第二十一章 枯れ木令嬢とメイド長の対決
ここからジュリアが反撃にでます!
暗部とは、騎士団や警邏隊の組織の中で、人目につかないで秘密裏に実行する裏組織部隊のことである。
そしてアサシンとは暗殺者のことだが、ちなみにこの国には恐らく存在しない。少なくともそれらの養成機関はない。
その普通では遭遇しない恐ろしい人物の姿を見掛けたのは、ジュリア達がプラント男爵家の領地へ行く数日前のことだった。
いつもより少し早めに朝市へ向かっていた二人は、伯爵家の近くで執事が見知らぬ男と会っているのを目撃した。
灰色のフード付きのローブで全身を覆った男を見た瞬間、ジュリアの身体は膠着した。そして隣にいるルフィエの気配がスッと消えた。
その後間もなくするとフードの男はその場を去り、執事も屋敷の方向に戻って行った。
二人は物陰に身を潜めたまま、暫く動かずに周りの様子を伺った。そして彼らが戻ってくる様子がなさそうだと確認してから、再び朝市に向かって歩を進め始めた。
「酷いわ、ルフィエさん。自分だけ気配を消すなんて」
「ご自分が先に道端の金木犀に同化されたくせに、人聞きの悪いことをおっしゃらないで下さいよ」
「あらそうだったかしら? ごめんなさい。無意識だったの。
あのフード男を見た瞬間ゾゾゾとして、思わず『緑の精霊様』に助けてとお願いしてしまったみたい」
「いいえ、それは正しい判断でしたよ。あの男、恐らく西の国のアサシンですよ。気付かれていたら危なかったですね」
アサシン? つまり暗殺者ということ? しかも西の国の? 何故そんな男が執事と? それにしても……
「何故あの男が西の国の人間だって思うのですか?」
「俺は修道騎士団に入っている時、たくさんの国を訪れて、多くの人種の人々と接してきました。だから、一目見ればどこの国の人間かわかりますよ」
「凄いわ。ルフィエさんって強いだけじゃなくて、そんな特技もあったのね」
なるほど。父がルフィエさんを私の護衛に選んだ理由がわかったわ、とジュリアは改めて感心したのだった。
それにさっきの男がアサシンだというのも、恐らく当たっているのだろう。あんな鋭い気を感じたことはなかったから。
「それにしても何故執事が西の国の怪しい人と接しているのかしら? もしかしてスパイなの?」
「それは私にもわかりませんが、あの執事は伯爵家に勤めて大分長いようですから、スパイとして入ったのではないと思いますよ。まさか歴代の当主様が騙されていたとも思えませんし。それに…」
途中でルフィエは言葉を止めて、何か思案するようにこう言った。
「あの男との関係はわかりませんが、シンディー夫人には西の国の血が混ざっていると思いますよ」
「えっ? 本当? 私は全然わからないけど」
「この事はまだ確かではありませんが、一応この旨旦那様に伝えておいて下さい」
「わかりました」
「お嬢様、お屋敷を探るのも、証拠作りもそろそろ終わりにした方がいいかもしれませんね」
「そうね。準備はしておくわ。すぐに出られるように。もっとも荷物らしい荷物もないけれど」
とジュリアは苦笑いをした。
事実、ジュリアが持ち出したいと思うものなんて、庭に埋めてある母の手紙と空気植物くらいだった。
そしてその時はまだ、彼女はそれほど真剣に家を出ることを考えてはいなかった。しかしそのせいでジュリアは、父親から贈られた大切な品を失うことになったのだった。
✽✽✽
それはジュリアがプラント男爵領から王都の屋敷に戻ってから半月ほどたった、ある土曜日の日の昼下り。そう、王城の夜会でのデビュタントの前日のことだった。
帰省していたケント、そして護衛のルフィエと伴にジュリアが庭の薔薇園で花の手入れをしていると、突如女性の悲鳴が聞こえてきた。彼女はルフィエの静止を振り切って走り出した。
「キャー、やめて、やめて下さい」
という叫び声はヴィオラのものだった。ジュリア達は広い庭を走り抜け、屋敷の裏に回って裏口から中に飛び込んだ。
そして人の気配がする自分の部屋の前まで行くと、その中に蹲っているヴィオラと彼女を取り囲んでいるメイド達の姿が目に入った。
「何をしているの?」
ヴィオラはメイド仲間からリンチを受けていたようだ。顔にいくつもの殴られた跡があった。恐らく体中にあるに違いない。
「この者がとんでもないことをしでかしたので、止めさせようとしたら暴れたので、やむを得ず力尽くで止めさせました」
縦横と立派な体格の中年のメイド長がこう言った。
「とんでもないこと?」
「お部屋の中をご覧になって下さい」
そうメイド長に言われて自分の部屋の中に入ったジュリアは、元は用具入れだったロッカーに目をやって絶句した。
何故なら開け放たれたそのドレッサーもどきには、ビリビリに切り裂かれたドレスが吊り下げられていたからだ。
「誰だ、こんな酷いことをしたのは!」
ケントが思わず叫んだ。するとメイド長が涼しい顔で答えた。
「ヴィオラでございます」
ヴィオラは涙が喉の奥に詰まったのか、声を出そうとしても出ず、それでも必死に頭を振って否定した。
「何故ヴィオラがこんな真似をする必要があるんだ」
「ケント坊っちゃま、ヴィオラは常日頃からジュリアお嬢様を恨めしく思っていたのですよ。
ただでさえ金曜日に朝市へ行かされるのを不満に思っていたのに、ジュリアお嬢様が婚約されてからは、日曜日まで行かされることになったのですからね」
ヴィオラがまた首を振った。ジュリアはヴィオラの元に駆け寄ると彼女を抱きしめて、小さな声で囁いた。
「大丈夫よ、わかっているわ」と……
「それはおかしいわね。ヴィオラさんが朝市のことで恨むとすれば、私ではなくてあなた達ではなくて?」
ジュリアの言葉にメイド達は驚いて不思議そうな顔をしたので、ジュリアは呆れた。
「だってそうでしょう? 私の代わりに何故ヴィオラさんばかりが朝市へ行かされたの? 私がヴィオラさんに行けと命じたわけではないわ。日曜日には別の人に行かせれば良かったでしょう? 誰がヴィオラさんに両方行くようにと命じたのかしら?」
メイド長が目を見開いた。
「しかも荷物持ちの男手も付けずに女性一人に荷車をひかせるなんて非常識だわ。誰がそんな差配をしたの?」
メイド長はジュリアの質問には答えず歯ぎしりをした。
ジュリアもその答えを聞かずにさらに質問を続けた。
「あなた達は誰の命令を受けてヴィオラにせっかんをしたの? 仮にヴィオラが何かをしたとしても、彼女に罰を与える権限はあなた達にはないでしょう? しかもまだろくに調べもしないうちに」
いつも自分達に逆らわず黙って言いなりになっていたジュリアが、まるで上から目線で問うてきたことに、メイド長は腹が立った。
「メイド達への躾は私が奥様に許可を頂いています。こんな不始末をしでかしたメイドは即刻クビに致します」
彼女はフンと鼻を鳴らして威厳を見せつけるかのようにふんぞり返った。
「使用人の人事権をたかがメイド長に与えるなんて信じられないわ。まだ執事ならともかく。それは本当なの? もしそれが本当ならウッドクライス伯爵家は貴族としては恥ずべきことね」
ジュリアはスクっと立ち上がると、腰に両手を置いてメイド長を下から睨みつけた。
今まで見下してきた小娘に馬鹿にされたメイド長は、カッとなって思わずジュリアに手を振り上げたが、その手はルフィエによって掴まれた。しかも、彼にギュッと捻るように握りこめられて悲鳴を上げた。
「離せ!」
「お願いします! 離して下さいだろ!」
「お、お願いします! ど、どうか離して下さい!」
メイド長が苦痛に顔を歪ませながらそう言ったので、ルフィエは手を離したが、その直前に思い切り強く握ったので、ボギッと鈍い音がした。
メイド長は蹲り、脂汗を流しながらも憎々しげにこう怒鳴った。
「ルフィエ、奥様に言ってあんたもクビにしてやるわ」
するとジュリアは言った。
「それは無理だわ。だってルフィエを雇っているのは奥様じゃなくて、ここの家の主だもの。
大体あの奥様はここの居候で人事権なんて本来ないのよ」
その言葉にメイド長は目を見開いた。そしてようやく理解したのだ。ジュリアがこの家の秘密に気付いているのだと。
「お父様に言われているの。屋敷の使用人が大分好き勝手しているようだ。問題のある使用人はクビにして、気に入った人を雇いなさいって。
お前だけが唯一、ウッドクライス家の正当な人間なのだからと」
メイド長だけではなく、周りにいたメイド達が真っ青になった。さすがに自分達がこの家の唯一の令嬢に対してどんな扱いをしてきたのか、その自覚はあるのだろう。
今までは当主とこの令嬢の関係は希薄なものだと侮っていた。しかし、二人がまさか連絡を取り合っていたとは。手紙などの伝達手段は全て握り潰していたのに……
「お嬢様、お許し下さい。私達はメイド長に命じられたので、それに従ってきただけなのです。逆らうと暴力を振るわれるので」
「本当です。メイド長はとにかくこわくて」
「ヴィオラに罰を与えろと命じられて仕方なくやったのです」
「何を言っているの、あんたたち!」
メイド長はまさか子飼いのメイド達に裏切られるとは思っていなかったのだろう、呆然としながら呟いた。
ジュリアはそんな彼女達を睥睨しながらこう尋ねた。
「それで、一体誰が私のドレスを破ったの?」
と……
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