第三十二章 枯れ木令嬢と特殊部隊の紳士達
「ねぇ、もっと早く聞いておけば良かったんだけど、君はこのワルツ以外のダンスも踊れるの?」
「まあ、一応は。伯爵家に来てからは父の命令で家庭教師が来てくれていたから。
みんなはいい顔をしなかったけど、父にバレたらまずいと思ったんでしょう。邪魔はされなかったわ。
男爵様は?」
「男爵様?」
ロマンドが軽く片眉を釣り上げると、ジュリアは少し恥ずかしそうに小さな声で言った。
「ロードをロマンド様呼びするのはまだ慣れないし、少し恥ずかしいの。まだ前みたいに男爵様の方がいいわ。駄目?」
「まっ、いいけどね。僕も貴女からのロマンド様呼びは照れるしね」
「あと、貴女呼びも恥ずかしいわ。でも、君呼びよりはましかも……」
「わかった。それじゃ貴女呼びで。なかなか統一できずにごめんね」
「こちらこそ……」
二人は目を合わせてクスッと笑った。それを目にした人々はあまりにも仲睦まじい様子に目を細めた。
まあ、それはある程度年配の方々限定で、多くの若い女性からは物凄く鋭い目で睨みつけられ、若い男性からは獲物を捉えたような危険な目でロックオンされていたのだが。
……やっぱり想定した通りだな……
王太子が心配していた通り、二人の世界に入り込んで幸せそうな婚約者同士を、少し距離をとって護衛していたルフィエとロバートは、心の中で呆れたようにため息をついた。
「僕も最低限踊れるようにはなったんだけど、正直あまり好きではない。その…ダンス教師と関係が色々面倒で。
まあジュリアと踊るのは楽しいから、次に踊る時はできれば二人で練習してからにしたいな。恥をかきたくないんで。
で、どうする? もう一曲踊るかい?」
「そうね。私も今日はもうご遠慮したいわ。ヒールに履き慣れていないので、これ以上は無理そうだから」
ジュリアはそう答えながら、ダンス教師に迫られて困惑しながら踊っているロマンドの姿が容易に想像できてしまって、思わず苦笑いをしてしまった。
最初のダンスを踊り終えると最低限のことはしたとばかり、誰かに申し込まれる前に二人でサッサとテーブル席の方へ移動した。
するとロマンドはそこで一人の男性に声をかけられた。
「ロマンド君、君って踊れたんだね。今まで踊っているのを見たことがなかったから驚いたよ。しかも慣れた感じで上手だ」
「ありがとうございます、ハッサン子爵様。得意というわけではないのですが、一応人並みには踊れます。ですが、本当のファーストダンスは婚約者とすると決めていたので」
「ほう。それじゃ、君の隣りにいるご令嬢が婚約者殿かい?」
「はい。ご紹介させて頂きます。こちらが僕の婚約者のウッドクライス伯爵家のジュリア嬢です。
ジュリア嬢、こちらはハッサン子爵家のリングッツ様で、特殊部隊(緑の精霊使い)の仕事仲間です」
後半急に砕けた言葉に、ジュリアとハッサン子爵は目を丸くしたが、やがて二人はクスクスと笑い出した。
「はじめまして、ハッサン子爵様。ウッドクライス伯爵家のジュリアと申します。よろしくお願い致します」
ジュリアは流れるように美しいカーテシーをした。
「はじめまして、ウッドクライス伯爵令嬢。
リングッツ=ハッサンと申します。北の国境で林業を営んでいます。そして時々、特殊部隊(緑の精霊使い)の隊員です。
さっきデビュタントの式典で花冠を光らせたのは貴女だったんですね。つまり特殊部隊(緑の精霊使い)の新たなお仲間ということですね……」
ハッサン子爵は周りに聞こえないような小さな声でまずこう言った。そして次に普通の声のトーンでこう続けた。
「それにしてもウッドクライス伯爵様にこんなお嬢様がいらっしゃったとは初耳だぞ。
君はデビュー前のお嬢様とどうやってお知り合いになったんだい、花男爵殿?」
彼は意味深な言葉を発したが、それは二人をからかっているだけで、蔑んだり、嫌味で言っているわけではなさそうだった。
「彼女は子供の頃からの知り合いで初恋の相手なんです。ですから、伯爵様に縋って必死にお願いして結婚を認めて頂きました」
茶色のストレートの長髪を後ろで一つに結び、スッと整った顔立ちをした子爵は三十代になったばかりくらいだろうか。
普段から山歩きをしているのか、細身ながらしっかりした体つきの青年だった。
「子供の頃から?」
子爵が不思議そうな顔をしているがそれはそうだろう。今日のこの日まで自分の存在を知る者はいなかっただろうから……とジュリアは思った。
「ええ。彼女は生まれた頃から体が弱くて僕の領地近くの保養地で療養生活をしていましてね、そこで偶然に知り合ったのですよ」
ロマンドはサラッとウッドクライス伯爵の書いたシナリオ通りに説明した。
本当は病弱どころか草原を駆け回り、嫌がる大型犬や驢馬の背に乗りたがるような元気印の子供だったジュリアは、思わず真っ赤になって下を向いた。
しかしそんな彼女を、気が小さくて引っ込み思案で内気な病弱の少女なのだとハッサン子爵は思った。確かに顔色は良く生気に満ちてはいるが、かなりほっそりしているし。
「私のことはどうかリングッツとお呼び下さい、ウッドクライス伯爵令嬢」
「では私のこともジュリアとお呼び下さいませ」
「リングッツって、ハッサンよりむしろ長くなって呼びにくいと思いますけど、リッツ先輩」
ロマンドがクスクス笑うと、ハッサン子爵はニヤッと笑ってこう言った。
「私は別に愛称呼びでも構わないんだが、君が嫌なんじゃないかと思ったんだ……いいのか?」
すると周りから次々と声が上がった。
「それじゃ俺のことはニコって呼んでくれ、ジュリア嬢!」
「僕はブルーで!」
「私はマックで!」
「こっちはフェルで!」
ジュリアとロマンドの周りには、二人に話しかけたくて多くの若い男女が取り囲んでいたが、その人々の間をすり抜けて、四人の紳士がジュリア達の側にやって来た。
そしてその瞬間、薄いモスグリーン色の幕がテーブルの周りをドームのように覆った。
「エッ?」
ジュリアが思わず声を上げて周辺を見回していると、先ほどマックだと名乗った紳士がウンウンと納得したように頷いた。
「やっぱり貴女はこの防御シールドが見えるんだね。ということはつまり我々のお仲間だということか」
「そうですよ、マクシミリアン隊長。先ほどの花冠式を見ていなかったんですか?」
呆れたようにハッサン子爵が言うと、マックことマクシミリアンという名の紳士はこう答えた。
「私とフェル君は壇上を背にして警護作業をしていたから気付かなかったな」
「僕は見ましたよ。花冠がパッと光って薔薇が瞬間に花開いたんですよ。ホラッ!」
ブルーさんという愛称の紳士がジュリアの花冠に目をやりながら言うと、マックことマクシミリアンとフェルは「ホォー!」と唸った。
こ四人の紳士はハッサン子爵同様に特殊部隊(緑の精霊使い)で、王都の森を守っているロマンドの仲間だった。
他の者達に話が聞こえないように防御シールドを張ったのが、マックことマクシミリアン=サンドベック侯爵で、代々王都の森の看守をしている一門だという。
そしてロマンドが配属されている第一特殊部隊の隊長だそうだ。
三十代後半くらいだろうか、金髪碧眼の美丈夫で、さすが名門出というだけあって物腰の柔らかい上品な紳士だ。
ブルーことブルックリン=ガッサー伯爵は二十代半ばくらいの黒っぽい緑髪の巻毛の青年で、人懐っこそうな優しい顔立ちをしていた。
やはり幅広く農園を経営しているらしく、プラント男爵家とはライバル関係だよと笑った。
もっとも花の栽培はしていないし、主に穀物を作っているそうだ。
そしてもう一人のフェル君ことフェルメール=ラースンは男爵のご子息でロマンドと同じ年の十九様。
ご実家は主に酪農をしているそうだ。
なんでも馬の飼育や調教の技術はこの国最高だと言われていて、王城の騎士団の御用達だという。
「あのう、皆様方の奥様は今日はお見えになってはいないのですか?」
ジュリアはオズオズとしながらこう尋ねた。
せっかく特殊部隊(緑の精霊使い)の方々に会えたのだから、その奥様方ともお近付きになって、妻としての心構えなどをご教授して頂けないかと思ったのだ。
するとサンドベック侯爵はジュリアの思いを察したのか、優しい笑顔を浮かべてこう答えた。
「残念ですが、我々は今日仕事でこちらに来ているので、妻達は参加していないんですよ。
そもそも私達の妻は夫の特殊任務を知りません。とはいえ、元々私達の家は皆農業関係の仕事をしているので昔から付き合いはあったんですよ。
それで家族ぐるみで親しくしているうちに、妻達は留守がちで多忙な夫に対する不満や愚痴を言い合う様になっていて、今では定期的にお茶会をしているみたいなんですよ。
ですから貴女にもすぐに招待状が届くと思いますよ」
「本当ですか? ご招待して頂けたら嬉しいです。
私は社交をしたことがありませんので、色々と教えて頂けたら助かります」
ずっと緊張していたジュリアは、ホッとしたように笑顔になった。
その愛らしい顔に紳士達はホッコリした。
しかしそれと同時に、こんなに純真無垢で世間知らずで病弱な少女が、あの海千山千の女傑達の中でやっていけるのか、と彼らは一抹の不安と同情を抱いた。
そんな彼らがジュリアの実体を知るのはもう少し先である。
確かに彼女は貴族社会のことはよくわからないが、広い意味での世間についてならむしろ彼らより良く知っていることを。
腹黒い義伯母や偽従兄弟達に散々苛めと虐待をされていたことを。
ろくに食事を与えられなかったために痩せてはいるが、決して病弱なんかではないことを。
読んで下さってありがとうございました!




