第五十三章 枯れ木令嬢に謝罪する精霊
53 枯れ木令嬢に謝罪する精霊
「昨日、薔薇園の手入れをしている時に、突然精霊様に話しかけられたんです。
私はいつも身近に精霊様を感じていました。でも、会話をしたことはなかったんです。
幼い頃から私が一方的に話しかけていたのですが、そのことを疑問や不満を思ったことはありませんでした。話しかけてもらえなくても、精霊様の優しさはずっと感じていましたから。
それにいつだって私が困っている時には精霊様は助けて下さっていたので。
お母様のことは……私が側にいない時に起きた事故だったので仕方が無かったことですし。
ただ最近になって、今からでも願いをきいてもらえるのなら、せめてお母様の遺骨の場所を教えてもらえたらとは思うのですが」
「ジュリア、マーガレットの遺骨ってどういう意味なの? 彼女のお墓はあるのよね?」
リアナ=ルードルフ侯爵夫人が驚愕の表情を浮かべて、ジュリアの両肩を掴んだ。それは肩に喰い込むのではないかと思うほど強いものだった。
しかし、ジュリアはそれを振りほどくこともせずに、哀傷に満ちた顔を夫人に向けた。
「お墓は農園主ご夫妻が造って下さいました。でもその中に入っているのは、お母様の遺品だけです。
お父様に頂いたお気に入りの髪飾りや、母が作ってくれた私の子供の頃の服とか……
お母様は農園の奥様の体調が優れなかった時、代わりに遠方の取引先へ向かう途中で崖崩れに遭遇して、馬車ごと崖下に落ちたんです。
馬車は途中の岩に乗ってそれ以上落下することはなく、御者と農園の護衛の方は助かったんです。
でもお母様は落下途中で馬車から放り出されてしまったんです。
しかもその崖は急斜面で、人が下りられるような所ではなく、探しようがありませんでした。
その時、何故助けに行ってくれなかったのかと周りの方を責めてしまって、本当に申し訳無いことをしてしまいました。
現場に実際に足を運んで、よくお二人だけでも助かったものだと思いました。
あの頃私がもっと自分の力について知る努力をしていたら、せめてお母様の亡骸を見つけられたのにと、今頃になってそう思うのです……」
ジュリアの頬から大粒の涙が流れ落ちた。
これまでハーディスはジュリアとは、マーガレットの話を一切してこなかった。もちろん他の諸々のことについてもなのだが。
娘の手紙にも母親については何も書かれてはいなかったし。
娘は愛する母親を亡くし、たった一人で立ち上がったのだ。妻の死を知った時、大の大人の自分だって、親友のジャイドのおかげでどうにか己を保てていたというのに。
娘が辛い時にいつも側にいてやれなかったことが、情けなくて申し訳無くて、ハーディスはますます切なくなった。
ジュリアは正面からは父のハーディスに抱き締められ、そしてその背後からは第二の母であるリアナの手を添えられた。
ロマンドもジュリアを優しく抱き締めたいと思ったが、やはりここでは身を引くべきなのだろうと、奥歯を噛み締めた。
もっと早くにジュリアを見つけ出せていたら、辛い思いをしていた彼女に寄り添うことができただろうに。それが悔しいロマンドだった。
少ししてようやく涙が止んだジュリアは父親から身を離すと、まっすぐに父親の目を見て再び話し始めた。
「昨日、精霊様が、私に謝罪されたのです。最初はなんのことかさっぱりわかりませんでした。だって、私は精霊様には助けて頂いてばかりいたのですから。
精霊様は人とお話をするのがとても苦手なのだそうです。
お仲間同士では以心伝心、感覚的なもので通じ合えるそうで、言葉にして話す必要があまりないからなんだそうです。
でも、私から一方的に話しかけられるのはお嫌ではなかったらしいです。いつか私に話しかけようと、ずっと思って下さっていたようです。
そして昨日ようやくお仲間の皆様の力をお借りして話しかけて下さったのだそうです。
なんでもウッドクライス伯爵家の庭、特に薔薇園は多くの『緑の精霊』様方の依り代なんだそうです。普段はあちらこちらににいらっしゃるけれど、年に数回に集まられるそうです。それが、たまたま昨日だったそうで……
それで昨日精霊様は、必死に言葉を紡いで下さいました。
そのおかげで私はようやく一番大切な友人のお名前がスパティ様だと知りました。
そして、何故スパティ様が謝罪されたのかも」
✽
ジュリアに付いている精霊はスパティという名前えらしい。いや、その名はフィラムから聞いて知ってはいたのだが、スパティがロマンドの精霊パキランのパートナーとは知らなかった。
ジュリアからそれを聞いたハーディスは驚き過ぎて絶句した。彼らが知り合いだとは知っていたが、まさかそんな関係とは夢にも思わなかった。
もっとも精霊にとってパートナーとは、人間の夫婦関係とは微妙に違うらしいが。
✽✽✽
とにかく緑の精霊スパティはジュリアの両親のことをよく知っていた。人間の心の機微はよくわからなくても、二人が思い合っていることはなんとなくわかっていたのだという。
スパティがジュリアを自分の使い手に選んだのは、彼女がまだ赤ん坊だった時だった。
そんな自我がまだ確立されていない人間を選ぶのは珍しいことらしい。
一度決めてしまったら、その人間が亡くなるまでその関係を続けなければならないからだ。
ジュリアは、スパティのボスのフィラムの使い手の娘だったせいなのか、スパティの心が彼女を自分の居場所なんだと感じてしまったのだ。
フィラムは緑の精霊王で、スパティとパキランのボス、親代わりみたいな存在なのだ。
すると言葉を話せるようになったばかりだったジュリアも、すぐにスパティの存在に気付いて話しかけてくるようになったのだ。
そして最初のうちはジュリアがただ独り言を言っているのだと思っていた母マーガレットも、娘が五、六歳になった頃、少しおかしいと感じるようになった。
娘は空想ではなく、確実に誰か、何かと話をしていると、どうしてもそう思えてならなかった。
やがてマーガレットは酷く不安そうに娘が独り言を話す姿を見つめて、思案に耽るようになった。
そしてそんなある日。
ジュリアと共に庭の花壇の手入れをしている時に、マーガレットは娘にこう尋ねた。
「ねぇジュリア、今誰とお話していたの? お花? てんとう虫さん?」
「お友達」
「お友達? そのお友達のお名前は何ていうの?」
「知らない」
「お友達なのにお名前を知らないの? お名前を知らないと、呼ぶ時に困らないの?」
「困んない。だっていつも側にいるもん」
マーガレットは眉を顰めた。
「ジュリア、さっき猫さんが踏み潰したお花がまたスッと立ち上がっているけれど、貴女が何かしたの?」
「私は何にもしてないよ。ただ、お花の精さんにお願いしただけ。お花さんが痛い痛いって言ってるから、治して下さいって。
ジュリアがお願いすると、いつもお花の精さんが、お花や葉っぱを元気にしてくるんだよ」
無邪気にこう答えたジュリアの笑顔を見て、マーガレットは真っ青になった。
大分前からもしかしたらとマーガレットはその可能性について疑っていたのだが、恐ろしくてジュリアに確認しないまま日々を過してきてしまった。
しかし、その日とうとう彼女は確信してしまった。ジュリアは『緑の精霊使い』だと。
農家の娘だったマーガレットにとって、『緑の手』や『緑の精霊使い』という言葉は身近なものだった。
もちろん実際に『緑の精霊使い』に会ったことはないが、実家のローリー家の農園はそこそこ大きかったので、『緑の手』の使用人がいた。それ故にその力を何度も目の当たりにしていたのだ。
だからこそ、マーガレットは『緑の手』の持ち主と『緑の精霊使い』との違いもわかったのだ。
もしただの『緑の手』の持ち主だったなら、なんとなく『緑の精霊』の力を感じるだけで、話なんてできるはずがないのだと。
✽
「お母様は私が『緑の精霊使い』だということに気付いた時、それと同時にお父様もやはり『緑の精霊使い』なんだということにも勘付いたのだそうです。
お父様から贈られたお花は異常なほど長持ちしたし、萎れかかった野菜はお父様がいらっしゃる時だけ何故か新鮮さが戻る。
そしてお父様が家にいると、まるで森にいる時のような清々しい気分になったんですって。
ああ『緑の精霊使い』だったからこんなに忙しいんだって、お母様は全ての疑問がようやく解けたと思ったそうよ。
そして最初はとても悲しい気持ちになったんですって。ずっと嘘をつかれてきたことに。
もしかしたら『緑の精霊使い』はその正体を明かしてはいけないのかもしれないけれど、それでもやはり信用されていないんだと思うと、心が冷えていくような感じがしたのだそうです」
「ウッ!」
ハーディスがうめき声をあげた。
「でも、その後すぐにお母様に襲ってきたのは、恐怖だったようです」
「恐怖? もしかしてそれって、ジュリアだけがウッドクライス伯爵家に取られてしまうという恐怖?」
リアナ夫人の問いにジュリアは首を横に振った。
「いいえ。ウッドクライス家に取られるからというより、私が『緑の精霊使い』だと人にわかってしまったら、お父様のように重責を押し付けられて自由を奪われてしまうのではないか……という恐怖だったようです。
だから、お母様は私を連れて家を出たみたいです。
決してお父様とシンディー義伯母様の仲を疑ったわけでも、身を引いたわけでもなかったみたいです。
その時、
『ジュリアのことは私が守るから心配はいらない』
そう一言母に伝えることができたら良かったのにと、スパティ様はずっと悔やんでいらしたそうです。
それにたとえもしそれが不可能だったなら、せめてお父様の『緑の精霊』であるフィラム様に、母の心情や苦しんでいた状況を伝えておけば良かった……と」
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