第三十九章 枯れ木令嬢と跡継ぎ問題
「私ね、本当にロード様にはお世話になったんです。
詳しいことはまた後々お話しさせて頂きたいと思っておりますが……
先ほど申し上げたように、本当はデビュー前にお話をしたかったのです。もし嫌な話が貴女の耳に入ったら誤解させて傷付けてしまうかもと思って」
エバーロッテが少し困ったような顔をして言った。
「誤解ですか?」
「ええ。ロード様がまだ学園に在席されていた頃、ロード様と私がお付き合いしているというでまかせが広がって、一時期私達は四面楚歌状態に陥ったことがありますの」
エバーロッテの言葉にジュリアは動揺を隠せなかった。まさしくさっき自分がそれを疑っていたのだから。
「それってね、王太子殿下のせいなのよ。本当に腹立たしいわ。
私のことを好きなくせに、妃にしたら私に苦労させるからって、私をわざと突き離したの。
そのくせ未練タラタラで私を目で追っていたものだから、まるで私が殿下を振って、ロード様を選んだみたいに周りから思われてしまって。
私がロード様に色々とご相談していたから余計誤解されてしまったんだわ。
ロード様には本当に申し訳なかったですわ。色々嫌がらせを受けたり、学園内で孤立無援状態になってしまったのですもの」
本当に申し訳なさげなエバーロッテの顔を見て、何故ロマンドがいつも複雑そうな顔で王太子の話をするのかがわかった。
ロバートはロマンドが王太子と親しいことを誇らしげに語っていたが、それはロマンドがそんな苦しい状況だった時の事情を知らされていなかったからなのだろう。
まあ、いくら一番信頼している相手にだってそれは言えないだろうとジュリアも思った。悔しくてうっぷんを晴らしたいと思っても、王族にまつわる話を外に漏らすわけにもいかないだろうし。
それを私が今聞いてしまっていいのだろうかとは思うけれど。
「そんな辛い立場でいらしたのに、私が立派な妃になれる覚悟を持てるようにって、協力して下さっていたのよ。生徒会の仕事をしながらね。
そして私もその頃から貴女のお話は聞いていたのよ。ロード様から。
もしロード様に想い人がいらしたら、私との噂を知られてお困りになるのではないかと心配になったので。
そうしたら、ずっと思い続けている相手はいるけれど、王都からずっと離れた場所にいるので問題ないとおっしゃったの。
だから半年前、ロード様が初恋の方と婚約されたと聞いた時には、自分のことのように嬉しくて、早くジュリア様にお目にかかりたいと思っていたのです。それなのに一向に会わせて頂けなくて」
少しきついご令嬢なのかと思っていたら、上品ながらも気取らない可愛らしい女性で、ジュリアは少しホッとした。そして、
「それはロマンド様のせいではなく、私の方に事情がありまして。申し訳ありません」
ジュリアがこう言った時、彼女の名を呼ぶ者がいた。
「ジュリア、ジュリア!」
ジュリアが横を向くと、義従姉妹のリンダとキャシーが小さく手を振っていた。そしてそのすぐ後ろには義伯母と義従兄が複雑な顔をして立っていた。
ジュリアが一瞬眉を顰めたのを見逃さなかったエバーロッテは、小さな声でこう尋ねた。
「もしかしてあの方達が貴女のおっしゃる事情ですの?」
ジュリアは彼女の察しの良さに驚きながらも頷いた。家の恥を晒すのは良くないことだろうが、どうせこの方には誤魔化せないような気がした。
「ウッドクライス伯爵家の者達なんです。でも、私は彼女達とはあまりうまくいっていないのです。お恥ずかしいことなのですが。
エバーロッテ様があの人達と関わりを持つと大変なことになりますので、またのちほど……」
このパーティーに参加すれば彼らに遭うのは当然覚悟していたが、まさか王族関係者といるところで出くわすとは。
貴族どころか一般常識があるとは思えない彼らと、王太子の婚約者になるお方を接触させるわけにはいかない。
ジュリアは頭を下げて、エバーロッテから離れようとした。しかし彼女がジュリアに付いて来ようとしていることに気が付いたので、彼女に小さな声でこう告げた。
「今日は大切で特別な日でございましょう? また、次の機会にご指導お願い致します」
エバーロッテは小さく息を飲んだ。そして、か細くてオドオドと気弱そうだと思っていた少女が、背をピンと伸ばして堂々と敵(?)に向かって歩を進めて行くのを見つめた。
まあ、彼女の騎士が後をちゃんと追って行ったから大丈夫か、と公爵令嬢は少し安堵した。
あの騎士は最強で、しかも最後まで愛する人を守り通せる人だ。
ただの後輩に過ぎない自分のことだって、どんなに辛い立場だって庇い通してくれたのだから。
正直なところ、先輩に想い人がいなかったら、あんな情けない王太子なんか見限っていたかも知れないと思うエバーロッテだった。
今日この後で王太子との婚約が発表がされる。その前に、ロード先輩と彼の愛する婚約者に会って話せて良かったと彼女は心から思った。
これで自分も最後の覚悟がついたから。それにしても……エバーロッテは思い出し笑いをした。
『何故正直に話して下さらなかったのですか?
私は貴方のことを愛しています。いつの間にか貴方は私にとってとても大事な方になっていました。
だからこそ、貴方が幸せになるのだったら、私は悲しくてもおとなしく身を引くつもりですのに……』
ジュリアがロマンドとエバーロッテの関係を誤解して言った言葉。
これは本当に勘違いだし、そう思わせるような言葉を迂闊にも言ってしまった自分が悪いとエバーロッテは反省している。
しかし奇しくもそれが、一年半前に彼女が王太子に向けて発した言葉と同じだったな、と改めてその時の気持ちを思い出したのだ。
✽✽✽
『私を想って下さっていたのなら、何故正直にそのお気持ちを話して下さらなかったのですか?
私は貴方のことを愛しています。貴方のためにならどんな努力でもいたします。
それなのに何故私の覚悟を確かめないで、私が辛い思いをすると勝手に決められたのですか?
いつの間にか殿下は私にとってとても大事な方になっていました。貴方の側で貴方をお支えしていくのが私の幸せだと思っておりましたのに。
しかも私を諦めると決められたのならピシッと切って下さればいいのに、未練がましい目で私を追うから、私は二人の男を手玉に取る魔性の女だと噂されるようになってしまったんですよ。
どう責任を取って下さるのですか!王家が婚約者を見つけてくださるとでもいうのですか!』
王太子はあの当時、既に噂の原因が自分のせいだと気付いて(気付かされて)、ロマンドに謝罪をしていた。
そして、彼をプラント男爵家の当主にするために王宮の御用達に指名したり、人前でわざとらしく話しかけたりして、二人の間には何もわだかまりなどない体を示していた。
ロマンドはそれを喜ぶどころかむしろ困惑していたが。
それなのに王太子のエバーロッテへの態度はあまり変わらなかった。いや違う。
彼女が王太子から距離を置くようにしたら、やたら嫉妬したり、関係のない人に絡んだりして却って鬱陶しくなったのだ。相変わらず話しかけようとはしないくせに、
だからあの時エバーロッテは、そろそろ決着をつけようと思ってあの台詞を吐いたのだ。
もしそれでも態度を改めないのなら、応援してくれていたロードには申し訳なく思ったが、スッパリと王太子とは縁を切って、父親に新たな婚約者を探して貰おうと心に決めていたのだった。
すると王太子は驚くことに、生徒会室の全役員のいる中でエバーロッテに土下座をして、泣いて縋ってきたのだった。跪いて手を取るのではなく。
「エバーロッテ、僕の婚約者になって欲しい、僕は君しか愛せない。君がいないと立派な王になれない。君がいないと生きられない……」
と。まあ、そのことはその場にいた者達が自ら箝口令を敷いたので、役員以外に知られることはなかった。
そう。彼らの友情と憐れみと忠誠心のおかげで、完璧超人と評判の王太子が、実はかなり残念な人間であることを知る者は、少人数で済んだのだ。
✽✽✽
エバーロッテがジュリアから王太子の方に目をやると、大丈夫だと彼は頷いていた。
彼女は王太子と婚約をした時、いくつかの王家の秘密を知らされた。その中の一つがウッドクライス伯爵家のことだった。
爵位は伯爵だが、その実態は王家と肩を並べるほど由緒正しい特別な家であり、侯爵家と公爵家の当主達は、ウッドクライス伯爵家への忠誠を誓っているのだという。
何故なら伯爵家の当主は『緑の精霊使い』の統括者であり、この国の防衛を司る者だからである。
エバーロッテはザッカード公爵家の令嬢である。
そしてその家は代々近衛騎士団を率いる将軍職を務めているのだが、その父親もウッドクライス伯爵の配下なのだという。
それを聞いた時、エバーロッテは本当に驚いた。
てっきり自分の父親がこの国の防衛の頂点に立っていると思っていたからだ。
しかしよく思い返してみると、父親が近衛騎士団長の地位にありながら少しも偉ぶっていないのは、そういうことだったのかと妙に納得したのだった。
そしてその時、プラント男爵の婚約者が、そのウッドクライス伯爵の一人娘だということを聞かされて驚愕してしまった。
伯爵の一人娘が男爵家に嫁ぐなどということは前代未聞だと思ったからだ。しかも実際は公侯爵家よりも尊い家だというのだから。
しかしウッドクライス伯爵家は特殊な家で、本来は代々直系が継承すると決まっているわけではないという。
たまたまこの三代が直系だったので、この事実を認識する者がいなくなっただけなのだそうだ。
ウッドクライス家の当主になる条件は『緑の精霊使い』であることが必須なのだそうだ。
直系がもちろん優先されるそうだが、もしも直系の中にいない場合は、親族の中からもっとも強い力を持つ『緑の精霊使い』が後継者になるらしい。
それ故に伯爵の一人娘であるジュリアが男爵家に嫁いでも問題ないのだという。
とはいえ、本来ならば『緑の精霊使い』プラント男爵が婿入りすれば済む話なのだ。
しかし、男爵家の跡継ぎはロマンドしかいないため、婿入りはできない。そこで伯爵はやむを得えなく娘を嫁がせることにしたのだという。
幼い頃から苦労してきた二人がやっと幸せになれるのだから、引き離すわけにはいかないと。
この時、国王と暗部以外、ジュリアが『緑の精霊使い』だということを知らなかった。
読んで下さってありがとうございました!