第四十二章 枯れ木令嬢と父との抱擁
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壇上には燕尾服に白いネクタイ姿の王太子。
そしてその彼の横に立つのは、先ほどまではデビュタント用の白いドレスを身にまとっていた、王太子の婚約者となったエバーロッテ。
二人はそれはそれはお似合いのカップルだった。
エバーロッテはいつの間にかこの国のカラーであるグリーンをメインとした、華やかな中にも品のあるドレスに着替えていた。
上品に佇む彼女のその姿は、既に王太子妃に相応しい品格を備えていた。
その美しさに大広間中からホーッとため息が漏れた。
もちろんジュリアもうっとりとその姿を眺めていた。
王子様と公爵令嬢の婚約発表の場に、この自分が立ち会えるだなんて、ほんの数年前まで地方の農園で働いていたジュリアには、想像もできないことだった。
大体平民にとって、王子様や公女様なんて雲の上の方々で、ほとんどの者は一生お顔を拝見することなんてない。そんなお二人が今目の前にいらっしゃるのだ。
しかもその公女様は、絵本の挿し絵のお姫様なんかよりも、気高くて上品で愛らしくて、その上親しみやすくて情のある方だった。
そんな方とお話ができたなんて、ジュリアは信じられない気持ちだった。
こんな名誉を得られたのは偏にロマンドのおかげだ、とジュリアは感謝した。
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そう確かに感謝したのだが、その後とんでもない人と婚約してしまったとジュリアは気重になった。
いや、決して後悔したわけではないが、元々彼女は、こう言ってはなんだが、うだつの上がらない年上の下位貴族の後妻にでもなるのだと想定していたのだ。
だから、華やかな社交場に出て、大勢の人から注目されることは一生ないと考えていた。
ただし父親に引き取られてからは、一生に一度、デビュタントの冠を授かる時だけ、王城へは向かうかもとは思っていたが。
そして、そのデビュタントの式典は無事終わったというのに、何故自分は再びこの壇上に立っているのかしら……
遠い目をしたジュリアは、ロマンドと共に王太子によって、大広間にいる招待客に紹介された。
王太子とエバーロッテの婚約に際しての一番の功労者と、その婚約者として。
ええ、男爵様は功労者でしょうとも。先ほどエバーロッテ様にお聞きしましたから、それはそうだろうと思います。
お二人が男爵様に深く感謝をされていることは理解できます。
でも私まで何も同じ壇上に上げる必要はないのではないか、とジュリアは文句を言いたくなった。
多くの老若男女が壇上のロマンドを見て、顔を赤くしてうっとりと見つめていた。
皆様の気持ちはわかりますよ。こう言っては大変失礼ですが、本日の主役の王太子殿下より、男爵様の方がずっとお綺麗で華やかですもんね。
だけどそれは並べて比較すればの話です。王太子殿下がお一人で立っていらっしゃったら、断トツで素敵な方です。
それなのに何故男爵様を態々ご自分のお隣に置くのですか!
そりゃあ私ならエバーロッテ様の引き立て役にピッタリでしょうが、男爵様の場合は……
こんな不謹慎なことを考えていたジュリアに、エバーロッテが耳元でこう囁いた。
「これで貴方方二人が婚約者同士であること、そして殿下や私とは近しい人間だということが周知されるでしょう。
完全とはいえないけれど、これで少しは貴女に対する嫌がらせが減るのではないかしら。
もちろん表立ってしないというだけで、地下に潜って、陰で誰だとわからないように意地悪する人もいると思うから、決して油断はできないけれど。
それに、伯爵家の人達もさすがに、今後は貴女に手出しをしないのではないかしら」
と。
ジュリアはハッとした。
そうか、男爵様一人で絶えず私を守るのは難しいと、お二人が助け舟を出して下さったのか。
今頃気付くなんて、なんて鈍いのかしら。
それにしても、いくら恩を感じているからといって、二番目の男になる覚悟(とても不敬!)をされ、身を挺して友人を守ろうとするなんて、王太子殿下はなんて懐の深い方なんだろう。
ジュリアは感激したのだった。
「堂々と笑って! 一緒に手を振りましょう」
エバーロッテにそう言われて、ジュリアは必死に笑顔を作って、壇上から小さく手を振った。その時ふと、ウッドクライス伯爵家の人々が彼女の目に入った。
何故か皆挙動不審だった。
コソコソと出口へと向かっていたようだったが、近衛騎士に囲まれてしまっていた。
「伯爵、僕達の想定より早く行動を始めたようだね」
ロマンドもジュリアの視線の先に気付いたようで、小さな声でこう囁いたのだった。
✽
王太子とエバーロッテの婚約発表が無事に済んだ後、ジュリアはロマンドやルフィエ、ロバートと共に、王城のとある一室に連れて来られた。
そしてそこで彼女が目にしたのは、十か月振りの父親の姿だった。
「お父様!」
「ジュリア!」
久しぶりに父娘が抱き合った。それは、彼女が住み込んでいた農場で父と再会した時以来だった。
引き取られてからは、父親は三度しか帰宅しなかったし、その時も家族に邪魔をされて、ほとんど近付けず、ろくに話もできなかったからだ。
「ジュリア、よく顔を見せてくれ。なんてことだ、あんなにふっくらしていた頬がこんなに痩せてしまって。ああ、腕まで……」
思わず枯れ木のような……と言いかけて、父親はどうにかここで言葉を止めた。
しかし、愛娘の次の言葉で頭の血管が切れそうになった。
「でもお父様、これでも大分太ったんですよ。ルフィエさんや男爵様のおかげで色々美味しい食べ物を頂いたので。
このままでは太り過ぎになってしまうのではないかと、心配になっているくらいなんですよ」
これで太ったのなら、その前はどうだったんだ!
娘を傷付けたら許さないとあれ程言っておいたのに、暴力を振るわなければそれ以外は何をしてもいいとでも思っていたのか!
思わずハーディス=ウッドクライス伯爵は、護衛のルフィエを睨みつけた。
するとそれに気が付いたジュリアにこう言われてしまった。
「ルフィエさんには本当によくしてもらいました。ルフィエさんはこの三年近く、一日の休みもなく私を守ってくれたんですよ。お酒だって一滴も飲まずに。
それに比べてお父様はお酒飲み放題だったのでしょう?
ウッドクライス伯爵家の護衛は最低最悪の職場ですよ。雇用主のお父様は懲罰ものです。
私を思って下さっていたのなら、せめて侍女を一人でも付けて下されば良かったのに」
「ルフィエからそんな要望はなかったから……」
「ルフィエさんは雇用主から、外的な危険から守れと命じられていただけでしょう? それ以外のことを報告するわけがないじゃないですか。
お父様の指示のし方が悪いんです」
「すまない。本当にすまなかった。みんな私が悪いんだ。ロマンド君やロバート君にも注意を受けたよ。
昨日の件を聞いた時、もしお前が怪我でも負わされていたかと思うと、今でも体の震えが止まらない。
危険な目に遭わせてすまなかった」
「それはいいんですよ。出ようと思えばもっと早くにあの屋敷から出られたんですから。
証拠集めをしたいと言ったのは私ですからね。ヴィオラさんには大変申し訳なかったですが」
こう言いつつ、ジュリアは今まで言えずにいた憤懣やるかたない思いを吐露した。
実際のところ、ジュリアはずっと父親を憎むとか恨むという感情を持っていなかった。母と自分は別に父から捨てられたわけではない。母が自ら身を引いただけだとわかっていたのだから。
まあ、そのきっかけを作った義伯母のシンディーのことは、憎いと思うし嫌いだが。
だから、母が亡くなって孤児になった時も、父親を恨んだり、会いに行って恨み辛みを言ってやりたいとかは考えなかった。
まあ、できれば母の死を伝えたいと思ったくらいだ。
我ながら薄情な娘だとは思ったが、そもそも家を出る前から一緒にいる時間が少な過ぎたのだ。
かわいがってもらった記憶はあったが、それはたまに会う優しい親戚のおじさんのようなものだったのだ。
むしろ父を恨みたくなったのは、伯爵家に引き取られてからだ。
大好きだった農園の仕事ができなくなった。
そして、下働きのような仕事ばかりを無給でさせられて、虐めや嫌がらせはされるし、食事は使用人の残り物や廃棄処分されそうなものばかり。
しかも量が少なくていつも空腹で苦しかった。
何故態々引き取っておいて実の娘にこんな扱いをするのか、ジュリアには理解できなかった。
そしてどんなに逃げ出そうとしても、腕利きの護衛がついていて逃げられなかった。
ジュリアはルフィエではなく、父親のことを恨めしく思っていた。
ルフィエはただ仕事をしているだけで、彼を嫌うのは筋違いだとわかっていたからだ。
それにジュリアはいつも側にいるルフィエに、いつしか肉親の情のようなものを感じるようになっていった。
それは母親以外で、一番長く彼女の側にいてくれたからだろう。
ただしそれが仕事のためだともわかっていたから、食事の愚痴をこぼさなかったのかも知れない。
そしてルフィエの方もジュリアを妹のように感じ始めていたが、彼女の食事事情には疑問に思わず、何も対策をとらなかった。何故なら彼女の貧しい食事こそが、彼にとっては普通だったからだ。
ルフィエの育った家は貧乏で、似たような質素な食事だったのだ。
もちろん修道騎士団にいた頃は血の滴るステーキなど、ボリュームのある食事をしていた。
しかしそれは護衛としての体力を維持するためであり、一般の少女の量はずっと少なくても事足りると思っていたのだ。
観察力が足りないとルフィエはロバートから何度か叱咤された。
しかし実際の敵に対する観察力や洞察力なら、ロバートとは比較できないほど鋭いのだ。
ただそれが女性、いや若い娘に発揮されないだけで。
「お父様はこの国の防衛責任者なのでしょう? 自分の屋敷の中も把握できないで、よく国家を守れますね。
お忙しいのは重々わかっています。しかし本当に私を守りたいと思ったのなら、ご自分の息のかかった侍女かメイドを雇うか、元々いた使用人の中からスパイというか、子飼いを作っておけば良かったのではないですか?
王城の影の方々が屋敷を見守って下さっていたそうですが、内部のことまでは守れませんよね?」
これはやはり父親が悪いのであって、ルフィエではないとジュリアは思った。
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