第四十八章 枯れ木令嬢の父の悲しい失敗
ジュリアが港町を出て、あちらことちらと放浪していた頃の話です!
妻子の捜索が始まった頃、ハーディスは親友のルードルフ侯爵にこう言われた。
「前から思っていたが、マーガレット夫人がハリス卿が亡くなったことを、あんなに早く知っていたのはおかしいよな。誰かが意図的に知らせなきゃ。
しかし、彼女達の住所を知っていたのは、君のところと、うちくらいだろう?」
だからハーディスはこう答えた。
「君の想像している通りだよ。
今ね、うちには四人の子供がいるんだよ」
「えっ? 君マーガレット夫人がいながら浮気していたのか?」
急に話が飛んだので、頭が追いつかなかったジャイドがとんでもない台詞を吐いた。親友が妻一筋の愛妻家だということは、百も承知していたのだが。
しかし予想通り彼はハーディスに睥睨された。
「そんなわけあるか! 兄の子供だよ。もっとも本当の子供は一人で、女の子二人は単に兄が面倒を見ていただけで、もう一人は托卵されただけだと思うが」
「なんだそれ!
ハリス卿何やってたんだよ。いくらなんでも人が良すぎだろう!
何、今度はそれをお前が面倒見るつもりなのか? お前も大概だな。自分の娘はまだ見つけ出せていないのに」
ジャイド=ルードルフ侯爵が吠えた。
彼はハーディスとマーガレットのキューピット役だった。
ハーディスならマーガレットを幸せにしてくれるだろう、いや、支え合って行けるだろうと信じて応援した。
眉目秀麗で女性に人気でかなりもてる男だったが、本人真面目過ぎるほどの堅物。頭脳明晰で性格もいい。
しかも名門伯爵家の令息とは言え次男坊だし……
しかし、その後ジャイドは酷く後悔したのだ。学生で世間知らずだったとはいえ、二人の後押しをしてしまったことを。
まさかウッドクライス伯爵家がそんな特殊な家だとは思わなかったからだ。
何故正式に結婚しないんだ、子供まで生まれたのにと、ジャイドはずっとハーディスを責め続けた。
彼女は平民といえど、しっかりした家の娘で、奨学金を貰って首席で専門学校を卒業した優秀な女性だった。
彼女を嫁にしたいと望む家は、平民だけでなく、貴族の家からもあったと聞く。
何せあの祖母が太鼓判を押したほどのスーパー淑女だったのだから。
確かに新婦側の親族や友人達を招いて、披露宴もどきのことはやったし、彼女にウエディングドレスは着せてやっただろうさ。
彼女はまるで天使のように輝いて幸せそうだったよ。
だけど新郎側の当主の承認が得られなかったせいで、教会での結婚式は挙げられなかったし、当然結婚届も受理してもらえなかった。
つまり、二人はずっと内縁関係のままだった。
さすがに娘が生まれた時は、あまりにも父親似だったので、彼の父親は渋々籍に入れることを認めたので、その子の名前はジュリア=ウッドクライスとなったのだが。
しかし彼の妻は旧姓のマーガレット=ローリーのままだった。
その上ハーディスは貿易の仕事を始めてほとんど愛の巣には戻らず、まるで母子家庭状態だった。
ジャイドが婚約者のリアナと共に港町にある彼らの家を訪れた時、当時二、三歳だったジュリアから『パパ』と呼ばれた時は仰天したし、一瞬に婚約者に睨まれて焦ったこともあった。
もちろんリアナは元々ハーディスやマーガレットとは懇意にしていたので、ジャイドを疑ったわけではないのだ。
大体、ジュリアは生まれた時から顔があまりにもハーディスに似ていたので、誤解される心配はなかったのだが。
ジュリアは滅多に会えない父親の顔を覚えてはいなかった。そのせいで成人した男性を見ると『パパ』と呼ぶので、本当に困っているとマーガレットは苦笑いをした。
するとジャイドの婚約者リアナの方が、笑い事ではないと腹を立てた。ハーディスの仕打ちはあまりに酷いと。しまいには泣いて怒っていた。
リアナはジャイドとは子供の頃からの婚約者で、よくルードルフ侯爵家に来ていた。
そのため、侍女のマーガレットは顔見知りであり、一緒に祖母からマナーレッスンや洋裁の手ほどきを受ける愛弟子仲間でもあったのだ。
王都への帰り道、ジャイドはリアナからこう責められたのだ。
「マーガレットはとにかく優秀で、どんな屋敷に勤めても、どこへ嫁いでも立派に務まる女性だった。
それなのにまるで妾のように、滅多にに帰らない夫をただ待ち続けるだけの生活を送っているだなんて、酷過ぎるわ。
貴方が協力なんかしなければ良かったのよ! 本当にがっかりだわ、ハーディス様には」
と。
✽✽✽
いつも国内外を忙しく飛び回っているハーディスは、珍しく登城した際に、久しぶりにジャイドと再会した。
親友の顔を見て嬉しくなったハーディスがニコニコしながら友に近付くと、ジャイドは挨拶もせずにいきなりこう言った。
「僕ね、君の娘に会いにいく度に、『パパ』と呼ばれているんだよ。
僕も去年結婚して、間もなく子供も生まれるし、この際ジュリアを本当の娘にしようかと思っているんだよ。妻のリアナも賛成してくれているし」
「なっ!!!」
「まあ、マーガレットからジュリアを取り上げるつもりはないから、それは彼女が一人立ちできるまでになるとは思うけど。
そうでなければ、彼女が結婚して家庭を築くまでかな?」
「何を言ってるんだ!
マーガレットは僕の妻だし、ジュリアは僕の娘だ!」
ハーディスはジャイドの胸ぐらをつかんで叫んだ。
「確かにジュリアは君の娘だけど、マーガレットと君は赤の他人だろう。いやパトロンか?」
「マーガレットを侮辱するな!」
「侮辱しているのは君だろう?
マーガレットは君の庇護など必要とはしていない。一人で立派に生きて行ける女性なのに、君が鳥籠の中に閉じ込めているんじゃないか。
それに君、ジュリアに一度でも『パパ』と呼ばれたことがあるかい?」
ジャイドを掴むハーディスの手がはブルブルと震えた。
ジュリアが生まれて三年近く経つが、家に帰れたのは十日ほどで、この一年近くは一度も顔を見ていなかった。
だから娘が喋っているところを見たことがない。もちろん『パパ』と呼ばれたこともない。
「未入籍の上に一年も帰らないのなら、それって普通結婚しているとは呼べないよね。お金を送金しているだけだよね。
もし君に、今でもマーガレットに対する愛情があるのなら、早く別れてやれよ」
「別れる? 何故? 僕はマーガレットを愛してる。マーガレットだって僕を……」
「マーガレットが最後に君を愛していると言ったのは、一体いつ?」
いつ? いつ……
僕は毎週マーガレットに手紙を出している。その手紙で彼女に必ず愛を伝えている。律儀な彼女は僕に返事を出したかっただろう。伝えたいこともあっただろう。
しかし、僕は一定の場所に留まっていないので、マーガレットは僕に返事が返せない。
どうしても伝えたいことがある時は、ルードルフ侯爵家のジャイド宛に送り、ジャイドが王城へ持参して、僕の部下へ手渡してくれる。
そして部下はそのマーガレットの手紙を妖精便で、僕の元に送ってくれている。
子供ができた知らせも、ジュリアが無事に生まれたことも、そしてジュリアが歩けるようになったことも。
子供が生まれる時の準備をマーガレットと共に整えてくれ、ずっと励まし続けてくれていたのは、ジャイドと彼の婚約者だったリアナ嬢だった。
お産に立ち会ってくれたのも、ジュリアの初めての誕生日をマーガレットと共に祝ってくれたのも、彼らだった。
家族として、夫として側にいるべき時に、僕は一度も立ち合えなかった。
愛してる、愛していると言いながら、夫として父親として何一つできていない。僕らは家族ではない……ハーディスは今さらの事実を第三者に指摘されて、ようやく客観的に己の行いを省みて愕然となった。
しかし、彼はそれでもなんとか必死に踏ん張ると、ギシギシという音が聞こえそうな不自然な歩き方をしながら、城外へと歩を進めて行った。そんな彼の背に向かって親友が声をかけた。
「君が暫く休暇を取るって、上司に伝えおくよ」
と。
ジャイドは一年前に結婚と同時にルードルフ侯爵となっていた。そしてその爵位を継ぐ際に、『緑の輪の誓い』を立てた。
つまり国家の秘密事項を王族や公爵家、他の侯爵家と共に共有し、決して漏らさないという契約魔法を結んだのだ。
これを破ると、すぐさま繋がっている者達に知れ渡る仕組みになっていて、その身は直ちに拘束されてしまう。
この時初めて、ジャイドはウッドクライス伯爵家の秘密を知ったのだ。
幼馴染みだというのに、彼がまさか『緑の精霊使い』だなんて思いもしなかった。
ハーディスはいつも穏やかな真面目な男で、異能の力を使うところなど一度もなかったからだ。
この時ようやくジャイドは、何故ハーディスがいつもあんなにも忙しくしているのかを知った。
ジャイドに会う度にいつもハーディスは、申し訳なさげな、切なそうな顔をしていた。
そしてしばしば世話になっているからといって、世界中から珍しい品々をルードルフ侯爵家に送ってきた。
しかしそんなことをする暇があるのなら、ほんの僅かでいいから妻子の元に帰れとジャイドは思っていた。
ところがハーディスの特殊事情を知った後は、何も知らなかったとはいえ、ジャイドは友に対して申し訳ない気持ちになった。そしてそれと同時に哀れみを覚えた。
しかしだからといって、マーガレットとジュリアのことを考えるとこのままで良いとはとても思えなかったし、放っておくわけにもいかなかった。
何故なら、時折昔妻から言われた言葉が脳裏に蘇るのだ。
『貴方が協力なんかしなければ良かったのよ!』
お願いだ。二人を幸せにしてやってくれ! と、妻の元へ向かう友人の背に向かって、ルードルフ侯爵は心の中で叫んだのだった。
読んで下さってありがとうございました!