第十五章 枯れ木令嬢の両親
「それにしても、お国の仕事だけでもそんなに忙しいのに、父は何故貿易の仕事までしているのでしょうか……
父の身体が心配です」
ジュリアが呟いた。すると男爵は婚約者の手を取ってこう言った。
「私も以前それを伯爵様にお尋ねしたことがあります。
その時伯爵様は、
『私は国の防衛を担当しているが、それは内なる問題、つまり森の神聖な力を守るのが本来の使命で、国でも一部の者達しか知らない。
表面上他国との防衛を担っているのは、皆も知っている通り軍だからね。
だが、他国からこの国を守るということは、何も武器を持って戦うことだけではない。
国同士が自国の特徴を活かし、必要な物を流通し合うことは、互いの重要性を認め合い、共存共栄の意義を理解することだ。
つまり貿易という仕事は、国と国を繋ぎ、平和を保つ仕事なんだよ』
とおっしゃっていました。
つまり伯爵は公だけではなく、私の仕事でも平和活動、我が国の防衛のために尽くしていらっしゃるのでしょう。
それに、奥様であるマーガレット様のためもあったそうですよ。
マーガレット様は異国のお話を聞くのが大層お好きだったのだそうです。
だから伯爵は異国の地から奥様に、まめにお手紙をお書きになっていたんだそうです」
男爵の言葉にジュリアはハッとした。母は父からの手紙をいつも嬉しそうに読んでいた。
「お父様のお手紙を読んでいるとね、お母様もお父様と一緒に、世界中を旅しているような気持ちになるのよ。とってもワクワクするわ」
母はそう言って、父のお土産のクッキーの入っていた四角い缶の中に、その手紙を大切にしまっていた。
今その缶は、屋敷の庭に何層にも油紙で包装して埋めてある。
ジュリアの持ち物は姉達が勝手に漁るので。
まあ、金目の物ではないので盗まれはしないだろうが、勝手に読まれたり処分されたりするのは嫌だからである。
ジュリア自身は母の手紙なので勝手に読んだりはしていない。
しかしあれは本当に父から母への、ある意味熱烈な恋文だったのだなと改めて思った。
「母は家を出てからも、父からの手紙を大切にしていて、時々それを読み返していました。
母もずっと父を思っていたのですね」
「きっとそうですね。もしかしたら、お母様はシンディー夫人の言ったことは嘘だとわかっていながら、伯爵様のことを思って身を引かれたのかもしれませんね……」
そうかもしれない……
父親は伯爵家の息子だったが次男であり、跡を継ぐ予定はなかった。だから兄に子供が生まれ、スペアの必要性がなくなったら、祖父も許してくれるだろう、と言っていた(らしい)
母は義伯母達があの日やってくるまで、伯父が亡くなって、父が当主を継いでいた事実を知らなかった。
今思えば、ウッドクライス家の当主交代ということは、国にとっても最重要事項だったわけだから、父はとにかく忙しかったのだろう。
母に連絡をする余裕など確かになかったかも知れない。
まあ、それをわかっていて義伯母は素早く行動に移したのだろうが。
母は、父が伯爵の爵位を継いだと聞いて、平民の自分では夫の役には立てないとそう思ったのかもしれない。
母はいつも忙しい父の何の役にも立たないと、申し訳なさげだった。
父はただ母の笑顔を見れるだけで満足だったはずなのに。
ジュリアはその母の思いが切なかった。そんな彼女の悲しげな顔を見ながら男爵はこう言った。
「お父上のお気持ちが分かるなら、ジュリア様はもう私から逃げたり消えたりしないで下さいね」
ロマンド=プラント男爵は過去に二度もジュリアとの辛い別れを経験していて、それが彼のトラウマになっていた。
だから何度も繰り返して彼女に告げていた。
時々ロマンドの言葉に引っかかるものを感じるジュリアだったが、何故か、それを尋ねるタイミングを逸していた。
馬車は順調に進み、四人は馬車の中で楽しくお喋りをしたり、お弁当やヴィオラが持たせてくれたおやつを食べたり、カードゲームを興じて過ごした。
ところが太陽が傾きかけた頃、渋滞にはまり、馬車は動かなくなった。
十五分ほど経っても止まったままだったので、ルフィエが様子を見てきますと言って馬車から離れて行った。
ジュリアは不安そうにルフィエを待っていが、たいして間を空けずに彼は戻って来た。
「馬車同士の事故があって街道が通れなくなっていたようですが、馬車の修理も済んだようなので、間もなく渋滞は解消されそうですよ」
とルフィエが報告してくれたので、一同はホッとしたのだった。
そしてルフィエの言葉通り、それから五分ほどで馬車はゆっくりとではあったが動き始めた。
それから少し経って、馬車は事故のあったと思われる場所に通りかかった。
何故そこが事故現場だとわかったかというと、道の端に車輪で深く抉られた跡があったからだ。
そしてそこに馬車が横倒しになったのだろう。街道沿いの花々が、広範囲に押し潰されたかのようにヘタっていたのだ。
「馬車を止めてください!」
ジュリアが思わず声をあげると、馬車は道の端に静かに停まった。
するとジュリアよりも先にケントが馬車から飛び降りた。
男爵が何か言いかけたのをジュリアが止めて彼の耳元で囁いた。弟のすることを見ていて下さいと……
ケントは道の端に腰を落とすと、倒れてヘタっている花にそっと両手で触れた。
するとパッと眩い光が放たれ、萎れていた花々がフワッと起き上がり、風もないのに軽く揺れ始めた。
「ケント君も『緑の手』の持ち主だったのですか?」
「そうだと思います。
あの子とは植物に対する感性が似ているのでもしやとは思っていたのですが。
恐らく本人も無意識でやっているみたいなので、まだ気付いていないとは思うのですが……
あの子も『緑の精霊使い』なのでしょうか?」
ジュリアの質問に男爵は頭を捻った。
「私でははっきりと断定は出来ませんが、『緑の精霊使い』は十歳前後でその能力が表面化すると言われています。
ケント君は今十二歳ですよね? 今まで伯爵様が気付かなかったということは、その可能性は低いかもしれません。
ただ、『緑の手』の力はかなり強いものがあると思いますし、今後力を持つ者達とたくさん触れ合えば、あるいは彼にもあの能力が現れるかもしれませんね」
それを聞いたジュリアは覚悟を決めてこう尋ねた。
「男爵様。図々しいお願いですが、今後私がプラント家へ嫁いだら、ケントの学院の長期休暇の際は、あの子の面倒を見ては頂けないでしょうか。
あの子を一人でウッドクライス家に帰省をさせたくないんです。
夫人は植物の重要性に気付いていません。いいえむしろ否定しているような気さえします。
あの家にいると気分が落ち込むし、まだ子供のケントには悪影響だと思うのです。
もちろんあの子の世話は私がしますし、出来るだけご迷惑をおかけしないように致しますので」
それを聞いた男爵は嬉しそうな顔をした。婚約して三か月、彼女からお願いごとをされるのは初めてだったからだ。
「もちろん構いませんよ。ケント君は私の弟にもなるのですから。
それに、結婚後と言わずこれから休暇の際は、是非貴女と共にいらして下さい。
彼がもし『緑の手』の力を強化を望むのなら、自然の多い環境で過ごすことはとても良いことですしね」
「ありがとうございます!」
ジュリアは満面の笑みを浮かべたのだった。
彼女の笑みを見て嬉しくなりながら、男爵には気になることがあった。
それは彼女が発した、「緑を否定している気がする」という、ウッドクライス夫人のことだった。
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