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第二十八章 枯れ木令嬢のお支度


 ジュリアはその夜、男爵家の使用人が客室に運び入れてくれた簡易ベッドで眠った。

 侍女がヴィオラに付いてくれると言ってくれたが、ジュリアは礼を言って丁寧にそれを断った。ヴィオラが目を覚ました時に見知らぬ者だったら、きっと彼女が不安になるだろうと思ったからだ。

 

 それにしてもプラント男爵家の皆様はなんて優しくて親切でよく気のつく人達なのだろう。

 ジュリアはウッドクライス伯爵邸の使用人しか知らないので、その雲泥の差の対応に驚くばかりだった。

 

 もちろん、何度もお邪魔はしていたのだが、数時間の滞在ではわからなかった彼女達の気配りに感心し、感謝した。

 これから皆さんに色々教えてもらわなくては、と思ったジュリアだった。

 

 ヴィオラは朝まで目を覚まさなかったので、ジュリアもぐっすりと眠ることができた。

 そして先に目覚めたジュリアがじっとヴィオラの顔を見つめていると、やがて彼女も目を覚ました。

 

 しかし心配していた通り、パンパンに顔が腫れ上がっているので、目を開けてもそれがわからないほど痛々しかった。

 

「おはよう、ヴィオラさん」

 

「◇△☆▷・・・・・」

 

 口も裂けているので、ヴィオラは上手く言葉が発せられない。

 

 これでは口に物をいれるのはかなり辛いかも知れない。しかしお腹が空いているだろうし、水分補給もしなければならない。

 

「お水を飲む?」

 

 と尋ねるとヴィオラは素直に頷いた。

 

 ジュリアは起床してさっさと身仕度を整えると、部屋を出ようと扉を開けた。すると、廊下にワゴンが置かれていた。

 そしてその上には水とオレンジジュースが入っていると思われるピッチャーが二つとコップ、そして(ストロー)が数本置いてあった。

 ジュリア達がいつ起きてもいいように置いておいてくれたのだろう。

 

 ジュリアはメイド達の配慮に感謝しながら、ワゴンを客室に押し入れた。

 

 よっぽど喉が乾いていたのだろう。ヴィオラはグラスに注いだ水を藁の筒で勢いよく吸い上げて、すぐにそれを空にした。

 そして二杯目を飲み始めてむせた。

 

「慌てないで! 気管に入ったら大変よ。ゆっくり、ゆっくり飲んで。

 次はオレンジジュースはどう?」

 

 ヴィオラはオレンジジュースを飲んだ後、腫れ上がった顔なのにどこか幸せそうな表情をしてこう言った。

 

「こんな美味しい飲み物を飲んだのは始めてです」

 

 喉が潤ったせいなのか、ヴィオラはようやく声が出せるようになった。

 そしてそれを聞いたジュリアは何故かドヤ顔になった。

 

「そうでしょう? 男爵家の飲み物はお茶もジュースもミルクも全て自家製で、どれもみんな美味しいの。もちろん飲み物だけじゃなくて、他の食事も全て最高に美味しいのよ。

 それはね、料理長の腕が最高なのもあるけれど、それだけじゃなくて、料理の材料も新鮮で最高なせいなの。サラダを食べればその素材の素晴らしさが一目瞭然なのよ」

 

「まあ、そうなんですか」

 

「ヴィオラさん、これから毎日この新鮮で美味しい食事が頂けるのよ、私達。幸せよね〜」

 

「えっ?」

 

「旦那様がね、ヴィオラをこちらで雇ってくださるそうよ。もちろん働くのは体調が良くなってからだけど」

 

「本当ですか!」

 

 ヴィオラは大きく目を見開いた。いや、本人は開けようとしていたのだろうが、腫れ上がっていて小さく見開いただけだった。それでもその瞳には驚きと共に安堵の色が見えた。

 

「本当よ。男爵家はあの伯爵家とは違ってパラダイスよね。働きやすいだろうし、働きがいがあるってものよね。一緒に頑張りましょうね」

 

 ジュリアはニコニコしながらこう言った。

 しかしヴィオラは頷きながらも、これからは以前のように一緒に働くことはないだろうと思った。

 

 そもそも未来の男爵夫人がメイドと一緒にベッドメイクや洗濯や洗い物をするなんておかしい。ましてや、浴室やご不浄の掃除は絶対にさせてもらえない。

 まあ、伯爵家のご令嬢なのに、ジュリアが今までそんなことをさせられていたことが異常だったのだが。


 

 

 ヴィオラが固形物を口にするのはまだ無理そうだと言ったので、ジュリアは彼女に痛み止めの薬を飲ませ、体に貼られた湿布を交換した。

 ヴィオラは恐縮したが、あまり男爵家の皆さんに迷惑をかけたくないからと言うと、彼女は素直に従った。

 その後、メイドが迎えに来てくれたので、ジュリアは遅い朝食を取るために食堂へ向かった。

 もう大分気分が落ち着いてきたので、一人でも大丈夫だとヴィオラが言ったので。

 

 

 するとダイニングには食事を既に終えていたらしいケントと、マダム=フローラが並んで座っていた。

 男爵は今夜のパーティーの最後の確認をするために既に登城し、ロバートはルフィエを連れて貸衣装屋へ向かったという。

 

 人見知りのケントが既にマダムと楽しげに話をしていることにジュリアは驚いた。さすが接待のプロだ。いや、母親力だろうか。

 マダムのケントを見つめる目は、お客様に向けるそれではなく、ロマンドや自分に向けてくれる温かさに溢れていた。

 

「フローラ様、おはようございます。遅くなりまして申し訳ありません」

 

「おはようございます、ジュリア様。昨日は大変だったそうですね。ちゃんとお休みになれましたか?

 ヴィオラさんの具合はいかがですか?」

 

 ジュリアはマダムの前に腰を下ろすと、今朝のヴィオラの様子を告げた。するとマダムは顔を曇らせた。

 子供の頃に酔った父親からいつも暴力を受けていた彼女は、その痛みや苦しみをよく知っていたのだ。

 マダムは無理に口角をあげるとジュリアに言った。

 

「今日は私がヴィオラさんに付き添っていますから、心配しないで夜会に行って下さいませね。

 今夜はジュリア様の一生に一度のデビュタントの日なんですから、こちらのことを気になさってはいけませんよ」

 

「ほんとだよ。男爵様も楽しみにしているんだから、ジュリア姉様が暗い顔をしていたら駄目なんだよ」

 

 まだ幼いケントにまでフォローされてしまい、ジュリアもそうね、と言って一生懸命に口角を上げたのだった。

 

 

 ✽✽✽

 

 

 ブランチを取ったあと、ジュリアの夜会へ行くための支度が始まった。

 普通はそれほど時間がかかるわけではないらしいのだが、ジュリアはこれまで一切手入れをしていないので、念入りにしなければならないのだそうだ。そう侍女頭に言われてしまい、ジュリアは申し訳なくてシュンとなってしまった。

 

「疲れてしまっては大変ですから、体に力を入れずに、されるままでいらして下さい。是非とも私どもを信頼してくださいませね」

 

 ジュリアはそう侍女頭に言われた。もちろん彼女は男爵家の使用人達を信じている。信じてはいるのだが、彼女は人にお世話されるのに慣れていない。

 裸になって体を洗ってもらう経験などあるわけもない。それに羞恥心でじっとなどしていられない。

 彼女は叫んだ。

 

「自分の体くらい自分で洗えますからぁ〜」

 

 浴槽は客室の隅にあり、周りをカーテンで囲まれている。ジュリアの声はベッドの中のヴィオラにもまる聞こえだった。そしてそれはその反対も言えることなので、カーテンの向こうのヴィオラの声が聞こえてきた。


「まあ、床が水浸しだわ。お掃除が大変そう……」

 

 

 するとジュリアはピタッとおとなしくなった。

 ウッドクライス家にいた頃、彼女は義姉達が使った後の湯殿の掃除に、毎日手こずっていたことを鮮明に思い出したのだ。

 水浸しの床・・・あの後始末は大変だった。何度も雑巾で拭いて絞って、拭いて絞ってを繰り返して。腰は痛いし、手は腫れるし。

 

「ごめんなさい……」

 

 と呟いたジュリアにメイド達が困った顔をしながら、こう慰めてくれた。

 

「こちらの客室にはバスルームと同様に排水溝がありますから、よそのお屋敷と違って、お掃除は楽ですよ。お気になさらないでくださいませ、若奥様」

 

「若奥様……」

 

 ジュリアはその言葉にさらに赤くなって、湯船に沈んだのだった。

 

 そしてその後、体と頭を徹底的に洗われた後は髪を乾かしてもらい、全身マッサージを受け、それからドレスに着替えた。

 そう。マダム=フローラ渾身のデビュタント用の白いドレスだ。

 

 肌触りの良いシルクのドレスは、光沢があってシンプルなデザインなのにとても綺麗だった。

 白い生地にはマダムによってやはり白い糸で刺した刺繍が施され、さらには沢山の真珠まで縫い付けられていた。

 

 あまりにも豪華で美しいドレスに感激しつつも、こんな高価なドレスの支払いは一体誰がするのだろうと考えて、ジュリアの頭がフラッとした。

 

 するとジュリアの考えを察したマダムが言った。

 

「とても素敵なドレスでしょう?

 ウッドクライス伯爵様からね、お金はいくらかかっても構わないから、娘に似合う最高のドレスを作って欲しいとお手紙でご依頼があったのですよ。

 その時、私は伯爵様にこうお返事申し上げましたの。

『もし375個の真珠をご用意して頂けましたら、そのご注文をお引き受け致します』

 ってね。

 そうしたら、十日後には店の方に見事な真珠が届けられたのですよ。だから私はご依頼をお受けしたんです。

 もちろん仮に真珠が届かなくても、私は375個のビーズを代用してお作りするつもりではいましたけれどね」

 

「375という数字に何か理由があるのですか?」

 

「375という数字はジュリア様のラッキーナンバーなんですよ」

 

「ラッキーナンバーですか?」

 

 覚えのない数字だがこれにどんな意味があるのだろうか?

 ジュリアは首を捻った。

 しかし、このドレスの発注者が父親だと知って、少しだけホッとしたと同時に嬉しくなったのだった。

 

読んで下さってありがとうございました!

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