6. ギアトーレ編
朝は曇っていた空が晴れて明るくなっている。
「今から、浄化をするわ」
「浄化って、何をするんだ?」
「邪気を払う、というか聖気で消すのよ。この辺りは邪気があるから」
カミラがエヴァンを見る。
「昨日そんなこと言ってたよね?」
「それでこんな所に来たわけだからな」
「気づいていたのね?」
アリシアが振り返ることなく聞く。
「ダンジョンと同じような感じがした」
「私は何も感じなかったんだけど」
「そう。じゃあ、自分も邪気を持ったことで鋭くなっているのかもしれないわね。これくらいの邪気なら普通の人は感じないわよ。ダンジョンも、上層なら感じるほど邪気は多くないわ」
昨夜会った場所に来ると、アリシアは止まった。
「エヴァンはここで待っていてちょうだい。カミラさんは来たいならついてきてもいいわ」
「ここで?」
「あなたの邪気と私の聖気がどう反応するかわからないもの。あなたの邪気のせいでちゃんと浄化できなかったら話にならないし」
エヴァンの邪気の方が強いのだから、アリシアがそう言うのは当たり前だ。それをカミラもわかっているのだろう。
『行った方がいい?』
『まあ、行かない理由はないな』
「私はついて行っていいの?」
と怒っているでもなく聞いた。
「いいわよ。ついてきて」
二人は無縁墓地を通り過ぎたあたりで止まる。二人が何を話しているのかは聞こえない。だが、カミラがそこにとどまったままで、アリシアはもう少し奥に進んだ。
アリシアが剣を抜き、地面に突き立てる。
そして、澄んだ歌声が聞こえた。
ただの歌ではない。言葉まではわからないが、神への祝詞なのだろう。
「すげえな」
エヴァンは思わずつぶやいた。アリシアを中心に、邪気が違うものに変わっていくのがわかる。これが聖気なのだろう。確かに、邪気が影で聖気が光、という表現が似合う。空気が明るくなっていく。
『アリシアが何を言ってるのか分かるか?』
『よくわかんないけど、古語かな。今と言葉がちょっと違う』
『古語、か。じゃあ、俺にはわからんな』
『でも神とかなんとか言ってる』
あたり一帯の邪気が聖気に変わったところで、アリシアの歌声が止んだ。剣をしまい、カミラと戻ってくる。
「よくわかんなかったんだけど、エヴァンは何か感じた?」
「ああ。聖気に変わった」
「じゃあ、やっぱり鋭くなっているんでしょうね」
アリシアは少し汗をかいていた。
「浄化っていうのは疲れるもんなのか?」
「多少は。核がなかったから、私でもなんとかなったわ」
「核?」
「気にしないでいいわ」
ドアを開けて家に入る。
「話を中断させちゃってたわね。他に聞きたいことはある?」
「アリシアは治療はできないんだよな?」
「ええ。できないわ」
できていたのなら昨夜のうちにけがを治していたはずである。
「さっき、聖職者には二種類いるって言っていたが、どういう二種類だ?」
「ひとつは治療する力を持つ者。もうひとつは聖気をただ放つ者。私は後者ね」
疑問を呈しようとするエヴァンを手で制する。
「さっき、体の中で力に形を与えるっていう話をしたでしょう。治療をする者は、体の中の聖気を治療の形に変えないと外に出せない、つまり使えない。逆に私の場合は、聖気を形に変えることができない。そのまま放出するしかできないわ」
「そんな話は聞いたことがなかったな」
「私のような人はほとんどいないもの。こうして関わることも基本はないから、知らないのが普通よ」
聖職者は皆同じローブを着ている。見た目の違いもなさそうだ。
「浄化はアリシアみたいな人しかできないってことか?」
「ええ。聖気そのもので邪気を打ち消しているから。ただ、そうでなくても邪気から身を守ることはできるわよ。聖気を持っていることには変わりないから」
カミラが手を上げる。
「人間は聖気に近い存在なんだよね?」
「ええ」
「で、聖職者は聖気を持っている?」
「そうね」
カミラは首をかしげて言った。
「他の生き物はどうなってるわけ? 私たちと同じく聖気に近いのか、それともそういうわけではないのか」
「他の普通の生き物はどちらでもないわよ。聖気に近い存在ではないわ」
カミラの質問の意図がわからない。
「人間は聖気に近い存在なんだよね。それは、聖気を持っているわけじゃなくて近いだけ?」
「……それは、ものすごく微妙な質問ね」
「もし人間が聖気を一切持っていないとしたら、聖職者は人間でも、魔術を使えない普通の生き物でもないことになるよね? 聖職者って何者なの?」
アリシアが少し目線をさまよわせた。そしてため息をつく。
「カミラさん、あなた、経典は読んでいないのね?」
「あんまり覚えてないけど」
「あなたが聞いていることは、ラミ教そのものについての質問みたいなものよ」
カミラが瞬きを何度もする。
『私、バカにされてる?』
『そういう意図があって言ってるのかは知らんけど、そう聞こえるな』
「エヴァンは知ってるわけ? 全然覚えてないんだけど」
「何となくは覚えているが、そこに専門家がいるんだから、アリシアに教えてもらった方が早いしわかりやすいだろ」
アリシアはもう一度ため息をついた。
「聖職者は神の使いよ。そもそも聖気は神の力なの。そして神は私たち人間に祝福と加護を与えた。だから、人間は聖気に近い存在なの。で、聖職者は神に仕え、人々に救いをもたらすための存在。だから神の力である聖気を使うことができるのよ」
「そんなこと書いてあったっけ?」
「一番最初に書いてあるわよ。それで、邪気は神の力の対極にあるものだから、それを浄化することが聖職者の仕事でもある」
そう言うアリシアはこれまで淡々と説明してきた時とは違い、どこか柔らかかった。まるで教会で説法を聞いているような気分になる。
「なんか……、アリシアって本当に巫女だったんだな」
「何だと思っていたのよ」
「いや、そういう話し方をすると巫女っぽいっていうか」
アリシアからまた柔らかさが消える。
「最初の出会い方がああだったもの。素を知られている相手にわざわざ取り繕う必要もないでしょうし」
「巫女がそれでいいのかよ」
「巫女も人だもの」
神の使いといえど、人間には違いない。
「それに、あなたたちだって私に救われたいとは思わないでしょう?」
「まあ、な」
「うん」
エヴァンが少し濁したのに対し、カミラは直球で答える。
「でしょう? 私に巫女として救いを求めていない相手にそうふるまう意味もないわ。他の人に対してはそれなりにふるまうけど」
「それはそうだが」
「じゃあそれ以上言わないでちょうだい。話が何も進まないわ」
突き放すような言い方。エヴァンは素直に謝る。
「そうだな。悪かった」
「話は変わるけど、あなたたち、どれくらいお金持っているの?」
「金? 何でいきなり」
話がかなりとんだ。金に関する話が出たのは初めてだ。
「これから旅をする上で知っておきたいのよ。私もある程度までは教会からもらえるから、その必要があるか聞いておきたいの」
「そういうことか。俺はかなり持ってるな。ギルドに預けてるが、一生遊んで暮らせるくらいはある」
「さすがはA級ね」
カミラが顔を背ける。
「……何とかやりくりできるくらい」
「カミラの分は俺が出せるからそれでいい。アリシアは自分の分は用意するんだろ?」
「ええ。あなたたちに借りるのもおかしな話だから」
カミラがエヴァンの袖を引っ張る。
『出してもらえるの、申し訳ないんだけど』
『途中でダンジョンに入れば多少は稼げるからな。全部俺に頼り切りにはならねえよ』
『だけど……』
エヴァンはカミラの頭に手を置いた。
『気にすんなって言っても気にするんだろうけど、減っても困らないくらいにはあるから。使わない金なんて無駄なだけだ』
『私も頑張って稼ぐ』
『頑張れ』
「それで、一応あなたたちが人の多いところにいるのはやめてほしいのよ」
「で?」
予想がついていながら、エヴァンは一応続きを促す。
「つまり、宿とかに停まってもらうことは出来ないのよ。だから、テントで暮らし続けることになるわ」
「それはこれまでもそうだったから、別に構わないが」
「ならいいわ。だけど、かなりの長旅になるって考えたら必要なものを買いそろえた方がいいと思って。この辺りなら店も多いから」
「アリシアは、俺らのテントに泊まるのか?」
アリシアの家にテントらしきものはない。
「さすがに大人三人がひとつのテントは無理でしょう。自分のものを使うわよ」
『カミラ、どうする?』
『むうう』
カミラがため息をつく。
「アリシア、一緒のテントでいいから」
「でも、入らないでしょう?」
「入るから大丈夫」
カミラがすねたように言う。アリシアは信じられないようだったが、やがてうなずいた。
「そう言うなら、甘えさせてもらうわ。ありがとう」
『お礼言った。え? お礼言った』
『そこで驚くのはさすがに失礼だろ』
アリシアが、小さく笑ったカミラを怪訝な目で見る。
「買いに行くなら、私も付いて行くから、言ってちょうだい」
「ねえ、アリシア」
カミラがまじめな声を出す。
「アリシアと二人きりで話したいんだけど」
「二人で? エヴァンがいいって言うなら」
「俺は構わないけど。遠くに行くのはダメなんだろ?」
アリシアがうなずく。
「じゃあ、テントにいるから」
『切っていいよね?』
『ああ』
カミラが視界のテレパシーを切る。
「喧嘩すんなよ」
「そこまで子どもじゃないから」
カミラのその声を背に、エヴァンはアリシアの家を出た。