30. 死の領地編
アリシアが倒れた、その日の夜。
「ん……」
「アリシア?」
アリシアが小さく身じろぐ。
まぶたが少し開く。
「起きた?」
アリシアが勢いよく体を起こした。目の焦点が合う。
「出てって!」
「……え?」
アリシアが、叫んだ。思い切りエヴァンとカミラを睨みつけて。
「出てってよ!」
「カミラ」
腕を引く。
『だけど……』
『刺激しない方がいい。何が起きてるのかわからないけど』
『……うん』
アリシアはまだこっちを見ている。
エヴァンとカミラは部屋の外に出た。
廊下を歩いていると、ユリシーズに遭遇した。
「あれ、もういいのか?」
「目が覚めた」
「ふうん。じゃあ、俺も行ってこようかな」
やめた方がいい、そういう前にユリシーズが立ち止まる。
「目が覚めたって割に、二人してひどい顔だな」
「アリシアが、錯乱してる」
「へえ」
驚いた様子もない。
「だから、行かない方がいい」
「俺はここの家主なんでね」
エヴァンらが来た方向に歩き出す。
「別に殺しはしねえよ。心配すんな」
そして、ユリシーズは掻き消えた。
「瞬間移動しやがった」
「アリシア、大丈夫かな……」
大丈夫だと思うしかない。
ユリシーズは、アリシアの部屋の扉を開けた。
「出てって」
「お前ねえ、心配してたあの二人にその態度はないんじゃねえの? 俺はどうでもいいけど」
椅子を作り出し、そこに座る。
「で、そこまでして何を隠したいんだ?」
アリシアが短く息を吸った。そのまま、ひきつるような呼吸をする。
「くる……し……」
「あ、わりい。邪気か」
ユリシーズは自分がまとっていた邪気を消し、アリシアの背中を一定のリズムで叩く。
「ほら、落ち着け。ゆっくり吸って吐け」
アリシアは今、自分の身を守れるほどの聖気を持っていない。ユリシーズの邪気の影響を強く受けてしまったのだ。
だんだんアリシアの呼吸が落ち着いてくる。
「落ち着いたか?」
「触らないで」
「お前なあ……」
アリシアの目には、警戒以上の何かがある。
「何がしたいわけ?」
「それは私が言いたいわよ。何がしたいの、あなた?」
アリシアがユリシーズの胸倉をつかむ。そこまで強い力ではない。簡単に払いのけられる。だが、ユリシーズはされるがままだった。
「おもしろそうって言っていろんなことするくせに、私が少し邪気で苦しんだくらいで心配する。おまけに私を殺しすらしなかった。何がしたいのよ」
「一回、落ち着け」
「落ち着いてるわよ。いたってまじめだわ」
それは人の胸倉をつかんで言うセリフではない。
「いっそ、殺してくれればよかった。こんなつもりじゃなかったわ」
「一回落ち着けって言ってんの」
手をほどかせる。
「話もできないじゃねえか」
「あなたと話すことなんてないわよ」
「いいじゃねえか。悪い話じゃないぜ」
椅子に座りなおす。
「取引しようか」
アリシアは何も言わない。
「何か目的があってあんなことをしたんだろ? それを聞いてやるよ。その代わり、俺の質問に答えればいい」
「……それはあなたに何の利があるの?」
「それを最初に聞くあたり、こういうのは慣れてるのか?」
取引の一番重要なところは、お互いが同じくらいの利益を得ること。今のユリシーズの言った内容だと、一見ユリシーズにあまり徳がない。
「何百年も生きてると退屈でね。こうやって新しいことを知るくらいしか楽しみがないわけだ」
「教会に害なすつもりなら、そういうことは答えられないわよ」
「教会の連中に興味はない。というか、誰かに話すつもりもない。確認したいことはそれだけか?」
アリシアは、一度目を閉じ、まだ開ける。
「私の目的は、聞くだけ?」
「ああ。それは言葉の綾だろうよ。無理なことじゃなければ、叶えてやる」
「……わかったわ。乗るわよ」
諦めたように言う。
「で、お前の目的は何だったんだ?」
「あなたの魔石を持って帰らないといけないのよ」
「それはまた、ずいぶん無理な話だな」
人間で、ユリシーズを倒せる者がいるとは思えない。
「あなたを倒せないことくらいわかってたわよ。だから、適当な魔族の魔石を持って帰ろうかと思っていたけれど、まったくいないんだもの。あなたを倒すしかなかった」
「何となく思ってはいたけど、意外と強かだよな」
ユリシーズの魔石を偽ろうとしていたということだ。
「そりゃこの辺りに魔族はいねえよ。俺の縄張りだからな。入ってこない」
「そう。じゃあ、そもそも無駄だったわけね」
「だが、どうしてそこまでして俺の魔石を欲しがる? 俺に挑んだら死ぬことくらいわかってたんだろ? いっそ殺してほしかったなんて言うほど追い詰められたのはなんでだ?」
アリシアが深く息を吐いた。
「教会の指示よ。それだけの話」
「それじゃ説明になってないだろ。全部話せ。お前がここに来た理由から、魔石を欲しがる理由まで」
「……楽しい話じゃないわよ。あの二人にも言っていないから、気をつけてちょうだい」
アリシアが、ベッドの柵に座りなおした。
「ことの始まりは、エヴァンがあなたに負けて帰ってきたこと。それだけならよかったのだけど、エヴァンはあのありさまだった」
「俺の邪気か」
「ええ。人も魔物も消し去ってしまうほどの邪気。それも、エヴァン本人が制御できなかった。言い方は悪いけれど、エヴァンは大量の人を殺せる毒物を持っているような状態だったの」
淡々と話す。そこに、さっきまでの錯乱は見られない。
「冒険ギルドだけで片付く話じゃなかったから、教会まで話がまわって来たわ。その時点では私は何も知らなかったけれど。とにかく、エヴァンをどうするのかが問題だった」
「殺すわけにはいかなかったのか?」
「その話も出たわよ。というか、それが一番ということになったみたいね。でも、殺すことすらできないわよ、あんな力を持っているんだから。それで、ダンジョンにずっといればいいっていう話になった。それなら、町の人に被害は出ないわ」
ユリシーズが足を組む。
「ギルドはそうするようにさりげなく言うつもりだったみたいね。だけど、エヴァンは自主的にそうした。自分の力がどれだけ危険かわかっていたんでしょう」
「まあ、あの性格だとそうしそうだな。誰も傷つけたくないって言って」
「ええ。だから、それでよかったのよ。それが狂いだしたのが、エヴァンがあなたに負けてから一年くらい経ったとき。エヴァンとカミラが出会ったときね」
アリシアが、エヴァンが置いていった水を一口含む。
「エヴァンの心情にどういう変化があったのかは知らないけれど、エヴァンはダンジョンから出てくるようになった」
「それは困るだろうな」
「ええ。そして、どうするか決まる前に私がエヴァンに会った。たまたまよ。だけど、そこで私は治る可能性を話してしまった」
「アリシアはその時点でエヴァンのことを知ってたのか?」
首を横に振る。髪がかすかに揺れる。
「存在は知っていたけど、行方不明だと思っていたわ。だから、エヴァンの状態を見て驚いたわよ。それで、完全な推測で、ユリシーズを倒せばいいって言ってしまったの」
「それで?」
「そのあと、教会に話を聞きに行ったのよ。これでも、それなりの地位にいるから、すぐに話を聞けたわ。それで、今まで話したことを知った。問題は、エヴァンがユリシーズに会いに行こうとしたことよ。移動すれば、それだけ人がいるところに行くことになる」
だいたい話が見えてきた。
「それを危惧して、浄化が出来るお前を行かせたわけか」
「そういうことよ。いざというときには殺すようにも言われたわ。それは、ギルドから教会への依頼だった。ただ、カミラに会った時点で、そういう依頼は来ていたみたいなのよ。教会が受け渋っていただけね。だけど、私がエヴァンと接触したから、受けざるを得なくなった」
「何で教会は渋ってたんだ?」
アリシアは胸の羽を一度触った。
「それに関しては聞いてないわ。だけど、冒険ギルドと教会が取引をするのはあまり望ましいことじゃないのよね。神をつかさどる教会と、武力を持つ冒険ギルドが組んだら力が強すぎるから。国に何かを言われることを恐れたんじゃないかしら。国も知らない裏取引みたいだもの」
「それでお前がここまで来たわけか」
「そういうことね。それが取引である以上、教会も利益がないといけないでしょう? その対象になったのが、あなたの魔石ね」
やっと、そこまで話がつながった。
「あなたの魔石を私たちが手に入れた場合、それは教会の持ち物になる。だから、私たちが死んで帰った場合は関係ないわね。その場合は、冒険ギルドはエヴァンとカミラを失い、教会は私を失う。それなりにバランスが取れているわ」
「手に入れた場合ってことは、手に入れられなかったら?」
「そうしたら教会に利益がないだけ。だけどね、あり得ないのよ。そんなことは。私たちが、いや、私が生きて帰る限り。だから、そんな取引が出来たのよね」
「どういう意味だ?」
アリシアは初めて小さく笑った。自嘲するような笑みだったが。
「エヴァンがもとに戻る方法は二つ。あなたを殺すか、あなたに治してもらうか。結局後者だったけれど、どっちであろうと教会にとってはどうでもよかったのよ。教会が掲げる教義は、邪気を悪とするもの。だから、何があろうとあなたを倒さないといけなかった。私があなたの魔石を持たずに帰ったら、それは私があなたに惑わされたってことになるのよ。つまり、悪の道に落ちたっていうことね」
「俺に生きて返されたことになるからか」
「ええ。そして、私がそう見なされたら、浄化と称して何をされるかわかったものじゃないわ。それこそ、死んだ方がましな目に合うでしょうね。そういう話を聞いたことがあるから。だから、いっそ殺されてしまおうと思ったのよ」
アリシアが肩をすくめる。その肩は、小さく震えている。
「そんな覚悟なんて、決められていなかったのかもしれないわね」
「……そういうことか」
やっと、アリシアの態度がつながった。




