第五十章 枯れ木令嬢のパパとママ
ジュリアとリアナは見つめ合ってクスリと笑った。
「旦那様ったら酷いのよ。ジュリアのことを教えてくれたのが、昨日だったのよ。き・の・う・よ!
ジュリアが三年近く前に見つかっていたのに、それを教えてもくれなかったなんて酷すぎるわ。
ジュリアの誕生日には私がケーキを作って、一人で泣きながら祝っていたのを知っていたくせに。
しかもマーガレットのことも秘密にしていたから、お墓参りにも行けなかったじゃないの」
「それは……」
「事情はわかってるわ。でも悔しいわ。そんなに私が信用できないなんて」
「だから、それは『緑の輪の誓い』要項だったんだよ」
「わかってるわ、そんなことは!」
四人の男の子の母親となったリアナは淑やかな容姿はそのままに、すっかり逞しくなっていて、ジャイドを尻に敷いていた。
「ロマンド様、ご覧になってもうおわかりかも知れませんが、こちらのお二人は、私のもう一人の両親のルードルフ侯爵ご夫妻ですわ」
ジュリアがニコニコしながらロマンドの方へ顔を向けた。
するとロマンドはまっすぐに二人に近付くと、親しげな笑みを浮かべて、ジャイドから差し出された手を躊躇なく握った。
「ルードルフ大臣閣下並びに奥様、この度は私達の婚約に際して保証人になって頂きましてありがとうございました。改めてお礼を申し上げます」
「いや、君みたいな有能で頼り甲斐のある青年が、ジュリアの伴侶になってくれて、本当に嬉しいよ。ありがとう。こちらこそよろしく頼むよ」
二人がとても親しげなのを見て、ジュリアとリアナは目を丸くした。
「ロマンド様は侯爵様と親しかったのですか?」
「ああ。男爵位を継いで、王家の御用達になった時から、お付き合いをさせて頂いているんだよ。閣下は通商産業大臣でいらっしゃるから、日頃から色々とアドバイスをして下さるんだ。
だからジュリアと婚約が決まった後、伯爵様から保証人になって下さった方だとルードルフ侯爵様を紹介された時は驚いたよ。
侯爵様が伯爵様やジュリアの知り合いだったなんて。でも、知り合いどころの話じゃなかったんだね、パパと呼んでいたなんて」
「生まれて初めて私を抱き上げてくれた男の方が、ジャイド・パパだったの。
幼い頃、私の誕生日を母と一緒に祝って下さったのも、ジャイド・パパとリアナ・ママだったし」
再びジュリアがハーディスの傷口を抉った。
ロマンドとルードルフ侯爵夫妻が困った顔をした。ここまでくると、さすがにハーディスが憐れになってきたのだ。
すると、ジュリアがニッコリと笑った。そしてソファーに力無く沈み込んだままのハーディスの元に駆け寄った。そして父親の両手を取って穏やかにこう言った。
「そんな顔をしないで下さい。今更恥ずかしくて、パパとは呼べませんが、私のお父様は世界にたった一人きりですよ。
お父様がいらしたから私はこの世に生を受けて、ロマンド様に巡り逢えたのです。
そしてお父様がいらしたからこそ、ジャイド・パパとリアナ・ママ、そしてルフィエさんやロバートさんから守って頂けたんです。
だって、皆さんはお父様のことが大好きだからこそ、私のことも大切にしてく下さっているのだから…
もちろん私もお父様が大好きですよ。この半年、お父様から頂いたお手紙で、お父様のお気持ちは良くわかりましたもの。
期間は短いけれど、毎週のようにお手紙のやり取りをしたおかげで、一緒に暮らしている親子と、そう変わらないほどのスキンシップはできたと思いますわ。
お父様からのお手紙は毎回、まるで短編小説みたいに読み応えがありましたもの。お返事を返すのも一仕事でした。私は、自分がまるで作家になったような気分になりましたよ。
うふふっ……
お母様も私と同じ気持ちだったのでしょうね。お母様はお父様からの手紙をそれはそれは幸せそうに読んで、それを大切に保管して、何度も読み返していたから。
それにお母様は、お父様の悪口や愚痴を一切漏らしたことがなかった。
だからきっと、お母様はお父様を本当に愛していたんだと思うわ」
さきほどとはガラリと変わった温和な口調で、ジュリアは優しくこう父親に語りかけた。思いがけない娘の言葉に、ハーディスは喫驚した。
「でも、お母様は一つだけ間違ったの。それは、お父様に対して何の不満も漏らさなかったことだわ。
人間なんですもの、完璧な人なんていないわ。だからそれを責めるのはいけないことだとは思うけれど、多少の愚痴や我儘なら言ってもいいと思うの。
それなのにお母様はお父様は偉い方だから、文句は言って迷惑をかけてはいけないって、思い込んでいたみたい。
けれど、お母様はある日突然怖くなってしまったんですって。だからその恐怖から逃げたくて、私を連れてあの家を出たみたい」
「怖い……か。
突然私がウッドクライス伯爵家を継ぐことになって、マーガレットは怖くなったんだろう。
いくら優秀で立派な淑女、奥方になれると皆に太鼓判を押されていても、きっと怖かっただろう。
私はほとんど家に戻れないし、父には結婚を反対されていた。
しかもあの女が兄の子供達を僕の子供だと嘘をついて別れろと迫ったのだからな。
私がまずすべきだったのは、あの女を排除することだった。
そしてどんなに忙しくても自分の思いをもっとも早くに、きちんとマーガレットに伝え、彼女の気持ちも聞いておくべきだったのだ」
ハーディスは口惜しそうにそう言うと、唇を強く噛んだ。
「お父様!」
ジュリアは父親の顔を見て震撼した。そして慌ててポーチからハンカチを取り出して、父親の口元に押し当てた。
ハーディスはあまりにも強く噛んだので、下唇から血を流していたのだ。
「ジュリア、すまない。お前のハンカチを汚してしまった」
「いいんです。それはお父様に差し上げようとしていたハンカチですから」
「もしかしてお前の刺繍入りか?」
「ええ、そうです。いつお父様にお会いしても渡せるように持ち歩いていたんです」
それを聞いて、ハーディスはさらに落ち込んだ。夢にまで見た、娘からの憧れのプレゼントをまさか台無しにしてしまうなんてと。
するとジュリアは微苦笑した。
「お父様、そんなにガッカリしなくても大丈夫ですよ。お父様に手渡せなかったハンカチは沢山ありますからね。
お父様の誕生日や父の日、労働の日、女神様の生誕祭用に刺したハンカチが何枚もありますから。
あっ、ハンカチ以外にも刺繍を刺したクラヴァットもあるんですよ」
父親を慰めようとしてジュリアはこう言ったのだが、それは反対にハーディスを更に追い込んだのだった。
「ジュリア、本当にすまなかった、ジュリア……
お前の誕生日を三回しか一緒に祝えなかった。しかも再会した後も、お前にとって大切な日を、たった一人で迎えさせてしまった。
お前には本当に酷いことをしてしまった。それなのに、こんな私のためにプレゼントを用意してくれていたなんて」
「いいんですよ。お父様は私の誕生日だけじゃなく、ことあるごとに贈り物を送って下さっていたでしょう?
家を出た後のことは仕方の無いことだったし、この二年贈り物が無かったのも、あの屋敷の人達が取り上げていたからなのでしょう?
お父様、そんな顔をなさらないで。私は、お父様が私を忘れずにいてくれただけでも嬉しいのですよ。
昔お父様に頂いたソーイングセットを、私は今も大切にしているんですよ。お父様へのハンカチに刺繍を刺す時もそれを使ったんです。
一緒に暮らしていても、家族の誕生日を覚えてさえいない方も大勢いるのですから、贈り物が届かなかったくらいで、私はお父様を嫌ったりしませんよ。
まあ、王都の屋敷に連れて行かれて放置されたことには……多少腹が立ちましたが」
「すまない。あの女が碌でもない女だとはわかっていたが、悪の証拠がなく、追い出すことはできなかった。そして、父もそれを良しとしなかった。
それにお前を守るためには精霊の集うあの屋敷が一番だと思っていたんだ。まさかあの女が……」
ハーディスは何か意味深な言葉を言いかけて、急に口を噤んだ。
「?」
ジュリアが首をひねると、ハーディスは再び話し始めた。
「あの女にはお前に手を出さないように命じてあった。もし、ジュリアに何かあったらお前とお前の息子を闇に葬ってやると。
まさか、使用人を使ってジュリアを苛めるとは考えもしなかった。
母がいた頃の使用人しか知らなかったから、まさか我が家の使用人がそんなに悪質だとは思ってもみなかった」
温厚な父が脅しをかけていた事実を知って、ジュリアは正直驚いた。そして自分はちゃんと父に思われていたのだと知って、不謹慎だが嬉しかった。
それにしてもそんな牽制をされていたにも拘らず、義姪である私を冷遇し続けてきた義伯母の図太さに、ジュリアは呆れを通り越してむしろ感心してしまった。
【 補足 】
『緑の精霊の使い』というのは極秘情報であり、普通他人に漏らすと重い罰が与えられる。
しかし、それは半ば公爵と侯爵といった高位内での話である。そもそもハーディス自身は伯爵だったので『緑の輪の誓い』などしていなかった。それ故に、ロマンドにもいとも簡単に自分の身分を明らかにした。
もっともそれはロマンドも『緑の精霊使い』のであり、彼がジュリアのためなら何でもすると明言したために、いずれ特殊部隊に入る前提で、ハーディスは自分の正体を明かしたのだが。
つまり高位貴族達の『緑の輪の誓い』によって、『緑の精霊の使い』のことはタブー視されていたが、実際は割とユルユルな秘密だった。
大体『緑の精霊の使い』のほとんどが高位貴族ではなかったのだから。
もちろん、彼らは自分達の立場や役目を理解していたし、自分や家族の身の安全のために、無闇矢鱈に他言する者はいなかったが。
それ故に、ロマンドとジュリアがケントに正体をばらしてもお咎めがなかったのはそういう事情があった。
読んで下さってありがとうございました!




