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第五十二章 枯れ木令嬢の告白

 

 才知に長けているだとか、怜悧だとか、聡明だとか、ハーディスは幼い頃から散々褒め称えられてきた。

 しかし、ロマンドやロバートから指摘された通り、自分が理解できることは皆もわかるものだと思い込んでいた。

 

『一を聞けば十わかる人はそうはいませんよ。むしろ一を理解するには十の説明をしてもらわないと理解できない人が多いものなんですよ。

 伯爵様は優秀な方に囲まれているからお気付きにならなかったかも知れませんが』

 

 ロバートの言葉は真実だった。だからルフィエに対する指示をはしょってしまった。それくらい優秀な護衛ならわかるだろうと。

 

 義姉のシンディーと執事のバージル=ハントには、ルフィエの指示には絶対服従だと命じていた。それですっかり安心してしまったのだ。

 

 しかしハーディスはルフィエの育った環境をよく理解していなかった。

 まあ、高位貴族ならそれも当然といえば当然だったのだが、ジュリアの言う通り、何故侍女のことまでルフィエに丸投げしてしまったのか、自分でも理解に苦しむ。

 ルフィエがその辺りも差配してくれるものだと、ハーディスは何故か勝手に思い込んでいた。それならば最初にその権限をルフィエに与えておけば良かったのに。

 

 

 あの頃のハーディスは、西の『黒の精霊使い』の件でとにかく慌ただしくしていた。

 それならせめて誰か信用のできる者、それこそ親友のジャイド=ルードルフ侯爵にでも相談すれば良かったのだろう。

 若い頃とは違って、彼は既に爵位を継いで『緑の輪の誓い』をしていたのだから、相談相手としてはまさしく適任者だったのだから。

 

 しかしそこでハーディスはまた考えてしまった。

 ジャイドには今まで散々迷惑をかけてきた。その恩もまだ何一つ返していないのに、また迷惑をかけてしまって良いものかと。

 

 それに彼は当時、自分同様に西の偽『黒の精霊の宝石』や『黒の精霊の涙』の流通問題で忙しくしていた。

 ただでさえ忙しいのに自分が助けを求めて彼に頼ったら、リアナ夫人や四人の子供達との大切な時間を奪ってしまう。それは避けなければ、とハーディスは思った。

 彼に自分と同じ失敗をさせたくなかった。

 

 そしてジャイドの次に頭に浮かんだのは、もう一人の親友である『緑の精霊王』フィラムだった。

 

 しかしハーディスは、『緑の精霊王』に対する己に課したけじめを守ろうと、頑なに思い込んでしまった。

 

 本来守りたいものがあったら恥や外聞、そして矜持ですら邪魔なものなのだ。そんなものは全てかなぐり捨てて、フィラムに妻子のことを相談すれば良かった。

 例え具体策を出してもらえなくても、聞いてもらえさえすれば心に余裕が出て、何か違う道、生き方を見つけられたかも知れなかったのだ。

 

 

 すっかり落ち込んだハーディスがソファーに埋もれていると、ジュリアがやって来て跪いて彼の両手を優しく包んだ。

 

「お父様、ええと、今更ですが酷いことを言ってしまってごめんなさい。

 実は、農園を去る時にみんなに言われたんです。父親と良い関係になりたかったら、まず最初に不満や怒りを全てぶちまけてやりあえって。

 

 気を使って遠慮し合って言いたいことも言わずにいたら、溝が埋まることはないし、いつまでたっても浅い親子関係のままだって。

 

 父親が娘に酷いことをした自覚があるのなら、全てを受け入れるだろう。それでギクシャクして向き合おうのを避けようとするのなら、父親に度量がないか、娘を本当に愛していないかのどちらかだって。

 

 もしそれで父親に疎まれることになったら、いつここに戻ってきても構わない。だから最後に一発かましてやれって皆さんに言われたの……」

 

 可憐な花のように愛らしいジュリアが発しているとはとても思えない、その乱暴な言葉に、周りにいた者達は目を丸くした。

 しかしジュリアはそんなことは一向に気にせずに言葉を続けた。

 

「せっかくの皆さんのアドバイスだったので、私はそれを実行しようと思ったのです。

 でもお父様とはほとんど会えず、二人きりで話す機会も全くなかったので、それはずっと叶いませんでした。

 

 それで今日、ようやくお父様にお会いできたので、この際言ってみることにしたんです。

 本当は人目のないところで言いたかったのですが、いつまたお父様に会えるかわからないので決行してしまいました。

 でもまさか、お父様を泣かせてしまうまで追い込んでしまうとは思ってもいませんでした。やり過ぎました。本当にごめんなさい。

 

 でもね、お父様。私は今までもお父様のことを嫌ってはいなかったのですが、先程迄のお話を聞いて、お父様のことがなお一層好きになりました。

 お父様がお母様と私をどう思っていらしたのかがわかったので……」

 

 ジュリアのこの言葉を聞いたハーディスは、再び娘をギュッと抱き締めて今度は号泣した。

 耳元で父親の嗚咽が聞こえて、ジュリアは居たたまれなくなったが、それと同時に父親の素顔に触れることができて嬉しくなった。

 

 やっぱり本音でぶつかり合わないとわかり会えないわよね。まあ、貴族社会では邪道なんだろうけど。

 そう思った瞬間、ジュリアはハッとした。

 

『私、さっき、つい地が出てしまっていたわ』

 

 と。

 彼女は恐る恐るロマンドの方へ目をやった。すると婚約者は、いつもと変わらない優しい目でジュリアのことを見ていた。

 そして、その口元を見ると、『良かったね!』と声なき声で言っていたので、呆れられたわけではなかったとホッとした。ルフィエも珍しく少しだけ笑ってくれていたし……

 

 もっともロバートとルードルフ侯爵夫妻は、茫然自失していたが。

 

 

 

 暫くジュリアはハーディスに抱き締められていたが、やがて言わなくはいけないことを思い出した。

 

「お父様、何か今大変なことが起きてるみたいなので、こんな話をしている場合じゃないとは思うのですが、どうしてもお伝えしたいことがあるのです」

 

「なんだい? もう私のすべきことはしてしまったから、時間のことは気にせずにな何でも話しておくれ。どうせこの夜会は一晩中続けられるのだからね」

 

 ハーディスの言葉を聞いて、ジュリアはパッと顔を輝かせた。朝まで父といられるなんて信じられない!

 

 

「お父様、私は……いえ、お父様も勘違いをしていたみたいなんです」

 

「勘違い?」

 

「お母様が私を連れて家を出た理由です。

 私達はシンディー夫人の嘘のせいでお母様が身を引いたと思っていましたよね。でも、それは違っていたんです」

 

「えっ?」

 

 ハーディスだけでなくその場にいた者達が、ジュリアの思いがけない言葉に息を呑んだ。

 

「どういうことだい、ジュリア……」

 

「昨日、あの事件が起きる直前に私は薔薇園にいたんです。その時、スパティ様からお母様の話を聞いたんです」

 

「スパティ様とはお前の精霊様のことだな。精霊様のお名前を教えてもらっていたんだね」

 

 精霊使いだからといって、全ての者が自分の精霊から名前を教えてもらっているわけではない。

 そうか、ジュリアはとっくに精霊と名を呼び合うまで親密になれていたのか。凄いな、とハーディスは思った。

 しかしジュリアは首を横に振った。

 

「私は昨日初めてお名前を知ったんです。

 精霊様達には大変申し訳無いのですが、私にとっての精霊様とはいつも私の側にいて下さった精霊様のことだけだったんです。

 ですから、この世界には多くの精霊様がいて、皆様一人一人に固有のお名前があるという、そんな当たり前ことにさえ気付かなかったんです。

 もっと早くスパティ様のお名前をお聞きできていたら、もっと色々なことをお話できたのではないかと、とても残念でなりません。

 お母様のこともご相談できたかも知れないのに……」

 

 ジュリアは後悔を滲ませて、目を伏せた。ああ、自分と同じことをジュリアも感じている。

 しかし、まだ十七でそのことに気付けたのなら大したものだ。私は四十近くになってようやく気付いたのだから、とハーディスは思った。

 

 

 ✽✽✽

 

 

 ウッドクライス伯爵邸の薔薇園。そこにある薔薇は、この国が緑に覆われていて人がまだ踏み入らなかった頃から咲いていた、薔薇の原種と呼ばれている貴重な種である。

 今では伯爵邸を除くと、王立植物園と王宮の庭にしか残っていない。

 

 何故そんな貴重な薔薇がウッドクライス伯爵邸に植えられてあるのかというと……

 

 

 現王族の祖である勇者一族は、その昔、後先考えずにこの国の森を切り開いた。そのせいで彼らは、緑の精霊の激しい怒りを買って一時は滅びかけたことがあった。

 その時、両者の間に入って仲を取り持ち、勇者と共にこの国を興したのが、聖者修行の旅をしていたウッドクライス伯爵のご先祖様だった。

 

 緑の精霊達は勇者達と和解をした後も、実のところ心の奥底では彼らを信用していなかった。

 それ故に精霊達は、唯一信頼できる聖者の側にいたがった。

 

 そこで聖者は、多種多様な植物が生えている森の奥深くに屋敷を構えて、そこで精霊達に囲まれて暮らすようになった。

 当然薔薇の原種も元々そこに植わっていたのである。

 

 現在は建国当時とは違って、ウッドクライス家の周りはすっかり貴族の住宅街になってしまい、森ではなくなってしまった。

 それとともに邸内の植物の数もめっきり減ってしまった。

 しかし薔薇だけは、代々の精霊王が愛した花だったこともあって、ウッドクライス伯爵家の象徴として、代々大切にされてきたのである。

 

 ウッドクライス伯爵家の女主のもっとも大切な役目が、この薔薇の世話だと言っても過言ではないくらいだ。

 

 それをシンディーがジュリアにやらせていたことに、ハーディスは驚きを隠せなかった。

 しかも、シンディーは結婚当時から薔薇の世話をほとんどせず、全て庭師に任せ切りだったという。

 

 ジュリアは伯爵邸に引き取られて間もない頃から、この薔薇園の世話をしていた。しかしそれに関してだけは、強制されたせいではなかったと彼女は言った。

 

「皆さんは誤解しているみたいなんですけれど、朝市での買い出しと同様、薔薇園の手入れを任されて私は本当に嬉しかったんです。

 だってウッドクライス伯爵邸には緑が少なくて(注︙農園と比べての話)、引き取られてからというもの、息苦しくて仕方無かったんですもの。

 でも精神的肉体的に辛い時に薔薇園へ行くと、体の中に精気が注入される……そんな感じがして、元気が出たんです。

 

 でも、それってただ気がしただけではなく、本当に私は救われていたのです。

 もし、薔薇に宿る精霊様に助けて頂いていなかったら、私は今こうしていなかったかも知れません」

 

 ジュリアの衝撃的な発言に、その場が凍り付いた。


 ジュリアの勘違いの内容は、次章以降に明らかになります。


 読んで下さってありがとうございました!

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