22. リーン編
目を開けると、ユリシーズの城の目の前にいた。
「あたしはリーンに戻ってるけど、なんかあったらカミラちゃんから。こっち飛んでくるから」
「ありがとうございます」
ディアナの顔色はよくない。それでも平気そうに笑うのだから、本当に強いと思う。
「じゃ、行くか」
ユリシーズの城の扉を、蹴破る勢いで開ける。
「ユリシーズ!」
「何か、用か?」
ユリシーズが眼前に現れ、一言ずつ区切るように言う。その瞬間、全身から冷汗が出た。
ユリシーズの様子を一言でいうならば、不機嫌。これまで、へらへらしていても目が笑っていないことはよくあった。というか、本心から笑っているところなど見たことがないが。だが、それとは次元が違う。いつも以上に低い声と、全身からあふれる不機嫌なオーラ。それはもう、視線だけで殺されてしまいそうなほど。
「用がないなら、俺は消えるが」
ひるんでいる場合ではない。
「アリシアが、倒れた」
ユリシーズの表情は変わらない。空は青いのだと聞いても、同じ反応をするだろう。
「それで? それを俺に言う理由は?」
城の邪気が前よりずっと濃い。立っているだけで、息がつまりそうなほどに。
ユリシーズが意識して邪気を出していないのはわかっている。ユリシーズは、そこまでエヴァンとカミラに意識を向けていない。だから、この邪気は無意識。
普段ユリシーズがどれだけ邪気を正確に制御しているのかが、わかった。こんな邪気を垂れ流していたら、弱い魔物は一瞬で消えるだろう。
腹に力をこめて、息を吐く。ユリシーズの邪気は何度も経験している。少しは、耐えられる。
「そうなること、わかってたんだろ?」
「根拠は?」
「ヒヒイロカネを抜いたアリシアは、魔物と近接戦をするはめになる。邪気にあてられて倒れることくらい、お前なら予想ついたんじゃねえの?」
本当は、こうしてゆっくり話している時間はない。だが、直球に頼んだところで、ユリシーズは動かない。
希望がないわけではない。邪気の制御ができないくらい、ユリシーズの精神は不安定だ。それが何によるものなのかは知らない。だが、うまくいけば、ユリシーズを動かせるかもしれない。
「俺は、スタンピートをおさえた。アリシアひとりを対価に、何人を助けたことになる? お前らに、文句を言われる筋合いはない」
軽い口調ではない。これが、ユリシーズの本性。
「まどろっこしい話して、どうするつもりだ? 俺相手に、通用するとは思ってないんだろ?」
ユリシーズには、全部読まれている。そして、今回はその茶番に乗ってくれる様子はない。
「アリシアを助けて」
カミラが言った。邪気のせいか顔色は悪く、膝もかすかにふるえている。だが、声はまっすぐだ。
「あんたの、せいでしょう。アリシアを助けて。なんとかして」
これ以上ない、直球の願い。だが、ユリシーズはピクリとも動かない。
「俺は取引に乗っただけだ。倒れたのは、あいつの自業自得。たとえ死のうが、俺の知った話じゃない」
「ふざけるな!」
頭で、なにかがキレた。
「アリシアが、なんでお前に取引を持ち掛けたと思ってる? お前なら、なんとかしてくれるって思ったからだろうが!」
「だから、それに俺は関係ない」
「スタンピートを押さえた? そんな取引、アリシアの持ってるものでできるわけないって、アリシアが気づかないはずないだろ。多少不公平だろうが、お前なら受けてくれるって思ったから、あんなことしたんだよ」
ユリシーズは、基本的に人に興味はない。だから、たとえアリシアが命をさしだそうが、ユリシーズがスタンピートをおさえる理由にはならない。アリシアが何をしても、ユリシーズと公平な取引をすることは不可能だった。
エヴァンがわかるくらいなのだ。アリシアがわかっていなかったはずがない。それでも、ユリシーズと取引をした。
「一方的な信頼を押し付けられても迷惑だ」
ユリシーズの声にいら立ちがまざる。
「その一方的な信頼にこたえたのは、お前だろうが。ヒヒイロカネを抜くことが条件? それでアリシアが死んだところで、お前に利はない。だろ? 今ここで平然としてるくらいだからな」
邪気のせいか興奮のせいか、息が上がる。
「なのに、お前は取引にのった。お前に得はなかったのに、だ。アリシアだったから、のったんじゃねえの?」
ユリシーズは、いつだってアリシアには甘い。エヴァンやカミラに甘いように見えても、取引に一番関わっているのは、アリシアだった。
「前にここでアリシアが倒れたときも、お前は取引って言ってアリシアを助けた。だけど、そのときの俺への対価は庭を戻すことだった。どう考えても、釣り合わないだろ」
そのときだけではない。
「カミラと俺が誘拐されたとき、お前は俺を助けた。アリシアに言い負かされて。だけど、あんなん負けじゃねえだろうが。話すって約束したが、その前に俺がくたばった。それだけの話だった。なのに、お前はアリシアに言い負かされたって言って、俺を助けた」
あのときは気づかなかった。だが、少し考えればわかったことだ。
「お前は、アリシアには甘い。大事なんだろ? アリシアが」
それ以外に、理由は思いつかない。
「勝手に人の心情を決めつけるのは、失礼じゃないか?」
「俺とカミラと話してるとき、お前はいつもへらへらしてた。べつに、楽しくはなかったんだろ? おもしろいとか言っておきながら」
それがわからないほど鈍くなったつもりはない。
「だけど、アリシアと話すとき、お前は楽しそうだった。自分でもわかってんだろ」
くだらないやりとりをしていたアリシアとユリシーズは、楽しそうだった。
ユリシーズに一歩近づこうと、足を踏み出す。これ以上聞き分けないなら、胸倉をつかんでやろう、と。
「近寄るな」
ユリシーズが右手をエヴァンに向かって振る。
「は?」
一瞬、理解が追い付かない。
「ぐっ……!」
わき腹が焼けるように熱い。体のバランスがたもてず、膝をつく。
左のわき腹に、黒い長いものが刺さっている。完全に、貫通している。
「エヴァン!」
カミラにこたえようと口を開く。だが、出たのは言葉ではなく、血だった。口を押さえた手が、真っ赤に染まっている。
肉が傷ついただけならまだいい。凶器が傷をふさいでいるから、すぐ死ぬような出血ではない。
だが、血を吐いたとなると、内臓まで傷がいっている。長くは、持たないだろう。
「噛んで!」
カミラが布を投げてよこす。エヴァンはそれを歯で噛んだ。これで、うっかり舌を噛むことはない。
頭がショートしたのか、痛みをどこか遠くに感じる。
暴走しそうな魔術を押さえる。今魔術が暴走したら、確実に自爆する。
「ああ、もう!」
カミラが叫び、ユリシーズにつめよる。
「信じられないんだけど。何がしたいの!?」
「お前らが勝手にここに来たんだろ」
ユリシーズが、変わらない瞳でエヴァンを一瞥する。
だが、確実にユリシーズは動揺している。エヴァンに刺さった瞬間、ユリシーズは一瞬だけ驚いたような顔をした。当てるつもりはなかったのか、そもそも出す気がなかったのか。どちらにせよ、ユリシーズが力の制御ができないほど不安定なのは、間違いない。
「アリシアはね、無駄な時間が嫌いなんだよ。なのに、ユリシーズとの言い合いはしてたわけ。その意味がわかんないほどバカじゃないでしょ!」
カミラがユリシーズの胸倉をつかむ。だが、ユリシーズは抵抗しない。
「アリシアは、あんたといるときが一番楽しそうだった」
泣きそうな、それでも揺らがない声。
「私は、ユリシーズが血も涙もないやつだとは思ってない。アリシアを助けたいんじゃないの? そうじゃなかったら、本気でどうでもいいんだったら、私たちの用件を聞いた時点で追い返してるでしょ!」
カミラの肩が震えた。顔をしかめ、ユリシーズから手を放す。
「アリシアの息が弱くなってるって。私たちは、帰る」
バーナードかディアナからテレパシーが来たのだろう。ディアナが迎えにくるのなら、ここで倒れているわけにもいかない。
刺さっている棒が動かないように押さえ、痛みをこらえて立ち上がる。
「もしこれでアリシアが死んだら、一生恨んでやる!」
カミラの頬を、涙が一筋つたう。
「ほんと、お前らアホだよな」
ユリシーズが言う。
「まあ、そういうやつは嫌いじゃない」
ユリシーズが指を鳴らすと、また浮遊感に襲われた。




