25. リーン編
心臓が止まっても、ユリシーズは邪気を放ち続けた。アリシアの体の中の聖気を完全に消していく。体の隅々まで塗り替えていく。
「あの雑魚と同じことするのは癪だけどな」
心臓を邪気のコントロール下におく。邪気を慎重に送り込み、心臓を強制的に動かす。その他の内臓も動かす。血液をまわし、呼吸をさせる。
レナードとかいう魔族が従えていた男は、死体だった。一回死んでいた。レナードが殺したのか、死んでいたところを拾ったのかは知らない。どちらにせよ一回死んだ肉体を、邪気で動かしていたのだ。だから、レナードが死ねばあの男は死ぬ。邪気を操作しているやつがいなくなるから。
「安定してきたか」
強すぎたり弱すぎたりして体を壊さないよう、慎重に制御する。
「雑魚とか言って、意外と力はあったんだよな」
人ひとりを生かすだけの邪気を制御していたのだから。
「きらいだけど」
逆らってくるものが嫌いなわけではない。昔は問答無用で殺していたが、今はおもしろいと感じることもある。だがそれは、正面から向かってこられたときだけだ。ルイが正面からユリシーズに助けを求めたように。エヴァンやアリシアが真っ向からユリシーズに挑んできたように。
頭脳戦が嫌いなわけでもない。打倒ユリシーズを掲げたうえでまどろっこしいことをするのなら、場合によってはそのゲームにのってやった。
だが、あのふたりは違った。ユリシーズに無断で勝手なことをしながら、ユリシーズの協力まで得ようとしていた。そういうやつには、興味がない。
「いやなこと思い出しちまったじゃねえか。あの、陰険野郎」
帝王の話などしたからだろうか。昔のことを思い出す。
なぜあれだけ殺しまわっていたのかなど、自分でもよくわかっていない。べつに、憎かったわけではない。自分以外が生きようが死のうが、どうでもよかった。ストレス発散、としか言えないだろう。もしくは、退屈しのぎか。
結局、どちらにもならなかった。畏怖を集めたところで楽しくはない。強くない奴らを蹂躙しても、おもしろみはない。まわりを殺せば殺すほど、自分が死なないことを実感しただけだった。
死にたかったわけではない。生きているという実感すらろくになかった。
人間相手に遊ぶことを覚えたのはいつだったか。そこらの魔族よりは知能があると気づいてはいたが、それを見ていようと思ったのはいつだったか。ときどき予想外なことをする人間をおもしろいと思ったのはいつだったか。
「ユリシーズって名乗ったのも、理由なかったしな」
いつのことだかすらも覚えていない。ただ、近くにいた人間にそう言ってやっただけだ。
帝王と呼ばれるのが退屈だったからだろうか。
「ったく、早く起きろや」
これ以上、記憶が昔をたどらないように。
人には始まりがある。人の記憶にも始まりがある。そして、終わりがある。
ユリシーズには、始まりも終わりもない。そういう概念すら存在しない。だから、記憶をたどろうと思えばどこまでもたどれる。いつ自分がこの世に出てきたのかもわからない。ただ、最初からこういう存在としていただけだ。だから、記憶というものも、もしかしたらこれまで積み上げてきたものではなく、記憶をもった存在としてつい最近に生まれたのかもしれない。そのあたりが、まったくわからない。
それを不安に感じたことはない。そういう存在だと割り切っている。だが、人と接すると、ときどきそれが嫌になる。
「ないものねだりほど、かっこ悪いものもないな」
わかっている。だが、こうして何もできないでいると、どうにも思考が迷走する。
「……そういうことか」
アリシアが身に着けているのは、銀を織り込んだローブ、銀でできた羽の首飾り、銀の剣。さらに、ヒヒイロカネ。
邪気とは相性の悪いものだらけだ。これでは、邪気の制御下にいるアリシアの意識が戻らないのも無理はない。
腰に手を伸ばし、剣を鞘ごとはずす。弱い魔物や魔族なら触れることすらできないだろうが、ユリシーズは触れてもとくに問題はない。つぎに、鎖の一部を切って首飾りをはずす。
さすがに、ローブを勝手に脱がせるわけにはいかない。中に何かは着ているだろうが、そういう問題ではない。
「こいつがアリシアを選ばなかったら、いろいろ違ったんだろうけどな」
ヒヒイロカネをアリシアの懐からとる。害があるわけではないが、邪気とは聖気と違う意味で逆の存在であるヒヒイロカネは、好ましい存在ではない。
このヒヒイロカネがアリシアを選ばなかったら。そのときは、アリシアはあそこまで強い聖気を扱えるようにはならなかっただろう。そして、エヴァンとともに死の領地に来ることもなく、ユリシーズと出会うこともなかった。こうして死にかけることもなかった。
それがよかったのか悪かったのかはわからない。
おそらくアリシアは、ヒヒイロカネに選ばれたことを悔やんではいない。過去のことをグダグダと悔やむようなたちではない。良くも悪くも、今をなんとかしようとあがく。
「それなんだよな……」
ユリシーズにとっては、今この瞬間は基本的にどうでもいい。長すぎる時間の、ほんの一瞬に過ぎないからだ。
だから、それがきっとまぶしかったのだ。
「んん……」
銀を遠ざけたのがきいたのか、それともゴソゴソされたからか。
アリシアが、薄く目を開いた。




