26. リーン編
まぶしそうに何度かまばたきをしたアリシアが、いきなり体を起こした。
「……うそでしょう」
呆然としたつぶやきが、口からもれる。ユリシーズと向かい合うように座りなおし、アリシアが自分の体にふれる。そして、心臓に手をあてる。驚き早くなっているはずの心臓は、落ち着いた一定のリズムを刻んでいる。まるで、体とは違う意思を持っているかのように。
「気づいたか」
ユリシーズが静かに聞く。
「うそでしょう」
もう一度そうつぶやいたアリシアの目から、涙がポロポロこぼれた。アリシアが手の甲でぬぐうが、まったく止まる様子がない。
「こするな。目がはれる」
ユリシーズがアリシアの両手をつかむ。アリシアが涙にぬれた瞳でユリシーズをにらむ。
「……見ないで。出てって」
アリシアが手をふりほどこうとする。だが、その力はあまりにも弱い。
「一回落ち着け」
手を解放したユリシーズが、アリシアの頭を抱き寄せた。
「見てねえから」
頭をなでられたアリシアが、むずかるように肩に顔をおしつけた。肩が小さくしゃくりあげる。
「なんてことしてくれたの」
「自分がどうなってるかは、わかってるんだな」
「当たり前でしょう。私を誰だと思っているのよ」
その声に覇気はない。
「私の体、あなたの邪気で動いてるわね」
「動かしてるのは必要最低限だけだ」
それは、アリシアが自分でコントロールできる部分はユリシーズは制御していない、ということ。
「私、死んだの?」
「死にかけてたから、俺が殺した」
「最低じゃない、あなた」
死にかけている人間を殺した。ふつうは、極悪人のセリフである。
「それしか方法がなかったんだから、しょうがないだろ。文句言うなら、俺に頼ってきたエヴァンとカミラに言え」
「あのふたり、あなたに頼ったの?」
「城にいきなり飛んできた」
アリシアがため息をつく。それはユリシーズに対してか、ユリシーズを頼ったエヴァンとカミラに対してか。
「じゃあなって、言ったんじゃないの?」
「そうしてほしいなら、俺は消える」
ユリシーズがアリシアの頭から手をはなす。だが、アリシアはユリシーズの肩に顔を押し付けたまま、顔を上げない。
「アリシア。顔上げろ」
「いや」
「やじゃねえ。上げろ」
強い、だがどこかあやすような口調に、アリシアが顔をあげる。まだ涙は止まっていない。その理由は悲しみか、怒りか、混乱か。
「お前はもう人間じゃない。俺が望めば死ぬが、そうしなかったら俺が死なないかぎり死なない」
ユリシーズが死なないかぎり。つまり、永遠に。
「それが嫌なら、今ここで殺してやる」
アリシアが、黙ってユリシーズの肩に頭をあずける。
「答えろ。そんなに悩む質問か?」
「……ふつうは悩むわよ」
「ってことは、悩んでないんだろ」
小さくしゃくりあげる肩。ユリシーズが、アリシアの髪をつかんで、無理やり顔を上げさせる。
「何するのよ」
「いい加減泣きやめ」
「目が覚めたら不老不死になってるのよ。混乱して当たり前でしょう」
その直後、アリシアの体が硬直した。ユリシーズがアリシアの唇に口づけたのだ。
「なにするの!」
アリシアの顔が真っ赤に染まっている。
「泣きやんだろ」
「変態! 破廉恥! 信じられない!」
「口づけひとつで、そこまで言うか」
ユリシーズがからかうようにアリシアの唇を指でなぞる。
「意外と初心だな」
「うるさいわよ」
ユリシーズの指をアリシアが払いのける。
「で、答えは?」
「わかってるくせに。それとも」
反撃するように、アリシアがユリシーズを見る。
「直接言われないと不安かしら?」
「そうだって言ったら、答えてくれるか?」
年の差が大きすぎる。アリシアがユリシーズにかなうはずがない。
「死ぬ気はないって、言ったでしょう。あなたに命をあずける、とも」
「死なないんだぞ。いいのか?」
「女に二言はないわ」
アリシアが強気に笑う。
「もしあなたが本当にこの世がいやになったら、そのときは私があなたを殺してあげるわよ」
そうすれば、アリシアとユリシーズはこの世から消える。
「そうか」
「……死にたくなかったのよ」
アリシアが、ぽつりと言った。
「怖かった。倒れる瞬間に思ったのよ。今ここで目を閉じたら、二度とここには戻ってこられないって。それが、怖かった」
「それで?」
「もうそういう思いをしなくてもいいのなら、悪いものではないかもしれないわね。この体も」
それあ、死の恐怖をくぐりぬけた者だけが言える言葉。
「なあ、アリシア」
「今度は何かしら?」
ユリシーズがアリシアの髪を一度なでる。
「お前の体から邪気が感じられないようにすることはできる。人間が年をとるように外見を変化させることも、たぶん可能だ」
「何が言いたいの?」
「人の世の中で暮らせるってことだ。実際に魔物と戦ったお前の評価は、市民の間では高くなる。そういう人気の人には、教会も手を出せないだろうな」
人の目が、アリシアを守る。
「教会が嫌だっていうなら、見た目を変えて、アリシアじゃない人としてふつうに生きることもできる。巫女じゃない、ふつうの人として。望むなら、エヴァンとかカミラと冒険者をできるように、それなりの戦闘力をつけることもできる。お前は、どうしたい?」
「……バカじゃないの」
アリシアの声は冷ややかだ。いや、冷ややかというよりは、あきれている。
「あのなあ、俺はまじめに聞いてるんだが」
「だから言ってるのよ。あなた、バカでしょう」
「命の恩人に向かって、バカはないだろ」
アリシアがユリシーズの胸倉をつかむ。
「ユリシーズ。あなた、どんなつもりで私に口づけしたわけ? まさか、本気で泣いてるのを止めるためとか言わないわよね。私のこと、好きなんじゃないの?」
年はユリシーズの方が上。だが、一度腹をくくればアリシアの方が強い。
「……だから、お前の意思を尊重してやろうとしてるんじゃねえか。そうじゃなかったら、そもそも助けねえよ」
「私のこと好きなくせに、命助けてくれたくせに、そばに置こうとはしないわけ?」
「お前の好きにしてやるって言ってんだよ。なにをそんなに怒ってんだ」
アリシアが眉をつりあげる。
「ほんと、自信満々に見えて、実際そんなものかけらもないわよね。私に言われないとわからない?」
今度は、ユリシーズが硬直する番だった。口づけをしたアリシアが、されたユリシーズよりも真っ赤な顔で言う。
「いくら不意打ちだろうが、泣いていようが、いやだったら口づけくらいよけるわよ。そんなに鈍くないわ、私は」
ユリシーズが目を細める。言いたいことがわかった、というように。だが、先をうながす。
「それで?」
「私を生かしたのはあなたでしょう。責任取りなさい」
ユリシーズが、胸倉をつかんでいたアリシアの手をほどく。そして、椅子からおりてひざまずいた。
「仰せのままに。マイレディ」
からかうような、だがどこか安堵した声。
「こっぱずかしいことしてくれるわね」
恥ずかしそうに顔をそむけたアリシアが、小さくつぶやく。
「魔族のあなたに命をまかせようって思うくらいには、好きよ」
「最高の言葉だな」
ユリシーズが、アリシアの手の爪先に口づけをする。アリシアははらいのけず、小さく笑った。冷たい笑いではなく、作り笑いでもない。純粋な子どものような笑い方だった。




