットに、『緑の精霊使い』の話は打ち明けておくべきだったわね。

 だって『緑の輪の誓い』はハーディス様には適用されていないのでしょう?

 それに、ジュリアがたとえ『緑の精霊使い』だったとしても、自分が守るから心配はいらないよ……くらいのことを言っていれば、状況は違っていたんじゃないのかしら」

 

「いくら誓いを立てなくてもよい立場だとはいえ国の防衛を携わるトップが、たとえ信じる妻であろうと、安易に話せるわけがないだろう! 国の秘密事項に関わることだぞ。

 国に忠誠を誓っている者の苦労を知らぬ者が、余計な口を挟むな!

 ハーディス達が眠る間を削って守ってくれているからこそ、我々は平和に呑気に暮らしていけているのだぞ! 口を慎め!」

 

 ずっと大人しくしていたジャイドが妻を一喝した。

 妻が大切な友人マーガレット側に立ってものを言う気持ちは、夫にも理解ができる。しかし社会的な観点から見れば、そんな簡単な話ではないのだ。

 

 ハーディス達がその役目を放棄したら、この国の緑はあっという間に消滅し、農産物は今までのようには育たなくなり、民だけでなく自分達王侯貴族だって飢えに苦しむようになるのだ。その上他国からの侵入も防げなくなる。

 

 ジャイドにそう言われ、さすがのリアナも真っ青になった。

 冷え冷えとしていた部屋の中の空気の温度が、さらに急降下した。

 自分達家族のせいで大好きなルードルフ侯爵夫妻の仲を悪くさせてしまい、ジュリアは困惑した。

 

 なんとかしてこの場を収めたいと思ったが、どうすればよいのか見当も付かずに彼女があたふたしていると、ルフィエがこう言った。

 

「つまり、この国の指導者が悪いってことですよ。王族や高位貴族や高官達が。まず責めるなら旦那様じゃなくて、そっちでしょう?」

 

 正論だったが、みんなは顔を見合わせ、誰も何も言わなかった。

 何故ならハーディスとジャイドもその高官で、高位貴族でもあるからだ。

 それに王城で王族批判はまずいのではないだろうか。たとえ保護シールドで覆われていたとしても。

 

「侯爵様と奥様は、それぞれにご自分の立場からのご意見を述べられました。

 しかしどちらも間違っちゃいないと俺は思いますよ。人間なんてどんなに立派な人でも、物事を全て俯瞰的に見ることなんてできないと思ってますからね。

 

 俺はロバートさんから言われるまで、お嬢様の食事がそんな酷いものだったなんて微塵にも思わなかった。

 もちろん指摘されて死ぬほど後悔しましたよ。だけど仕方無かったとも思うんです。

 だって、俺が育った貧民街じゃ、そんな食事が普通だったからです。

 

 男爵様やロバートさんは元々平民だったし、貧しかったと仰います。しかし、決まった寝床があって質素でも食べる物があって、たとえ奨学金のおかげだとしても学問が学べたってことは、貧民層から見りゃ裕福だったんだと思うんですよ。

 

 ああ、別に皮肉を言っているわけではありませんよ、お二人方。むしろ気付けて良かったし、感謝はしているんです。

 あのまま気付けなかったら、お嬢様はそれこそ枯れ木令嬢のままだったでしょうからね。

 そうなんですよ。つまり大事なことは『気付く』ことなんだと思うんですよ」

 

「『気付き』ですか? それは『知る』ことと同義ですか?」

 

 ジュリアがルフィエにこう尋ねると、彼は違うと首を振った。

 

「いや、違いますよ。

 知識や情報を得るだけじゃ何の役にも立ちませんよ。簡単な例をあげるなら、今年は冬の訪れが早いだろうというお達しが役所から出されたとします。

 これを聞いたほとんどの者は、ああ、今年は冬が早くやって来るんだなって思うだけです。

 しかし一部の者はこの情報を聞いて思うんですよ。冬が早いなら、野菜の種蒔きを例年より早くしようとか、薪が値上がるだろうから早めに多く買っておこうかと。

 多種多様な情報の中から自分に関連する情報を見つけたことを『気付き』と言うんですよ。気付きがあるとないとでは、生きて行く上で全然違うんです」

 

「ルフィエさんがただの仕事以上に私を大切にしてくれていることも、その『気付き』に関係しているのですか?」

 

「ええ、そうですね。

 私は自分がお嬢様を実の妹のように思っていると『気付けた』からこそ、三年近くも酒を断って、無休で側にいられたんですよ」

 

 ルフィエの偽りのない優しい言葉を聞いて、ジュリアは幸せそうに微笑んだ。

 

 そうなのだ。ジュリアを見守ることが単なる仕事ではないと気付いたからこそ、ルフィエは今までジュリアを守ってこれたのだ。

 

 もしそうでなかったら、いくら高給だとしてもとっくに辞めていた。

 もっとも、彼の勤務体制が違法労働だということに気付けていたら、雇い主に苦情を入れて、彼だけではなくてジュリアの環境ももっとましになっていたのだろう。

 

 しかし残念なことに、ウッドクライス伯爵に雇われる以前のルフィエの職場は、最悪・残忍非道な修道騎士団だった。

 そのために、上の命令は問答無用だという教えを叩き込まれ、苦言を呈するという発想が彼には全くなかったのだ。

 

「今自分が得ているもの、反対に背負わされているもの……それを当たり前だと思っていると、そこからは何も気付けないし何も得られない。

 つまりそこからは全く進歩しないし、改善もされないです」

 

 ルフィエは淡々とそう言ったのだった。

 読んで下さってありがとうございました!

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