第四十五章 枯れ木令嬢の父が多忙だった理由
時系列的には、ジュリアが母親のマーガレットと共に港町から去った頃から、ジュリアが昔馴染みのロマンドと婚約が決まった頃くらいまでの話。
父親が一体どれくらい多忙だったのかがわかると思います。
ハーディス=ウッドクライス伯爵は、ようやく見つけ出した一人娘を王都の屋敷に迎え入れた時、まずは娘には学問と淑女教育を優先すると言って、デビュタントを迎えるまでは社交場へは出さないように義姉に命じた。
それはジュリアが『緑の精霊使い』であることを、周りに知られないようにするためだった。
しかし、まさかそのことが、娘を蔑ろにしてもよいと解釈されるとは思いもしなかった。
街中に出かけるくらいなら自由にさせてよかったのに、あの女はジュリアの外出を禁止した。
そのくせに毎日のように朝市へ食料品を買いに行かせたのだから、単なる虐め、嫌がらせだ。
使用人も食べる食材をその家の令嬢に買いに行かせていたのだから。本当に信じられない行為だ。
それでも娘は、それが唯一外出できる機会だったので、それを嫌がっていたわけではなかったようだ。それが悔しい。
しかも使用人の残り物を食べさせていた。それも腹も満たない量だった。
空腹で苦しんでいても、誇り高いジュリアは盗み食いなどできるはずもなかった。
ほぼ毎日朝市へ行かされていたジュリアにとって、それは拷問を受けているようなものだったろう。
それを知った時、ハーディスの瞳が怒りで赤く染まった。
彼が人に対してここまで怒りを感じたことは、かつて一度もなかった。
そう。そしてその怒りは己自身に対しても向けられたのだった。
✽
西の国から戻ってきたハーディスは、今まで以上に忙しく動き回った。
本当は屋敷に戻ってジュリアの顔を見たかったし、一緒に暮らしたかった。
しかし、色々とやらかしてしまったので、西の国の反政府の輩や、『黒の精霊使い』のはぐれものに娘が目をつけられてはまずい。そう思って屋敷には近付かずに王城内の一室に住んでいた。なるだけ接触は避けた方がいいだろうと。
それにたまたま今回のことで、我が国に暗躍する西の国の連中が、だいぶ以前から既に存在していたことがわかった。
それ故に、防衛統括大臣として陣頭指揮を執るためにも王城の方が、ハーディスには都合が良かった。
ハーディスはまず、ジュリアとロマンドを即刻婚約させた。王太子に狙わていると知って、できればすぐに二人を結婚させたいところだった。
しかし、娘にも心の準備というものもあるし、婚約者同士との楽しい時間を奪っても、後々恨まれそうでそれは避けたかった。
娘の婚約者になった花男爵は、思っていたより遥かに優秀でできる男だった。しかも本当に娘を大切に思っていてくれて、それが何よりも嬉しかった。
彼の秘書をしているロバートもかなりの切れ者だ。もちろん彼が優秀なことは、以前から知っていたのだが。
屋敷周りに関することは暗部に任せ、ウッドクライス伯爵家内部の人間に関することは、花男爵とその秘書、そして警邏隊に探って貰うことにした。
そしてジュリアの護衛はルフィエだ。彼は人物の人種や国籍を見抜く力がある。
つまり、怪しい人間から必ず娘を守り抜いてくれるだろう。
ロバートはルフィエのことを不審に思っているようだったが、ハーディスはルフィエにこの上ない信頼を置いていた。人間性もその腕においても。
だから、娘が花男爵と顔合わせをしたその翌日、彼から届いた精霊便を読んでハーディスは仰天した。
そしてあの西の砂漠の国において、ハーディスは思いもよらなかった事実を突き付けられて逆上したのだ。
義姉や甥や姪、使用人、そしてルフィエに対して。
もっともその数週間後、ルフィエの人となりを知った花男爵達から、逆にハーディスの方が窘められてしまったのだが。
ルフィエに対する指示の仕方が間違っていたのだと。
✽
ここ数年ハーディスはある大きな事件を捜索していた。
元々はある詐欺事件を、地方の警邏隊が対応していた案件だった。というのも、最初のうちはただ金を巻き上げるための、単純な詐欺かと思っていたからだ。
しかし、やがてそれが大掛かりな農地の乗っ取り計画だ、ということがわかってきたのだ。
見かけは農地を肥沃にするという謳い文句の肥料を、『今だけ特別あなたにだけにニ割引き……』っという、騙しの常套句で商品を売りつける典型的な詐欺。
ところがこれが、ただの金銭目的の詐欺ではないことが徐々にわかってきたのだ。
何故なら、この肥料は効き目がないどころか害悪だったからだ。
この薬を撒くと土地が汚染されて、農産物が枯れて、二度と植物が生えなくなってしまうのだ。
もっとも『緑の精霊使い』、もしくは時間が多少かかったとしても『緑の手』の持ち主がいれば、その汚染された土壌を浄化することができた。
しかし当時はそれらは、一般的に知られてはいなかったのだ。
だから『緑の手』のいない小規模農家が詐欺の被害者となった時、契約していた農産物を提供できなくなって、違約金を払わざるを得なくなったのだ。
そこで仕方なく農地を売り払うケースが増えていったのだという。
しかも摩訶不思議なのは、その汚染された土地をいくら底値だとはいえ、購入する者がいたということだ。
そしてその土地は一、二年経つと浄化された後にまた売られていた。
それも安価な値段で……まるでたたき売りのように。
一見するとまるで土地転がしのようだが、農地の値段がそれほど釣り上がっていたわけではなかった。
彼らの目的は一体なんだったのだろうか?
もちろん、数年前にこの詐欺事件が露見した後は、農家に注意喚起をしたので、そんな怪しげな肥料に手を出す者はいなくなったようだが。
そしてその後次第にこの詐欺被害の話も聞かなくなり、結局犯人も捕まらなかった。
✽
ところが二年前に、ハーディスは再びこの詐欺事件に関する話を偶然聞くことになった。
それはプラント男爵家と縁ができた時、男爵家が傾いた大元の原因が、例の肥料詐欺によるものだと知ったからだ。
これで詐欺にあったのが小規模農家だけではなかったことが判明した。
というより、プラント男爵家はロマンドの『緑の手』で土地を浄化したせいで、土地を手放さずに済んだ。
言い換えれば、詐欺集団は毒入り肥料を売りつけて小銭を手に入れ、土壌を汚すことができた。しかし、最終目的である土地買収には失敗したことになる。
つまり大きな農家に手を出しても、『緑の手』の持ち主に浄化されてしまうことを知り、狙うことを諦めたのかも知れない。
つまり、プラント男爵家はこの詐欺事件のターニングポイントだったに違いない。そう、ハーディスは確信した。
詐欺師の男は、他の詐欺事件の被害者達の証言と酷似した、灰色の長い髪を後ろで縛り、ローブ姿の異国の人間に見えたという。
ロバート=サントスからこの話を聞いた時、ハーディスの頭にはふと西の国のことが頭に浮かんだ。
緑を腐らせて土地を汚す……
確かにそれは誰でも簡単にできることで、何も『黒の精霊使い』でなくても可能な犯行だ。
ライバルを蹴落とすために、枯葉剤を撒くなんてことはよくある話なのだ。
しかしあの詐欺集団はただ緑を枯らして、嫌がらせをすることが目的ではなく、もっと単純に枯れた植物及びその汚染された土地が必要だったとしたら……
肥料作り?
いや、汚染された土壌を調べた結果、かなり悪性の毒が含まれていて、とてもじゃないが普通の肥料にはならない。
それでは詐欺用の肥料作りか?
いや、あれは安価な品で、大した儲けにはなるまい。
恐らくもっと価値のある何かを、汚染された土地で産み出していたに違いない。一体それは何なんだ?
そう思案していた時に、流通部門の国際担当者からある情報を入手した。
なんと世界中の市場に質の悪い『黒の精霊の宝石』が出回り始めているというのだ。
それを聞いた時すぐに私はピンときたのだ。『黒の精霊の宝石』の原材料は腐敗した植物だと。ただし本来それは、長い長い時をかけて熟成されるものだが。
なるほど。西の国の『黒の精霊使い』のはぐれものが、反政府主義者と手を組んで、偽『黒の精霊の宝石』を我が国で製造していたのか。我が国へのとんでもない侮辱行為だ。
それにしてもあいつらは自国の価値を下げ、他国からの信頼をなくして一体何がしたいのだろう。
たとえ自分達が上に立つことができても、自国の信頼を一度なくしたら、そうそう回復などできるはずがないのに。
交易をしなければ、西の国の民は生きていけない。それをわかっていてやっているのだろうか? 奴らは自分で自分の首をしめている。
もちろん、これまでの政府の対応にも問題はあったのだろうが。
ハーディスは騎士団と警邏隊にもう一度被害にあった土地を調べ、その周辺の聞き込みをするように指示した。
しかもなるべく目立ぬように。もしかしたら国内でまだ、西の国の者達が秘密裏に暗躍しているかも知れない。
そしてそんな彼らの手伝いをしている裏切り者もいるかも知れないのだ。だからそんな輩を、油断させておく必要があったのだ。
それからハーディスは、騎士団の訓練場という名目で、まだ買い手のつかなかった、詐欺で奪われた土地を試しにひと区間購入した。
そしてそこを深く深く掘り起こさせてみると、なんとそこは砂地だった。この国には砂地などあるはずがないのに。
そしてその後、特殊部隊の『緑の精霊使い』の一人が、その砂地に僅かだが『黒の精霊の宝石』が含まれているのを確認した。
このことによって、例の詐欺事件には『黒の精霊使い』が関与していたことが確定したのだった。
その上聞き込みの結果、以前その土地に大量の土砂が運び込まれたという事実が判明した。近所の者達は、汚染された土壌を覆うためだろうと解釈して、誰も不審には思わなかったという。
しかし現実は土壌の表面を覆ったのではなく、地下に混ぜ込んでいたのだ。腐敗させた草と共に。
そしてそれから数年後に再び幌馬車で何か大量の物が運び出されていたこともわかった。
恐らくまがい物の『黒の精霊の宝石』だろう。
西の国では、まがい物の『黒の精霊の宝石』が出回らないように輸出の際の税関を厳しくしているのだという。
しかし、そもそもそれが他国で生産されていたのだから防ぎようがなかったわけである。
ハーディスは判明した事実を宰相へ報告した。
そして宰相はそれを西の国、並びに近隣諸国にも伝えた。西の国では内密にして欲しかったのだろうが、まがい物が『黒の精霊の宝石』だけだとは限らない。となれば各国で情報を共有した方が良いだろうと判断したのだった。
そしてそれは正解だった。
東の国では『黒の精霊の涙』が……
北の国では『黒の精霊の香り』が生産されていたことがわかった。
問題が大きくなり、国際問題へと発展したために、西の国内で秘密裡に手配していた、反政府主義と『黒の精霊使い』の情報を各国に提供した。
本来自国の精霊使いは最重要事項で極秘なのだが、このまま犯罪者を放置しては自国のためにもならないと、苦渋の選択を迫られたのだろう。
意外なところで、ロマンドとジュリア、そして父親のハーディスが関係していました。
読んで下さってありがとうございましまた。




