三十三章 枯れ木令嬢と防衛訓練もどき
「このモスグリーン色の幕は周りの方々には見えていないのですか?」
「ええ。緑の精霊様のお力ですからね、見えるのはその使い手だけですよ」
「この幕の中にいれば安全なんですか? その…身の危険だけではなく、プライバシーも…」
「そうですよ。幕の外にいる者達には我々が普通に会話しているように見えているし、会話も聞こえていると思い込んでいる。しかし実際は何一つ理解はしていない。
それに我々に近付こうとしているにも関わらず、自分達が近寄れないということにも疑問も抱いていない。
だからもし幕で覆われていなかったら、今頃君達はあの過激そうなご婦人達に襲われていたところじゃないかね?」
サンドベック侯爵から言外にお前では婚約者は守れないと言われたような気がして、ロマンドはムッとしたが、先輩方はそういうつもりで言ったわけではなかったようだ。
「いや、君が強いことはもちろん知ってるよ。その威力は防衛統括閣下に匹敵するとまで言われているのだし。
実際、訓練中に廃棄予定だった古城を吹っ飛ばしたこともあったよね」
ハッサン子爵の言葉にジュリアは目を丸くして、思わず息を呑んだ。
昨晩どれくらい強いのかとルフィエに問われたロマンドは、王宮くらい簡単に吹き飛ばせそうだと答えていたが、それが誇張ではなく本当だったということを知って、ジュリアは肝を冷やした。
「つまり大きな敵や多くの敵に面した時は威力を発するが、まだコントロールの抑制が完全ではないから、こんな場所でそれを使用するのは難しいだろう、という意味だよ」
「大丈夫ですよ。僕は普通に剣や体術で彼女を守りますから」
むきになってこう言い返すロマンドを紳士達は意外そうに見つめた。普段は年齢よりずっと大人びていてクールな若者なのに、今日は年相応に感情を表しているのを珍しく思ったのだ。
『そうか。感情を揺るがすくらい、それだけ彼にとって彼女は大切な女性なのだな。決して政略的なものではなく』
みんながそんなことを思っていると、ジュリアがニッコリ微笑んだ。
「皆様大丈夫ですわ。私、防御能力がそこそこ使えるみたいなので。
もっとも今まであまり屋敷の外へ出たことがないので、その力を試したことがありませんけれど。
ですのでできれば勉強したいと思っております。ご指導頂けないでしょうか。
特にこの防御シールドを教えて頂けると、とても助かります。正直、ご令嬢の皆様のことが怖いと思っておりましたので」
「ジュリア、本当は怖がっていたのか? ごめん。社交界デビューに不安になっているとは思っていたのだが、それほど怖がっていたとは。
大丈夫だ。僕は君の側から決して離れないから」
ロマンドは焦ってこう言い募ったのだが、君が側にいるからむしろ苛められそうで彼女は怯えているのではないのかと、先輩方はそう思った。
無頼の輩なら簡単に力で排除できるだろうが、女性相手にそれはできないだろうし。
「ありがとうございます。でもこれからは女性だけの社交の場にも出なくてはいけなでしょうから、ある程度自己防衛できないと困ると思うのです。
ですからサンドベック侯爵様、できればこの防御シールドの張り方をご伝授して頂けないでしょうか」
「もちろんですとも。私は攻撃力の方が強いのですが、それでも使えるのですから、貴女ならすぐに使えるようになるでしょう。
それと、先ほども言いましたが、愛称呼びでお願いしますよ、ジュリア嬢」
これにはジュリアはさすがに困ったような顔をした。
「それはいくらなんでも……
侯爵様にそんな馴れ馴れしい呼び方をしたら、父やロマンド様に叱られてしまいます。
ですのでせめてマクシミリアン様と呼ばせて頂けたらと思います」
「お父上は私の上司である統括閣下でいらっしゃって、私は部下ですから、不敬にはならないと思いますけど。それではまあ、二人きりの時にだけ愛称呼びでお願いする」
「二人きりになることは無いので、それは無理ですね!」
ロマンドの怒りを含んだ物言いに周りの者達は微笑んだ。
ジュリアはできるだけ早く防御シールドをマスターしたいと真剣に思っていた。だからマンツーマンレッスンを受けたいと思ったのだが、どうやら駄目らしい。
ロマンドが普段から女性達に纏わりつかれて困っていることをジュリアは知っていた。
義姉達の言動を見ているだけでも、女性達がロマンドに異常なまでに熱を上げている様子が簡単に想像できた。
その上今日で自分の存在が周知されるはずなので、ますますご令嬢達からの形振り構わないアプローチが激しくなる恐れがある。
正直なことを言えば、ジュリアはご令嬢なんて全く怖くなんか無かった。
元々家を出てからは暫く放浪生活をしていたし、母親を亡くしてからは孤児として暮らしていたので、社会の厳しさを嫌というほど知っている。
その後伯爵家に引き取られた後は言わずもがなだ。彼女は聞きたくない言葉をスルーする技術などとうの昔に習得していた。
その上運動神経もかなり良かったので、暴力からパッと身を避けることも得意で、ルフィエの目の届かない場所でも被害は最小限に留めることができていた。
ジュリアは以前からヴィオラが貸本屋で借りてきた本を、又借りしてよく読んでいた。
その話の多くが平民の少女や下位貴族の令嬢が、高位貴族のご令嬢達に苛められながらもそれに耐え、健気に努力して高位貴族のご令息や王子様に見初められて幸せになる……というテンプレだった。
そんな上手い話があるわけないだろうとジュリアは思っていた。それ故に、実際に自分が王太子の次に人気のある花男爵と婚約できたなんて、未だに信じられないくらいだった。
大体小説の中のヒロインは確かに身分は低いがみんな花のように綺麗で可憐で可愛くて、庇護欲を誘うタイプだった。
それに比べて私はただの枯れ木令嬢だ。まあ、一見するとポキッと簡単に折れそうで弱々しそうだから、庇護欲は誘うかも……いや無いわ。普通の男性なら私なんかみっともなくて目に入れたくなくて顔を背けるわ。
そんな私が幼馴染みということだけで好きになってもらったのだから、美しいご令嬢達に苛められても仕方ないのかなぁ、などと考えていた。
しかし、私が嫌がらせを受けていると知ったら、ロマンドはいい気はしないだろうし腹立たしく思うだろう。そして私を守ろうとして色々対策をとろうとするに違いない。
そんなことになったら、ただでさえ忙しいロマンドに多大な迷惑をかけてしまう。
彼は農園経営だけでも忙しい。それなのに、さらに『緑の精霊使い』として国の防衛の仕事もしているのだ。そんな彼に自分のことでこれ以上面倒をかけてはいけない。
これまでは自分の身を守ることに対して無神経過ぎたのかも知れない。
これからは大切な人達のことを守るためにも、自分自身のことも大切にしなければとジュリアは思った。
それに今後ロマンドが国を守るために大きな敵と戦うことがあるかも知れない。その時が来たら自分も彼の側にいて、せめて彼のことだけでも守れる人間でありたい。
そのためには自分の防御能力を高めなければ、と強く決意したジュリアだった。
そこでジュリアは改めてサンドベック侯爵にこう尋ねた。いつ教えてもらえますかと。
侯爵は改めてジュリアの真剣さを知って真面目な表情になってこう答えた。
「私は来週から二週間、王都の森の見張り番なんです。ですから王都にいます。その時森に来て頂ければお教えしますよ」
「ありがとうございます」
ジュリアはパッと顔を輝かせた。ウッドクライス家から出た今なら、自由に出かけることができる。そのことを思い出して改めてジュリアは心底安堵したのだった。
ただロマンドが少し不満気な顔をしたので、彼の耳元でこう囁いたのだった。
「ルフィエさんと一緒なのですから心配しないで下さい。
それに二週間もかからずマスターするつもりです」
と。
そして実際にそうなった。
ジュリアは九年前、まだ七歳の頃から緑の精霊と心を通わせていたのだ。しかも私利私欲でお願いを叶えてもらおうとしたことはない。
精霊達はそんなジュリアのことを信じていた。
だから、ジュリアは難しい暗唱を呟かなくても、それを心の中で念じるだけで良かった。
翌週王都の森へ出かけて行ったジュリアはあ然とした。
「防御シールドを張って!」
ジュリアがそう心の中で願っただけで、すぐさま『緑の精霊』が彼女の願う範囲内にシールドを張ってくれたのだから。
ジュリアは訓練する気満々でしたが、その必要はありませんでした。まあ、色々こつだとか、防御の種類とかの指導は受けましたが……(笑)
次章からはまたパーティーの場面に戻ります。
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