第三十章 枯れ木令嬢の社交界デビュー
王城に向かう森の道には馬車の長い長い行列ができていて、ジュリアは窓から外を眺めて驚嘆した。
「ジュリア様大丈夫ですか? 大勢の人で不安になられましたか?」
初めての王城での夜会にジュリアが怯えているのではないかと、ロバートが気遣うようにこう声をかけた。
しかしジュリアは正面に向き直ると、にっこりと笑って首を振った。
「いいえ、むしろ安心しましたわ」
「安心ですか?」
予想外の返事にロバートは少し驚いた顔をした。
初めての王城、初めての夜会、王族へのデビュタントとしての挨拶、そして何より初めての社交の場に赴くのだから、緊張と恐れと不安にかられているのではないかと心配していたのだが。
「だって夜会にはこんなにたくさんの人が参加されているのよ。私のことなんか誰も気にやしないわ。だから多少失敗しても、誰も気付くはずがないと思うの」
呑気というかポジティブシンキングと呼ぶべきか……
ジュリアを悪意ある視線や危険から絶対にお守りしてやると意気込んでいたロバートは、肩透かしを食って、フッと体から力が抜けた。
その様子を横から見ていたルフィエがこう言った。
「そのくらい肩から力を抜いていないと、いざという時に体が動かないぞ」
いつもは御者席の隣に座っている護衛のルフィエは、今日は臨時だが近衛騎士という身分なので、箱馬車の中に座っている。ただし身に着けているのはタキシードだが。
それにしても、貸衣装とはいえ、ルフィエのタキシード姿は様になっている。均整のとれた筋肉質の素晴らしい体に正装は良く似合う。
それにいつもは自由自在に飛び跳ねている茶色の髪の毛は、侍女によってピシッと整えられ、精悍な顔をさらに引き立てた。
ジュリアのいる客室にルフィエが迎えに来た時、普段とのあまりのギャップにジュリアは呆気に取られていた。
しかし、ヴィオラは腫れ上がっているためにわかりずらいが、目を最大限に見開いた後、顔を真っ赤にしてウットリと見つめていたっけ。
その時のことを思い出して、ジュリアは心の中でニヤニヤしたのであった。
ずいぶんと時間がかかったようだが、馬車が混むのは予定調和だったらしく、城の正面扉の前にに到着したのは、開会十五分前くらいだった。
ジュリア達が玄関フロアに入ると、そこには黒のタキシード姿のロマンドが立っていた。
ロマンドは背が高く、筋肉のついたバランスの良い体躯をしている上に姿勢も良いので、タキシード姿がよく似合っていた。いつものスーツ姿もいいが、正装はまた格別だ。
ロマンドのタキシード姿を初めて見たジュリアは、その格好の良さに目眩がした。
周りの年配者の男性は燕尾服を着ている人が多いようだが、まだ若いロマンドにはタキシードの方が似合うような気がした。
「とっても素敵です、ロマンド様」
ジュリアが公の場での口調で思わずこう呟くと、ロマンドは再会した時に見せてくれた、あの薔薇が咲いているような眩しい微笑みを浮かべた。
「ありがとう。そういってもらえて嬉しいよ。
君に相応しい男でありたいから。
貴女もとても素敵です。そして誰よりも綺麗で愛らしくてかわいいですよ。僕のジュリア……」
いつにもまして自分には相応しくない形容詞が並んでいたが、今日は素直にその言葉を受け入れようとジュリアは思った。
自分のデビュタントのために、みんなからどんなによくしてもらったのかを考えると、自分を蔑んではいけない気がしたのだ。
母がデザインして、父が生地やその他の材料を準備してくれて、それを義母となるマダム=フローラが刺繍を刺して真珠を散りばめて、こんな素晴らしいイブニングドレスを仕立ててくれた。
メイドさんや侍女さん達が私の体を磨き、頭を洗い、化粧をし、髪を可愛らしいシニョンに纏めて飾りを付けてくれた。
執事のハイドさんや侍女長のアニスさん、ロバートさん、そしてヴィオラも、ルフィエさんも色々と気遣ってくれて、優しい言葉をかけてくれた。
そして首元の大粒の真珠のネックレスと、耳元に揺れている雫の形をした真珠のイヤリングは、ロマンド様からの贈り物……
私はなんて幸せなのかしら。
みっともない枯れ木令嬢だと言われようが、今日は堂々としていないといけないわ、とジュリアは思った。
私のマナーは完璧だと亡くなった母やマナーの家庭教師の先生からもお墨付きをもらっているんだもの。ちゃんとできる。平気だわ。
そうジュリアは自分に言い聞かせた。
そしてジュリアはロマンドに腕を差し出され、そこに白い手袋をはめた手を添えた。
ロマンドは再び花のように微笑んだ。彼はこんなに愛らしくてかわいいジュリアの横に立ち、ようやく堂々と婚約者だと名乗れる誇らしさに震えた。
この日をどれほど待ち望んでいたことか。
ジュリアとロマンドはお互いを見つめ合っていたために、周りから驚きや嫉妬や羨望の目で見られていることに全く気付いていなかった。
すっかり二人きりの世界に入り込んでいたのだ。
これでは誰に何をされようとしても気付かないな。自分達がしっかりしないと、とルフィエとロバートは思った。
王太子殿下が自分達を護衛に付けた理由がわかった気がするロバートだった。
「あいつは婚約者殿の話をしている時だけは駄目人間になるからなぁ」
先日パーティー会場の下準備にここへ来た時に、偶然いらした王太子殿下が苦笑いをしていたことを思い出したロバートだった。
開場の時間になって、大広間の扉が開かれると、招待客はゾロゾロと中へ入って行った。
ロビーに残っているのはこの日のデビュタントとそのパートナー達だ。
そして、彼らを守るように立ち並ぶ近衛騎士達だった。
『本当に近衛騎士って緑色の騎士服を着ているんだ』
と、ジュリアは心の中で呟いた。迎賓館前の赤い騎士服の偽近衛騎士を本物だと勘違いしていた、恥ずかしい過去が蘇ってきて顔が赤くなった。
それと同時に、初デートからもう半年もたったのだと感慨が深くなった。
そして今日ようやく二人の婚約を公の場で発表できると思うと嬉しくて、ジュリアの小さな胸は踊り出しそうになったのだった。
やがてファンファーレが鳴り響いた。
きっと王族の方々が中へ入られたのだろう。
それから暫くして再び大広間の扉が開くと、名前が読み上げられ、家格の高い順にゆっくりと中へ入って行った。
公爵令嬢が一人、侯爵令嬢が四人、そして伯爵令嬢として一番最初に名前を呼ばれたのはジュリアで、ロビーや大広間からもざわめきが起こった。
知らなかったが、ウッドクライス家は伯爵家の中でも上位だったらしい。ああ、この国創立メンバーだったっけ? 歴史上では……
何故かそんなことを考える余裕があったジュリアだった。どうせ私なんかこの大広間の中ではごま粒よ。
そんなことを思いながら、ジュリアはロマンドにエスコートされて、大広間の中へと足を進めたのだった。
すると、確かに中にはたくさんの人々がいたのだが、そこには壇上の王族席までの真っ直ぐな道ができていた。
もう一度ファンファーレが鳴った。大広間の明かりが壇上を残してパッと消えた。
デビュタント達はパートナーにエスコートされて二列になって並んだ。そして静かに自分の順番を待った。
やがて一人ずつ名前を呼ばれると、デビュタントの少女は一人で壇上に上って、国王と王妃の前へと進んでカーテシーをする。
すると国王陛下から祝いの言葉を賜り、頭上に白のミニ薔薇とカスミ草と観葉植物で編まれた花冠を載せられる。
この花冠を載せられた時点で、少女達はこの国の一員だと国王から認められたことになるのだ。たとえ成人前だとしても。
そして王妃殿下から抱擁されて女性としての幸せを授与されることでデビュタントの儀式は終了するのであった。
まずは公爵令嬢が壇上に上がってカーテシーをした。それは流れるように美しい所作で、見事な挨拶だった。
ジュリアは参考にしようと、じっと目の前の令嬢達の一連の動きを見つめていた。
しかしすぐにジュリアは名前を呼ばれてしまった。なにせ六番目なのだから。
ジュリアがロマンドの腕から手を離して彼の顔を見ると、慈愛の籠もった優しい目で微笑まれた。そして、そっと背中に手で触れられた。
それはほんの一瞬だったが、ロマンドの温かなエネルギーが注ぎ込まれた気がした。いや、実際に注入されたのだとジュリアは思った。
あれほど激しく、うるさかった鼓動の音が消えて、心が穏やかになったのだから。
ジュリアはピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐに前だけを見て階段を上って行くと、国王陛下の前で、優雅で美しい完璧なカーテシーを披露した。壇上近くにいた来客から感心する声がいくつも漏れた。
そして国王からの祝辞を受けた後で、ジュリアが膝を折って花冠を載せて貰った時である。
突然花冠からパッと光が発せられたのだった。
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