第四十七章 枯れ木令嬢の母の残した手紙
ジュリアが七歳の頃の話の内容です。
それでも愚かにもシンディーは、前夫人としてウッドクライス伯爵家に残ると皆に宣言した。
女主人がいなくなったら困るでしょうと。
それに対してハーディスは、自分には妻がいるので、貴女がいなくても困りません。どうかご実家にお戻り下さいと言った。
それを聞いたシンディーと父親は驚いた。
シンディーはそもそもハーディスとマーガレットのことを一切聞かされていなかったし、父親はとうの昔にマーガレットとは縁を切っていたと思っていたからだ。
「平民の娘との結婚など認めん。このウッドクライス伯爵家の女主人が、貴族でもない娘に務まる訳があるまい」
「大丈夫ですよ。妻はさる侯爵家でしっかりと躾けられましたから、どこかの不実な奥方よりも立派な女主人になりますよ」
ハーディスは今まで見せたことのないほど冷酷な顔で、父親と義姉を一瞥した。二人は思わずヒッと息を呑んだ。
そもそも父親がウッドクライス家の掟を破って、ヘンドリクス侯爵家との縁を結んだからこんなことになったのだ。
そのせいで兄がどれほど苦しんだと思うのだ。
この女があの家で立派に伯爵夫人として務めていたと、と本気で思っているのだとしたら、どれほど父親の目は節穴なのだ。
すると、一人の侯爵家当主がこう援護射撃をしてくれた。
「ええ。ハーディス卿の奥方なら、無事に家を守ってくれることでしょう。彼女はそれはもう立派な淑女ですから。それは我が家が保証致しますよ」
「ルードルフ侯爵? それはどういうことですか?」
「ハーディス君の奥方は我が家で侍女をしていたのでよく知っていますよ。
私の祖母がきっちり教育をしましたからね、ウッドクライス家へ嫁がれても何の問題ありませんよ。我が家のことはご存知でしょう?」
ルードルフ侯爵家は、侍女を含む全ての使用人がしっかりと教育されていることでとても有名なのだ。
陰で花嫁養成学校、職業訓練学校と呼ばれるくらいだ。
いや、実際にそのノウハウを活かしていくつも学校を経営して、優秀な人材を社会に送り出しているのだ。
そこの当主が保証したのなら、間違いのない女性であることは明らかだった。
ルードルフ侯爵はハーディスの学院時代からの親友で、学生時代から交流があった。
そして度々ハーディスが侯爵家を訪れているうちに、そこで働いていた侍女のマーガレットに恋をしてしまったのが、そもそもの馴れ初めだったのだ。
あれ程頑なにマーガレットを籍に入れることに反対していた父親だったが、ルードルフ侯爵のお墨付きをもらうと、あっさりと引き下がった。
ルードルフ侯爵の言葉なら間違いないと思ったのだろう。
それと同時に、これは兄を亡くしたことで、父の心が弱くなったせいでもあることをハーディスも理解していた。
しかし、こんなことならもっと早く彼に助けを求めていれば良かった。自分一人でどうにかしなければと一人で藻掻いた結果がこれか!
友はいつも声をかけてくれていたのにと、ハーディスは悔しくて歯噛みした。
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かつて父親はウッドクライス家の掟を破り、高位貴族のヘンドリクス侯爵家の当時は第二夫人だったマリアの娘、シンディーを嫡男の娘に添えた。
兄ハンスはそれに猛烈に反対したが、その頃父親は権力を高めることに執着していた。
溺愛していた妻を亡くして以来、父親は目に見えない地位や名誉を求め続け、それに取り憑かれていたのだ。
本来精霊使いが求めてはいけないもののはずだったのに。
『緑の精霊使い』として国の国防対策に追われ、ほとんど家庭を省みることもできず任務遂行をした結果、病床にいた妻に寄り添うことも、その死にも立ち会えなかった。
その悔しさや虚しさがそうさせたのだろう。これだけのことをさせておきながら、それに見合う地位も身分も与えないはおかしいだろうと。
しかしそんな父親の思いは、愛妻が残してくれた息子二人を結果的に不幸にした。
父親だって本当はわかっていたはずだ。自分が充てがった嫁がどんな女か。その女が息子を裏切り続けてた挙げ句、もしかしたら……という疑念だって抱いていたはずだ。
しかしそれを認めたくなくて、その疑念は疑念のまま蓋をしめようとしたに違いない。
もしこじ開けて自分の失敗を目の前にさらされたらと考えると、真実に目を向けるのが耐え切れなかったのだろう。
ハーディスは王都に帰還してから烈火の如く怒っていた。しかし、あの冷徹で非情な権威主義者だと思っていた父親の、まるで抜け殻のように弱々しくなった姿を見て、彼を憐れに思ってしまった。
それに長年の、最大の難関をこれで越えた。高位貴族の御前でマーガレットとのことを周知させるこもができたのだから。
ハーディスはついホッとして油断してしまったのだ。
いや、油断と言ってしまうとあまりにもハーディスが気の毒かも知れない。彼はその前後一月以上寝る間もなかったのだから。
しかし、彼は善人過ぎた。
悪人は知識と教養がなくても己の欲望のためには、ない知恵を絞り出せるものなのだ。
ハーディスはどんなに忙しくても、やはりまず一番最初に危険だと感じていたものはすべて排除しておくべきだったのだ。
そして非情になってでも、彼は最優先すべき大切な者達を守るべきだったのだ。
たとえ死ぬほど忙しかったとはいえ、妻にたった一通手紙さえ出してさえいれば、彼は愛する家族を失うことはなかったのだから。
様々な引き継ぎをした後、ハーディスはまだ後処理が残っていた南の国へ向かい、部下に一通り指示を与えた。
そしてはやる気持ちを押さえつつ、彼は妻子の住む港町へ半年ぶりに帰った。
しかし、そこには既に愛する二人の姿はなかった。
『この度は兄上様がご逝去されたとお聞きしました。あまりにも突然のことで、私も信じられない思いです。
心からお悔やみ申し上げます。
大切なたった一人の兄上様を亡くされハーディス様の心境を思うと、私も何と申し上げてよいのかわかりません。
その上兄上様の跡目を継がれたということで、以前にも増してお忙しくされていると伺って、無理をされていないか心配しております。
貴方様はこの国にとって大切なお方です。どうぞお食事と睡眠だけはきちんととって、どうかお体にだけは注意なさって下さい。
私では貴方のお役に立てないことが悲しくて残念ですが、せめて足手まといにだけはなりたくありません。それ故に、ジュリアと共にここを去ろうと思います。
ご存知のことと思いますが、私には学生時代に取得したスキルがありますので、親子二人生活して行くのに困ることはありません。どうかご心配なさらないで下さい。そして決して探さないで下さい。
今まで本当に幸せでした。ありがとうございました。
ハーディス様、並びウッドクライス伯爵家の皆様のご健康と幸せをお祈りします。
マーガレット=ローリー』
正式に結婚はしていなかったが、娘のことは籍に入れていたので、防衛統括大臣の娘であるジュリアを、公の組織を使って捜索をした。
普通ならそんな私的利用するべきではなかったのだが、既にハーディスには恥も外聞もなかった。
そしてそんな気持ちを親友のルードルフ侯爵を始めとする高位貴族はよくわかっていたので、皆何も言わずに協力してくれた。
しかし捜索を開始したのが、家を出て一月も経った後だったので、全てが後手に回り、半年後、公の捜索はウッドクライス伯爵家の私的捜索に変わって、その後六年近くも続けられたのだった。
マーガレットはとても優秀な女性で色々な資格を有していた。そしてそれが捜査の災いとなった。
何故なら、彼女が持つ多くのスキルに関する職業の関係から、彼女のことを探していたせいで、無駄に時間がかかったからだ。そのせいで結局彼女を見つけられなかったのだ。
実際のマーガレットは、自分のスキルとは何の関係もない、ただ娘が気に入った仕事をしていたのだから。
そう。夫と同じ能力を持った娘が好きな、緑に関する仕事を。
そもそもマーガレットは元は農園の娘だったのだから、彼女の資格欄に掲載されてはいなくても、農業のスキルはあったのだ。
しかし、出逢った頃は既にまるで貴族令嬢のような淑やかな雰囲気を醸し出してたマーガレットに、土にまみれて働く姿などハーディスには思い付きもしなかった。
港町の小さな家の小さな庭には、マーガレットが娘と共に造った小さな花壇があった。
そこにはいつでも何かしらの植物が植えられていて、絶えず綺麗な花が咲いていた。
疲れて帰って来た夫の、僅かな癒やしになればいいと思って。
しかし、夫のハーディスは滅多にその家に帰ることができず、しかも、その僅かな時間は愛する妻と娘にだけにその目が注がれていた。
そのために彼は、妻の想いに最後まで気付くことはできなかった。
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