第四章 枯れ木令嬢の婚約報告
家に戻ると、ジュリアは義母や姉達に顔合わせの結果を尋ねられたので、婚約の書類にサインをした話をした。すると皆が驚いた顔をした。
ジュリアが文句を言わずにあっさりと承諾したのはもちろんのこと、相手の男爵がすんなりジュリアを受け入れたことも予想外だったのだろう。
こんなみすぼらしい娘と婚約したなんて、やっぱり伯爵家の娘なら誰でも良かったのね。
伯爵家という身分や仕事の繋がり欲しさの縁談だったんだわ。
きっと本命の女性は他に囲っているに違いないわ。
さもなければ幼女趣味に違いない。
……と皆は思った。
十六歳のジュリアは、まるで枯れ木のように痩せ過ぎて貧弱な体型をしている上に、顔だけはふっくらした童顔だったのだ。
伯爵家の者達は皆、ジュリアをみっともない娘だとボロクソに罵っていた。しかし実際は違った。
焦げ茶色のウェーブのかかった柔らかそうな長い髪に、薄茶色の大きな瞳を持つ、いわゆる美少女だった。
そして、美丈夫だと評判の父親に瓜二つだということに、皆は気付いていた。
そう、五人いるウッドクライス伯爵家の子供の中で、ジュリアだけが父親に似ていた。
それ故に却って家族から妬まれ苛められていたのだった。
「それにしても屋敷に送ってもこないなんて、随分と失礼な方ね。婚約が決まったというのに挨拶もしないなんて」
「いくら下位貴族だからといって一応貴族なら、それくらいの常識は普通は持っていそうなものなのに」
「いい年をして礼儀も弁えないような方とお仕事をして、お父様は本当に大丈夫なのかしら?」
「全くだわ。貴女が結婚してもそんな男爵家とはお付き合いするつもりはないですからね」
「「「わかっている? ジュリア?」」」
「はい。わかりました」
プラント男爵を悪く言われてジュリアはムッとした。
しかし本当のことを言って姉達が男爵を気に入っても困るので、彼女はグッと我慢して何も言い返さなかった。
護衛のルフィエが男爵のことをばらしてしまったらどうしようかと思ったが、彼は余計なことは一切喋らなかった。
聞かれなかったからなのか、興味がなったからなのか……
それとも、ルフィエは男爵の秘書のロバート=サントス卿と一緒にいたから、もしかしたら何か指示を受けたのかも知れないとジュリアは思った。
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ジュリアがプラント男爵と婚約が決まってから、ウッドクライス伯爵邸には毎日のように、屋敷に花束が届けられるようになった。
プラント男爵領で栽培されている花らしく、王都の花屋ではあまり見かけない珍しい花ばかりだった。
最初のうちはその花束は姉達にみな取り上げられてしまったが、毎日届くので、そのうちうんざりした彼女達は、数日であっさりと花に興味をなくした。
そのおかげでジュリアは、男爵から届けられる花々をようやく堪能できるようになったのだった。
ジュリアは庭の物置から花を生けられそうな桶や壊れたり欠けたりした鍋や瓶や器を見つけ出してきては、そこに花を生けた。
殺風景で何も無かった物置部屋が一気に華やいで、ジュリアの気分は明るくなった。
男爵と顔合わせをした六日後、いつものように花を届けに来たサントス卿がジュリアにこう尋ねた。
「明日のお約束は大丈夫でしょうか?」
「はい」
「そうですか。それは良かった。
主人がそれはもう楽しみにしておりますので。
それで早い時間で申し訳ありませんが、明日の朝八時にお迎えに来てもよろしいでしょうか?
朝食をご一緒させて頂きたいのですが、さすがに早過ぎるでしょうか?」
「いいえ、毎日日の出前に起きていますから大丈夫です」
「・・・・・」
ジュリアは毎日、正確に言えば週に六日、日の出と共にルフィエを連れて朝市へ出かけるのが日課になっていた。
それに早起きは農園にいた頃からの習慣なので、別段苦ではなかった。八時なら余裕だ。
一昨日、日曜日の朝市には代わりの者に行って欲しいとジュリアが言ったら、露骨に嫌な顔をされた。
しかしプラント男爵と出かける約束があると言うと義母は何も言わなかった。
ジュリアをデートに行かせなかったら、男爵経由で伯爵の耳に入るのを義母は恐れたのだろう。
「それでは明朝また伺います」
「ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
ジュリアはニッコリと微笑んだのだった。
翌朝、約束通りにサントス卿が迎えに来てくれて、ジュリアは彼と共に馬車に乗り込んだ。
ウッドクライス伯爵家の護衛のルフィエは御者横の助手席に座った。
「サントス様、毎日お花を届けて下さって、本当にありがとうございました。私はあのお花達に元気を分けてもらっています」
馬車が動き出すと、ジュリアは改めてロバート=サントス卿に礼を言った。
「そう言って頂くと、花作りを生業にしている我がプラント家としては嬉しい限りです。
今までの花は主自ら選んだものですから、主がそれを聞いたら大変喜ぶことでしょう」
一見すると堅苦しそうな美丈夫であるロバートが、優しく微笑んだ。
「まあ、男爵様が選んでくださったのですか? 嬉しいです。
明るいお花が多かったでしょう? ですから部屋がパッと華やいで、とても元気が出ました」
「それは良かった。まだジュリア様のお好きな花がわからなかったので、主は色々と試行錯誤していたようですが……
私がジュリア様にお聞きすれば済むことなのに、主が直接貴女の口から教えて頂きたいらしくて、お尋ね禁止を言い渡されていたんですよ」
ロバートはクスクスと笑った。
「まあ、そうだったんですか。
お忙しい男爵様に私なんかの為にお気を使わせて申し訳ありませんでした。
私……どんなお花でも、いいえ草でも木でも、植物はみんな好きなんですよ。
でも、やはり明るいお花はとても嬉しかったです。部屋の中がパッと華やいだので。それに香りもとても優しくて」
どんなお花でも好き……結局答えを聞いてしまったとロバートは苦笑いをした。しかし、部屋が華やいで気分が上がったのなら何よりだ。
ジュリアが半地下の暗い部屋で寝泊まりしているとルフィエから聞いたので、主にはそれとなくそのことを伝えておいたのだが。
この事実を知った時、主だけではなくロバートも腹を立てて、思わず情報元の男を殴りつけていた。
令嬢を守れと主に命じられておきながら、何故こんな事態を放置していたのかと。
彼がきちんと報告さえしておけば、いくら忙しいとはいえ、彼の主が愛娘のためにきちんと対処していたであろう。
「そんな日も当たらないような、寒くて湿気の多い所で寝泊まりしていて、もしお嬢様が病気にでもなったら、君は主にどう言い訳するつもりなんだい?
ただでさえご令嬢は栄養状態が悪いのか、あんなに体が痩せこけていているのに」
護衛のルフィエは伯爵家というより伯爵本人に雇われていた。そして、娘を守れと主から命じられていたのだ。
しかし、食事の毒や暴力には気を遣ってはいたが、衣食住の細かな所までには彼は気が回らなかったようだった。
あんな状態に置かれていて、よく胸の病気にならなかったものだとロバートに言われて、男はガタガタと震え出した。男の両親は胸の病で亡くなっていたらしい。
まさか自分達が昔暮らしていたような環境が、胸の病気の原因だとは思ってもみなかったようだ。
つまり自分が育った環境と似ていたから、特段に劣悪だとは思わなかったらしい。
男は悪い人間ではないようだったが、気の回らない、鈍い男だったようだ。
ロバートも子供の頃は男と似たような環境だったが、彼は自ら劣悪な環境から抜け出し改善しようと努力を重ねて今に至っていた。
それ故に男を腹を立たしく思ったのだ。しかし感性の違いは致し方ないのかも知れない。
それに自分はよい人達と巡り会えたという幸運もあった。
そう思うと、何故か男をただ切り捨てることができなかった。
ロバートは男に対して、ジュリアの置かれている状態が、一般的にどんな酷いことなのかを事細かく説明してやった。
花を届けに行く度に。
ジュリアのこれまでの生い立ちを話してやると、ルフィエは涙を流した。
そして今後は必ず彼女のことを守るとロバートに誓ったのだった。
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