第三章 枯れ木令嬢の護衛
男爵と共にカフェを出たジュリアは、華やかな通りを二人並んで歩いた。
料理長に命じられた野菜や肉などの食料品を買うために、ジュリアは毎日のように朝市へ出かけている。しかし早朝過ぎて通りの店が開いてることはない。
だから開店している店の様子を、ジュリアは興味津々で眺めながら歩いた。
そしてそんな楽しそうな彼女の様子を、男爵は微笑みながら見ていた。
しかし正直なところ、カフェに入って来たジュリアを見て、男爵は絶句したのだ。
二年前はあんなにも光り輝いていた彼女が、まるで精彩を欠いていたからだ。しかもまるで病人のように痩せている。
会話の中で今彼女が置かれている状況を何となく察した男爵は、笑顔の奥で本当は激しい怒りの感情を煮え滾らせていた。
そして、彼女をこんな目に遭わせている者達を絶対に赦しはしない、と心の中で思っていた。
二人は黙ったままただブラブラと歩いていたが、暫くしてプラント男爵がこう尋ねた。
「ジュリア嬢、後ろからついて来る貴女の護衛って、腕は確かなんですか?」
「護衛?
ああ、私の見張り役のルフィエさんのことですか?
どうでしょう。まあ、三度ばかり逃亡しようとして捕まりましたから、そこそこではないでしょうか。
私、農園で働いていたので、二年前は体力には自信があったんです。足も早いし動作も機敏な方だと思うのですが、逃げ切れなかったのことを考えると、恐らく凄腕だと思います」
「見張り役? 逃亡?」
プラント男爵が目を剥いた。
あっ、余計なことを言ってしまったとジュリアは思ったが後の祭りだ。
ジュリアは歩きながら、二年前にプラント伯爵家に来てからのことを語った。
男爵はそれを黙って聞いていたが、眉間の皺が段々と深くなっていった。
「男爵様、本当にごめんなさい。
私、ウッドクライス家から逃げ出したかったんです。
だから男爵様と結婚したらあの家から離れられると思ってお会いしたのです。
あの家を出られるなら、結婚相手はおじさんでもおじいさんでもいいって。
もちろん、暴力振るう人や変態だったら速攻で逃げようと思っていたんですけれど。
まさか、男爵様みたいな若くて素敵な方だとは思っていなくて。本当に私みたいなのでごめんなさい」
カフェで話をしていた時、自分を卑下することばかり口にするジュリアに、ロマンド=プラント男爵は正直苛立っていた。
彼にとってジュリアは初恋の相手であり、長い間恋い焦がれていた少女だったからだ。
しかし彼女が家族から受け続けている仕打ちを聞いて、彼女の自己評価が何故低くなったのか、今その理由を知った。
七年間ずっとずっと探し続けてようやく見つけ出したと思ったら、また突然彼女はいなくなった。
そして二か月前に偶然、仕事でお世話になっているウッドクライス伯爵の娘がジュリアだとわかった。
ロマンドは天にも昇る心地だった。
だから今度こそ彼女を手放すものかと、迅速かつ丁寧に話を進めてきたのだ。
もし二年前、彼女があの農園にいると気付いた時、まず彼女に声をかけ、もっと素早く行動していたらと、改めてロマンドは悔しくなった。
自分の父親を説得してからジュリアに会いに行こう……
そんな余計なことを考えているうちに、ジュリアは突然農園から姿を消してしまったのだ。
これではウッドクライス伯爵と同じではないか!
いいや、二度も彼女を見失ったのだから、自分の方がずっと愚か者だ。
ジュリアが消えた後、農園主にどんなに彼女の行き先を尋ねてもついに教えてはもらえなかった。
ウッドクライス伯爵は娘を立派な貴族令嬢にするために、平民、しかも孤児として生活していた彼女の経歴を完璧に消し去りたかったのだろう。
しかし彼女自身はその過去を疎んじてはいないようだ。
こうして初めて会った(と思っている)自分にあっさりと孤児だったと告白したくらいだから。
まあ、現在の暮らしぶりを聞けば納得だ。以前の暮らしの方が今よりよっぽど良かったのだろう。
「先程貴女に婚約のための書類にサインをして頂きましたが、貴女は未成年ですので、父親である伯爵様のサインが必要となります。
ですから私の方で伯爵様に書類をお送りし、それにサインをして頂いてから送り返してもらいます。
それを役所に提出すれば正式に婚約が整います。
私は貴女との婚約を絶対に誰からも邪魔をされたくありません。
ですから、申し訳ないのですが、暫くは伯爵家の方々の接触を避けたいのですが、それでもよろしいでしょうか?」
「? 婚約が本決まりになるまではお会いしないということでしょうか?」
「いいえ。貴女をお迎えに人をつかわせるので、外でお会いしたいということです。
ジュリア様は王都に来てからも外へはほとんど出ていらっしゃらないようですから、私が色々な場所へご案内しますよ。
どこか行きたいところはありませんか?」
ロマンドがこう尋ねると、ジュリアはパッと目を輝かせた。
王都に来る前から、彼女には憧れの場所があったのだ。
「あの、王立の植物園に行ってみたいのですが……」
ジュリアがおずおずとこう言うと、ロマンドは嬉しそうにニッコリしながら頷いた。
彼も彼女と一緒にそこへ行きたいとずっと思っていたのだ。
「それでは、貴女との初デートは植物園にしましょう。きっと忘れられない良い思い出になるでしょう。
早速ですが来週の日曜日で宜しいですか? 彼をお迎えに行かせますので」
ロマンドは後ろを振り返り、ジュリアの護衛の隣りを歩いていた、二十代前半くらいの立派な体格の男性を指して言った。
金髪碧眼で角張った顔をした凛々しいその男は、ジュリアに軽く頭を下げた。
「彼はロバート=サントスと言ってね、私の仕事上の秘書なんですよ。私のもっとも信頼している優秀な男で親友でもあります。
しかも武道の腕も一流なので、これから貴女の護衛に付けることにしました」
ジュリアはその言葉に仰天した。
「そんな! 男爵様のお仕事にとって大切な方なのでしょう? そんな方に私の護衛をして頂くなんて恐れ多いですわ。
私には一応家の方で護衛を付けてくれているので、家の者に伝言だけして頂ければ、私の方で指定された場所に伺いますわ」
「何をおっしゃるのですか?
貴女は私にとって誰よりも大切な人なんですよ。貴女に何かあったら私は正気ではいられなくなります。
そして、ウッドクライス伯爵にも申し訳がたちません。
私が一番信頼する者でなくては貴女の側には置けません。
大体こう言っては何ですが、貴女のお話を聞くと、伯爵家の方が雇っている者達を信用するのは無理がありますし」
男爵の厳しい表情に、自分が思っている以上に彼が自分の心配をしてくれていることに、ジュリアは驚くとともに、それを嬉しく思った。
今まで彼女のことを真剣に心配してくれたのは母親と、昔三か月だけ一緒に暮らした少年だけだったから。
ジュリアはロマンドの顔を見て破顔したのだった……
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