17 リーン編
ディアナがいなくなった後、アリシアは首からかけていた魔石を取り出した。それを握りしめ、聖気を放つ。
手の中から魔石が消えると同時に、目の前に人が現れる。
「お前に呼ばれるときがあるとは、思ってなかったな」
「使えるものは、なんでも使うわよ」
その魔石に魔術か聖気を流したら、一度だけ話をしに呼ばれてやる。それが、ユリシーズが言ったこと。
「何の用だ?」
「スタンピートが起きることは、知ってるわね?」
アリシアが腕を組み、ユリシーズを見据える。ユリシーズは、その瞳を真っ向から受け止めた。
「知ってる」
「それを、おさえてくれないかしら」
「それが用件なら、俺は帰るぜ」
ユリシーズから邪気が放たれる。
「俺がお前の言うことを聞く理由はない。前にエヴァンとカミラを助けたのも、話をするって言っちまったからってだけの話だ。なんで俺がスタンピートをおさえないといけない?」
ユリシーズがゆるりと笑う。目はどこまでも冷たいまま。
「それに、強い者とは相いれないんだろ? その相いれない者に一時的に助けてもらったら、どうなる? 魔族が人間を助けたってなってみろ。面倒じゃねえか」
「わかってるわよ。それくらい。だけど、あなたなら悟られずに何とかすることもできるでしょう」
アリシアの瞳は、揺るがない。
「こっちに押し寄せてくるのを倒せとは言わないわよ。これ以上増えないようにしてほしいの」
「それは、お願いか?」
「今回のスタンピートは、自然に起きたものじゃないわ。起こされたものよ」
ユリシーズの目がかすかに大きく開く。
「根拠は?」
「邪気に操られていた人を覚えているでしょう? それと同じ感じがするのよ。死の領地の邪気でも、魔物がふつうに持っている邪気でもない。なにか、違和感があるの」
「なるほど。それで?」
アリシアが強気に口角を上げる。
「ここはあなたの縄張りなんでしょう? あなたのあずかり知らぬところでスタンピートを起こされるなんて、あなたのプライド的にはどうなのかしら?」
ユリシーズは、縄張りを荒らされることを良しとしない。だから、操られた人の現れたギアトーレまで来たくらいだ。
「それで俺が勝手してるやつらを倒すとしても、それが今である必要はない。お前らを助けてやることと、関係ねえよ」
「まあ、そう言うでしょうね」
ユリシーズがパチンと指を鳴らした。
「時間は気にしなくていい。ゆっくりしゃべろうぜ」
「何をしたの?」
「ここだけ時間の流れを遅くした」
あきれたように、アリシアがため息をつく。
「何でもありね」
「わかってたことだろ。それで?」
「あなたが言うことを聞いてくれるのなら、なんでもするわ」
アリシアらしくない捨て身の交渉に、ユリシーズが眉を寄せる。
「そこまで言う理由は? 自分を犠牲にしてでも他人を助けたい、なんてたちじゃねえだろ」
「ひどい言いざまね」
「ごまかすな」
嘘偽りの許されない、鋭い空気。
「教会に捨てられたのよ。戻れないわ」
「捨てられた?」
「聖地にいるよう言われていたのは知っているでしょう。だけど、それですまなかったのよ。ふつう、浄化の巫女はスタンピートに駆り出されることはないわ。それなのに私が駆り出されたのは、捨てられたからよ。このスタンピートで死んで来いってこと」
アリシアの声に、感情はない。
「だから、俺に命かけてもいいと? お前らしくねえな。こんなずさんなこと」
「あなたに命はあげるわよ。好きにしていいわ」
「死んでもいい、か?」
その問いに、アリシアが笑う。
「あなたは私を殺さない。そうでしょう?」
「根拠は?」
「せっかくのおもちゃを殺すなんてこと、あなたはしないわ」
おもちゃがきえちまうのはさみしい。そう言ったのは、ユリシーズだ。
「それでも、俺に好きにされていいと?」
「教会にいられないし、人の世にもいられないもの。社会的に殺されたようなものだわ」
「死にたくはないんだな」
「死にたがりだと思っていたの?」
ユリシーズが、木にもたれる。
「俺の城で、死ぬ気で襲ってきたじゃねえか」
「まあ、あのときは死ぬ気だったわね。生きてる意味がなかったもの」
「ふうん?」
アリシアが目を閉じ、また開ける。
「教会でも利用されるだけ。それで死ぬような任務に生かされたら、生きる気もなくなるわよ」
「今回も、同じような状況だろ?」
「あのふたりを残しては死ねないわよ」
あのふたり。エヴァンとカミラ。
「へえ。そんなに大事になったんだな」
「初めて、私とふつうに話してくれたのよ。どんなことしても、離れようとしなかった。私ともう会えなくなるって聞いただけで、泣くくらい思われてるのよ。少しくらいうぬぼれてもいいじゃない。私に生きてほしいって、打算もなく純粋に思われてるって」
アリシアの瞳は、強い。
「まあ、あのふたりを人質にとられて、おとなしく聖地に行くくらいだもんな」
「教会の権力は、あのふたりが思っているより、ずっと大きいわ。エヴァンは無理でも、カミラをとらえるくらいはできる。でも、そんなことさせないわよ。あのふたりは、ああやって自由に生きていくのが似合っているわよ」
「とはいえ、ずっとあそこでおとなしくしてるつもりもなかったんだろ?」
ユリシーズの、試すような声。
「何年かかけて、教会のトップに上り詰めるつもりだったのよ。それで、根本から教会を何とかしてやろうって。べつに、国のためなんて理由でするわけじゃないわよ。顔も知らない人のために命を懸けられるような人間じゃないもの、私は。だけど、私が生きやすいように、自分でしたかったの」
少しの自嘲。だが、それ以上にあるのは、強い誇り。
「少し失敗して、こうやって捨てられたけど」
「国のためとか言って、カミラが誘拐されたときも、あいつらのために動いてたのか」
「ええ、そうよ。タルアが滅びようが、知った話ではないもの。でも、あのふたりは守りたかった。あのふたりの隣は、楽しかったのよ」
「あいつらに今の言葉聞かせたら、喜ぶんじゃねえの?」
アリシアは、それに返事をしない。
「出世が面倒とか言ってたこともあったくせにな」
「出世に興味はないわよ。でも、教会の下っ端でいるつもりもなかったわ」
「矛盾してるな」
「してるかしら?」
アリシアが、ゆるりと笑う。ユリシーズに仕返しするように。
「自分の実力に見合うだけの価値がある人生を送りたいだけよ。そのためには、自分の実力を自分で把握するだけじゃなくて、それを他人に見せないといけないじゃない。私からしたら、実力を把握してない人は厄介だけど、実力を隠そうとしてる人も意味がわからないわね」
「きっつい言い方だな」
「下っ端だったら、エヴァンとカミラと一緒にいることはなかった。グリフィン商会だって、軍に操られたままだったかもしれない。そう考えたら、出世も悪いものじゃないわよ」
達観した言い方。
「俺に会えたことは、そこに入らねえの?」
「……よくも悪くも、影響が大きかったのは事実ね」
その答えは、ユリシーズを満足させたのか、否か。
「まあ、いいぜ。好きにしていいって言うのなら、好きにさせてもらうか」
「そう。要求は?」
「といっても、べつに何をしたいわけでもないからな。ただ、人に助けてもらうんだ。お前も本気出せ」
ユリシーズがアリシアの懐を指さす。
「それ抜け。とりあえず、それが条件だ」
「……いいわよ。それだけ?」
「他は、カミラにテレパシーで伝える。それでいいだろ」
アリシアがうなずく。
「じゃあな」
ユリシーズが右手を軽く振る。アリシアの体を、浮遊感が襲った。




