32. 死の領地編
アリシアが何度か髪を撫で上げる。
「神から頂いたものって言いたいけれど、そういうわけにもいかないわね。いいわよ。本当のことを教えてあげるわ」
「知ってるんだな?」
「ええ。言ったでしょう。それなりに高い地位にいるのよ」
迷いを断ち切るように、アリシアが深呼吸をする。
「かつて天使がいたことは知っているかしら?」
「そういう話を聞いたことはあるな。俺が自我を持ったころにはもう絶滅してたはずだが」
「ええ。今から二千五百年前くらいにいなくなっているわ。原因はわからないけれど」
ユリシーズが羽を指差した。
「それは天使の羽か?」
「それを象徴しているみたいね。悪いけど、話が前後するから、あまり質問しないでちょうだい」
「わりい」
「天使は魔族と似たような存在ね。違うのは、邪気ではなく聖気でできていたっていうこと。それ以外は一緒よ」
邪気と聖気は似たようなもの。それならば、邪気が魔族を作るように、聖気が天使を作ってもおかしくはない。
「その天使と、その当時の人間が過ちを犯した結果が、今の私たちなのよ」
「過ち?」
「下賤な言い方をするのなら、まぐわったってところね。それだけじゃなくて、人間の女性が子供をもうけてしまった」
ユリシーズが目を見開く。
「できるのか? 子供なんて」
「知らないわよ。でも実際できたんだから、できるんでしょうね」
「そうか。悪い、話続けてくれ」
アリシアが水を飲む。
「そのあと長い時間が流れて、天使の血を継いだ人間が増えていった。正確に言えば、血ではなくて聖気ね。聖気を持つ人が増えていったのよ。どういうわけか、どれだけ時間が経っても消えることはなかった。数百年のうちにかなり多くなったのよ」
「天使と関係を持ったのはひとりなんだな?」
「おそらくね。人間同士であっても、子供に伝わっていったのよ」
そして、ねずみ算式に増えていった。
「そして、天使が絶滅した」
「二千五百年前か」
「そのときに、どういうわけか聖気を持たない人間はみんな消えたのよ。天使がそうしたのかもしれないわね。聖気は攻撃には向いていなくても、天使なら人を消すくらいできたでしょう」
「まあ、聖気でできているのなら、できるだろうな」
癒しの力には向いていないユリシーズでも、木を生やすくらいはできるのだ。
「それでも、それなりの人が生き残ったわ。だから、その時点から今まで、生きている人間はみんな天使からつながっている、つまり聖気を持っているわ」
「言われてみれば、カミラとかからも聖気は感じるな」
「ええ。ただ、それが強いかどうかが問題なのよ。親がどうとかは関係なくて、突然聖気を強く持つ子供が生まれる。私もそうなんだけどね。そういう人たちは、治療の力を持つか、私のように浄化する力を持っていたの」
ユリシーズが首をかしげる。
「質問していいか?」
「いいわよ。というか、さっきから質問してるじゃないの」
「聖気を持っているのなら、魔術は使えないんじゃないのか?」
聖気は中にある力。魔力は外にある力。聖気を持っている者は魔術は使えない。
「ものすごく薄いからでしょうね。力として使えるほどの聖気は持っていないんでしょう。だから、魔術を使えるようになった。まあ、それがいわゆる普通の人ね」
「なるほど」
「今聞いてくれたけれど、聖気を強く持っている人の一番の問題は魔術が使えないことなのよ。治療の力は当時は魔術だと思われていたみたいだけどね。だけど、とにかく希少だった。だから、扱いがひどかったのよ」
かすかに顔をしかめて、アリシアが言う。
「治療の力を持つ者は強制的に働かされ続けた。死ぬまでね。私のように浄化ができる人は、目に見える力じゃないから、何もできないと思われていたのよ。魔術が使えない出来損ない。だから、そうとわかった時点で殺されてしまう。そういう記録がいくつか残っているわ」
アリシアが大きく息を吐く。
「そんな中で、大人になるまで生き残って自由になった人がいたのよ。それがラミ。ラミ教の教祖ね」
やっとラミ教の名が出てきた。
「ラミって神の名前じゃなかったのか」
「人の名前よ。彼は、聖気を多く持っていた。だから、聖気や邪気について何となくわかっていたのよ。そして、同じく聖気を多く持っている人が誰なのかもわかった。だから、そういう人たちを救おうとしたのよ。それで、孤児院という名で、そういう子どもたちを保護した。それが千五百年くらい前ね」
天使が亡びてから約千年。
「そこで治療を求める人には施していたんだけれど、力にものを言わせて乱暴なことをする人がいたり、連れ去ろうとした人もいたのよ。それで、子供たちを守るために、ラミは、この力は神のものだとした。選ばれし者たちが、神から頂いた力なのだと。そうすると、神からの報復を恐れる者も出てきた」
「なるほど。それで、神か」
「そして、その当時の王様が怪我をしたときに、その孤児院の子が治療したのよ。これが神の力だと知った王様は感激し、国民にその神を崇め奉るようお触れを出した。ラミを教祖とし、その孤児院を教会として、ね。さらに、そういう力を持つ者がいたらその教会に預けるようにって命令したの。それがラミ教の始まり」
一気に話したアリシアは、背中をそらして体を伸ばした。
「その後、ラミ教はどんどん大きくなったわ。そして、今みたいな形になった。そして、聖気は神の力だとされている。今話してことを知っているのは教会の上層部くらいよ。私もかなり時間かけて調べてやっとわかったことだもの。資料も伏せられているから、ほとんどの人は知らないわ。天使の存在すら」
「つまり、神なんていないってことか」
「歪んでいるでしょう? 神を誰よりも信じているはずの存在である教会の上層部が、神なんて関係ないことを知っているんだもの」
つまらなさそうに言う。
「これほど権力と私欲にまみれた神なんて、他にいないでしょうよ」
「今の話を聞いていると、邪気を悪とする理由はなさそうに感じるけどな」
「邪気が人間に悪影響を及ぼすのは事実なのよ。聖気を持っている以上、ね。だけど、邪気を悪とするのは、ラミが言い出したことではないみたいよ。どこかの時点で付け足されたんでしょうね。悪があって初めて、神は輝くんだから。信じさせるには、その方が簡単だったんでしょうよ」
冷めた、どこまでも静かな瞳。まるで、底のない湖のような。
「正確に言えば、体に入ってきた邪気を聖気が戦うから、体に害になるのよね。だから、私たち聖職者は邪気に弱いのよ。体が聖気を強く持っているぶん、過剰に反応するのよね。それによって守られている部分はあるけれど」
「その理論で行くと、エヴァンは聖気がほとんどないのか? 俺もあいつからはほとんど感じないが」
「ええ。ほとんどないわよ。だから、抵抗せず体があなたの邪気を受け入れた。そうじゃなかったら、死んでるわよ」
「だよなあ。生きてると思わなかったし」
だから、ユリシーズは確認すらしなかった。
「ちなみに、聖気がほとんどないから魔術をあれだけ使えるんだと思うわ」
「関係あるのか?」
「聖気は中にある力。それが魔術を使うときの抵抗になるんでしょう。だから、聖気が少なければ少ないほど、魔術が得意になるんじゃないかしら。これは推測にすぎないけれど」
「自分の頭も使ってるんだな」
アリシアがユリシーズをにらむ。
「失礼ね」
「いや、冗談。そう怒るなって」
「怒らせようとしているようにしか見えないわよ」
ユリシーズが声を出して笑う。
「それにしても、逃げないんだな」
「逃げるって、何から?」
「教会から」
笑いを引っ込める。
「死んだ方がましな目に合う、とか歪んでいるとか言っておきながら、何で逃げねえの? 神を信じてるわけでもねえのに」
「逃げるわけがないでしょう。というか、逃げられないわよ」
アリシアが笑みを浮かべる。自嘲ではない、もっと切ないようなほほ笑み。
「教会が、私の唯一の居場所なんだから」
「……そうか」
ユリシーズが立ち上がる。
「もういいの?」
「まだおしゃべりしたいのなら、付き合ってやるぜ?」
「結構よ」
「冗談だって。まあ、そろそろ休んだ方がいいぜ。体もしんどいだろ」
アリシアは倒れたばかりなのだ。
「ユリシーズ」
「ん?」
「エヴァンとカミラに、心配ないって伝えてくれる? あと、心配してくれてありがとうって」
あくびをしながら、アリシアが言う。
「了解。伝えておいてやるよ」
軽く手を振り、ユリシーズが部屋を出た。




