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第三十四章 枯れ木令嬢が抱いた恐れ

このあたりから、また大きな山場を迎えます。お楽しみに!

 

「それにしても特殊部隊の皆様はお仕事をなさっているのに、男爵様はよろしいのですか?」

 

 ジュリアが心配をして尋ねると、ロマンドはさすがに苦笑いをした。

 

「いくら伯爵がこの国の防衛の統括閣下とはいえ、さすがに一人娘のことは一番にお考えになっているよ。

 娘の晴れの舞台に婚約者がいるにも関わらず、一人きりで出席させるはずがないだろう。

 まあ、本当はご自分でエスコートなさりたかったのだろうが、それは僕がお断りしたよ。

 今更良い所だけ持って行くのは認められませんと。ただでさえ伯爵は、ドレスのことでかなり点数を稼いでいらしたからね」

 

「まあ!」

 

 ジュリアは大きく目を見開いた。まさかロマンドと父が自分のパートナーの座を争っていたなんて思いもしなかった。でもそれがとても嬉しいと彼女は思った。

 

「父は今日王城にいるのでしょうか?」

 

「ああ、いらっしゃるよ。今日は隣国から大使の方がお見えになっているので、外務大臣とともに接待なさっておいでだ。

 でも、たとえ何があっても貴女に直に祝いの言葉をかけたいから、時間を作るとおっしゃっていたよ。後で連絡がくると思う」

 

「本当ですか、嬉しいです」

 

 思いがけない知らせに、ジュリアは胸が高なった。手紙のやり取りはしていたが、もう十か月以上父には会っていないのだから。

 というより、伯爵邸に引き取られてからも、父が帰宅した際には義伯母や従兄弟達に邪魔をされてほとんど話ができなかったのだ。

 

 ジュリアが喜んでいると、サンドベック侯爵にこう声をかけられた。

 

「花男爵、必要な通達事項は済んだかね? もうシールドを消しても大丈夫かな?」

 

「はい、隊長。ご配慮どうもありがとうございました」

 

「君の婚約者は、統括閣下の大切なお嬢様だ。君にご執心のご令嬢達からはくれぐれも守ってあげてくれ。

 その素晴らしいドレスに何か零されでもしたら大変だから気を付けてやれよ」

 

 侯爵はロマンドの耳元でそう助言した。しかしそれがジュリアにも聞こえてしまい、二人してハッとして、浮かれ気分があっという間に吹っ飛んでしまった。

 

 特にジュリアは…

 

 例の巷で人気の小説ではヒロインがようやく用意したドレスを、ヒーローの取り巻き令嬢に染みを付けられてしまう、という話がよく出てくるのだ。

 

 冗談ではない。両親とマダムが作ってくれたこの大切なドレスを汚されるなんて絶対に嫌だわ。それにまだ父親に見せていないのに。

 

 この場から抜け出したい。父に会えるまでどこかで隠れていたい。ジュリアは一瞬そう思った。

 しかし、それでは逃げることになる。自分は何も悪くないのに。

 

 それに一度逃げたらずっと逃げ続けなければならない。これからプラント男爵夫人として社交の仕事もしなければならないのだから、今弱みを見せてはいけない。

 

 ジュリアがギュッと奥歯を噛み締めた時、薄いモスグリーン色の防御シールドが解除された。

 ガヤガヤという雑音に突然体が包まれて、グラッとしたジュリアをロマンドが支えた。

 

「ジュリア、顔色が悪いよ。少し休むかい?」

 

 ロマンドの声にジュリアは頷いた。そして壁際のソファの所まで導かれると、そこに腰を下ろした。

 

「何か飲む?」

 

 自分の声掛けにジュリアは勢いよく頭を振ったので、ロマンドは目を見開いた。そして彼女の隣に腰を下ろして、少し震える両手に手を触れた。

 

「怖いの?」

 

 ジュリアは頷いた。

 

「ごめんね。僕のせいで。絶対に貴女を守ると言ったのに考えが甘った」

 

 辛そうな顔をしたロマンドを見てジュリアは慌ててこう言った。

 

「男爵様のせいではないわ。私の覚悟が足りなかったの。みなさんが心配して下さっていたのに、軽く考えていたんだから。

 それに……」

 

 ジュリアは一度言葉を切り、情けない顔をしてこう続けた。

 

「私、人の悪口や多少の暴力なら平気なの。慣れているし、無視すればいいことだし。ただ……」

 

 人の悪意に慣れている……

 

 その言葉にロマンドの心にはどうしようもない怒りの感情のが沸き起こってきて、ジュリアの手を包む彼の手まで震えてきた。

 九年前に自分が彼女を守れなかったから、二年前にようやく彼女を見つけ出した時に声をかけられなかったから、彼女をあんなに辛い目に遭わせたのだ。

 

 そして今度は自分のせいでジュリアに嫌な思いをさせてしまうかも知れないなんて。

 攻撃だけでなく防御も訓練しておけば良かった。

 いくら体術が強くても女性に暴力を振るうわけにはいかない。マック隊長に言われるまでそのことに気付かなかった。

 

 自分自身があまりにも歯がゆくて、ロマンドが唇を噛んだ時、ジュリアは言葉を続けた。

 

「ただ……このドレスだけは汚したくないの。

 だって以前父に作ってもらったドレスは、一枚も守れなかった。

 そしてまた両親やマダムの思いのこもったこのドレスまで、もし駄目にしてまったら、そして父にこの姿を見てもらえなくなったらと思ったら急に怖くなったの。

 母の思いがこもったこのドレスを着たところを、私は父に見てもらいたいんです。

 

 でも、だからと言って逃げ出すのも嫌なの。

 私はいずれ貴方の妻となって社交をしなければならないでしょう? だから今逃げては後々馬鹿にされてしまうと思うの。

 それで今どう対処したらいいのかちょっと悩んでいるの。私は本当に社交に慣れていないので。

 ごめんなさい、心配をかけて」

 

 怖い。だけど自分のために逃げ出したくないと言ったジュリアに、ロマンドの胸は熱くなった。

 その時である。

 

「プラント男爵様……」

 

 と声をかけられて、ロマンドが少し警戒心を持って顔を上げると、そこには絶世の美女が立っていた。

 

 ジュリアとロマンドは慌てて立ち上がった。二人ともその令嬢を知っていた。

 ジュリアにとっては先ほどのデビュタントの式典の時に手本にさせてもらった人物であり、ロマンドにとっては学園時代の後輩であった。

 

「お話しをなさっているところを申し訳ございません。ご紹介願ってもよろしいでしょうか?」

 

「もちろんでございます。エバーロッテ様」

 

「様付けはやめて下さい。どうかいつものように名前で呼んで下さいね」

 

 そういうわけにはいかないとロマンドの顔が珍しく引きつった。あれ? この方をご存知なのかしら?

 とジュリアが思っていると、ロマンドがご令嬢に彼女を紹介した。

 

「エバーロッテ様、こちらは私の婚約者で、ウッドクライス伯爵のご息女のジュリア嬢です。

 

 ジュリア嬢、こちらはザッカード公爵家のご令嬢のエバーロッテ様です」

 

「はじめまして、ザッカード公爵令嬢様。ウッドクライス伯爵家のジュリアと申します。何卒宜しくお願いします」

 

 ジュリアは公爵令嬢に向かってカーテシーをした。あの素晴らしいカーテシーをした公爵令嬢のようには上手にはできないと思いながらも今の自分の精一杯を。

 

 初めて会った人との関係はこれから先どう転がるかわからない。だからこそそれが良い巡り合わせになることを願って、心を込めて挨拶をなさい……母の言葉を胸に刻んで。

 

「こちらこそはじめまして。ウッドクライス伯爵令嬢様。どうぞよろしくお願いします。

 できればエバーロッテと呼んで頂きたいわ。これから長いお付き合いをさせて頂くと思うので」

 

 まるで赤紫色の色艶やかなカトレアを思い浮かばせるような、とても華やかで気品がある令嬢が、優しげな笑みを浮かべて言った。

 

 軽くウェーブのかかった鮮やかな赤くて柔らかい髪に白い小薔薇の花冠を乗せ、紫水晶のような透明感のある、少し釣り上がったキリリとした瞳をした女性だ。

 自分とでは住んでいる世界が違うと思われる女性から、長いお付き合いをと言われて、ジュリアは思わず膠着状態に陥った。


「あら、嫌だわ、ロード様。私達の関係についてお話しになっていらっしゃらなかったのですか?

 酷いわ。もうとっくにお話しをなさっていると思っていたのに」

 

 エバーロッテが急に砕けた口調でこう言ったので、ジュリアは再び驚いて目を見開いた。

 

『ロード様? 何故本当の彼の名前で呼ぶの? そんなに親しい方なの?

 もしかしてロードの昔の恋人?

 ううん、もしかしてロードの真実の恋人なの?

 公爵令嬢と男爵では身分違いで正式に結婚できないから、だからカモフラージュで私と婚約したの?

 私とは()()()()(形だけのみせかけの結婚)をするつもりなのね。

 ジュリアの頭の中に小説で知った言葉が浮かんだ。そしてそれが妙にストンと彼女の胸の中で無理なく収まった。

 

『初めての顔合わせの時におかしいと思ったのよね。こんなに素敵な人が何故枯れ木のような自分にいきなり婚約を申し込んできたのかって。女性なんて選り取り見取りだろうに。

 そもそもウッドクライス家にはそこそこ美人の娘が二人もいるのに、何故自分なのかって。

 

 きっとそれは、美人で素敵な女性をただのお飾りの妻にするのはさすがに申し訳ない。だから、どうせ平民が産んだ娘で枯れ木のような娘なら罪悪感も持たなくて済むと考えたに違いないわ。

 しかも調べてみたら家族に虐待されているらしいから、そこから抜け出せるなら白い結婚だろうがなんだろうが喜んで承諾するだろうと。

 それに私達は偶然幼馴染みだったので利用しやすかったんだわ』

 

 事実その通りだったし、とジュリアは半年前を思い出した。

 彼女は相手がたとえどんな男性であろうが婚約してもらいたいと思っていた。よほどの暴力男でない限りは。あの家から出られるなら誰でも良かった。

 もしあの時白い結婚を前提に申し込まれていたとしても、恐らく自分は躊躇わず承諾していたはずだ。むしろそれを喜んだかも知れない。

 

 しかし、今の自分にはそれは無理だ。受け入れられない。他の誰でもいいわけがない。今のロード、いやロマンドでなければ結婚したくない。

 けれど、今後お飾りの妻の座に留まっていられる気力があるのかと問われたらそれは無理だ。

 ロマンドとよくお似合いの美しい女性と、ロマンドが見つめ合う姿を想像しただけで、ジュリアは堪えられなくなった。

 

 ジュリアの頬に涙がスーッと流れて落ちて行った。

 

 読んで下さってありがとうございました!

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