2. ギアトーレ編
ギルドにカミラと潜ることを告げ、ダンジョンに入る。
「これは……思ったより気持ち悪いな。俺の顔が見える」
「まあ、私の視界です……だからね」
今、エヴァンはカミラの視界で見ている。つまり、向かい合わせになると、自分の顔が見える。まるで鏡に向かって話しているような感じだ。それなのに前からカミラの声が聞こえる。
「悪い。俺の横に立って」
「はあい」
こうすれば正面に見えるのはダンジョンの通路になる。カミラがいるはずの右には壁しかなく、逆に誰もいない左には自分が見えるが、横を見なければ問題ない。少なくともさっきほどの気持ち悪さはない。
「どう?」
「ちょっと酔いそうだな。俺の体の感覚と見えてるものがずれてるから」
「うーん。やっぱりそうなるよね」
カミラが一歩進んだとき、エヴァンが止まっていたら、エヴァンの体は動いていないのに視界だけ揺れることになる。
「それに、物の位置もずれるな」
左の壁に手を突こうとすると、見えているより壁が近くにあった。当然だ。カミラの方が左の壁から遠いのだから。
「しかも、俺の手が見えない」
「私が常にエヴァンを見続ければ、それは何とかなりそうだけど。……やっぱりうまくいかないかな」
「いや、慣れれば何とかなるだろ。感覚さえつかめれば」
不安そうなカミラを見……ようとしたら自分の顔が見えたので慌てて前を向く。
「多少問題があろうと、見えるようになるのはありがたい。助かる」
「うん」
うれしそうな声だ。そこで、あることに気づいた。
「この状態だと、俺はカミラの顔を見られないな?」
「そう……だね。私の視界に私の顔はないし」
「で、俺が自分で見ようとしても、顔はあまり認識できない」
エヴァンは思わずため息をついた。
「つまり、俺は自分のバディの顔がわからないままだ、と」
「……ああ、確かに。……いや、大丈夫じゃない?私が鏡を見れば」
「鏡なんて貴族しか持ってないだろ。……ああ、でも何かに映せば見えるのか」
水とか、何か金属とか。
「ならよかった」
「なによう。美人じゃなかったら組むの辞めるとか言わないよね?」
「言わねえよ、そんなこと。ただ、顔がわからないのはあんまりいいもんじゃないからな」
どうせ普段は見えない顔に、美人かどうかなど求めない。というか、顔が見えたところで、冒険のパートナーの顔の良し悪しなどどうでもいい。
「そういえば、属性魔術は使えないのか?」
「風は使える。あと、属性魔術じゃないけど空間収納も使える」
「はあ?」
思わずカミラの方を向いてしまって以下略。
「空間収納?血術二つ持ってるのか?」
「何かねえ、おじいちゃんがテレパシーで、おばあちゃんが空間収納なの。おじいちゃんがそういう特殊な人を探したみたいで。もう二人ともいないけど。だからお父さんと私は両方持ってるよ」
「信じられねえ」
血術を二つ持っている人など、聞いたこともない。
「それだけ使えて、何でE級なんだよ」
「だってどっちも戦うのには使えないよ。空間収納だってこのカバンに大量に物が詰められるってくらいで」
「空間収納ならポケットとかに全部入れられるんじゃないのか?」
カミラが首を横に振る。視界だけが揺れ、思わずよろめいた。
「大丈夫?」
「ああ。あんまり顔は動かさないでほしいが」
「わかった」
カミラは親指を立てた。うなずく代わりらしい。
「できないね。理論的にはできるのかもしれないけど、私が『物を入れる場所』でかつ『ある程度たくさん入る物』って思っていないとできないから」
「なるほど。ポケットは物を大量に入れられるわけじゃないからな」
「空間収納だから、正確に言えば、このカバンの中の空間を思いきり広げてるんだよね。ポケットは空間って感じじゃないから」
認識の問題なら、いずれはできるようになるかもしれない。だが、今はそこまでやってもらう必要はない。
「で、風魔術も使えると?」
「使えるけど、せいぜい少し風を起こすくらいで、戦うには使えないよ」
「じゃあ、それも使い勝手が悪かったのか」
「そう。だから剣で戦ってたんだけど、あまりうまくなくて」
カミラの左の腰には剣が下げてある。
「もしよかったら教えてくれない?」
「無理だな。俺もあんまり使わないし、この状態じゃきつい」
エヴァンほとんど使わない剣を抜いた。
まして今この状況でカミラと対面したら自分の顔が見えるのだ。そんな状態で剣なんて教えられるわけがない。
「とりあえず、ゴブリンか何かに出くわしたら剣を使ってみろ」
「その間は視界はこのままで大丈夫?」
「ああ。早く慣れたい」
本当は酔いそうだから嫌だが、そんなことを言っていたらいつまでたっても慣れない。
少し奥に進んだとき、微かな足音と、空気の流れを感じた。
「来るぞ」
とつぶやく。大きな音で魔物を刺激しないように。
「わかるの?」
「そんなこと言ってる場合か」
カミラが慌てて剣を抜く。
前から来たのはゴブリンだった。
「一体ならいけるだろ」
「たぶん……?」
自信なさげに言ったカミラはゴブリンに突進する。剣を横に振るが、ゴブリンによけられる。ゴブリンはカミラに棍棒を振りかぶった。
「うわわわ」
一歩後ろに下がり、剣でそれを受け止める。
「駄目だ、こりゃ」
エヴァンは思わずうめいた。カミラの視界で見ているため、今、エヴァンはゴブリンと対峙している状態に見えている。エヴァンも剣の腕はそんなに良くないが、それでもカミラの動きは明らかに悪い。自分だったらここに振るだろう、というところにかすりもしない。これは、そうとうひどい。
「カミラ、下がれ!」
カミラがエヴァンの近くまで下がってくる。エヴァンは眼帯を一瞬外した。
ゴブリンが消える。
「たかがゴブリン一体であれだけ手間取ってどうするんだ?」
「だから、剣は苦手だって言ったのに」
「それでももうちょっとましだと思ったんだよ。ひどすぎる」
「そこまで言う?」
カミラが剣を鞘にしまう。
「これは少し鍛えても無理だ。他の武器に変えた方がいい」
「他の武器?槍とか?」
「何でそこで槍なんだ」
そんなもの、細腕の女が振り回せるわけがないだろう。見たところ、カミラにはろくに筋肉もついていない。
「目はいいんだろ?なら弓矢だな。風魔術も使えるし」
「弓矢?」
「ああ。目がいいなら狙う場所がはっきり見えるだろうし、風魔術で補助をすれば力がそんなになくても飛ぶだろうからな。狙い方は俺が助ければいいし……ん?」
「なに?」
エヴァンは眉をひそめた。
「そもそも、テレパシーと風魔術って同時に使えるのか?」
「使えるよ。今だって空間収納とテレパシーと同時に使ってるし、さらに風魔術も使える」
「血術だからか?すごいな」
「何が?」
あまりに無邪気な問いに、思わずため息をつく。
「属性魔術は、普通は一度に一属性しか使えないんだよ。だから、風を使っている間に火を使うことはできない」
「ふうん。じゃあ、血術って特別なのかもね」
「たぶんな」
ふいに、カミラが立ち止まった。
「どうした?」
「ねえ、エヴァンのあの力って何なの?」
エヴァンに配慮しているのか、前を向いたまま話す。
「今だって、魔石は残ってなかったよね?」
「理由は俺にもわかんねえけど」
「へ?」
素っ頓狂な声を出される。まあ、その気持ちはわかる。
「昔、魔族に負けたんだが、その時に魔族の邪気が目に入ったらしい。左目は眼帯を取ったら、目に入った魔物が全部死ぬ、というか消える。人間相手にはやったことがないからどうなるのかはわからないが」
「なんか……すごい邪眼だね」
「で、なぜか魔石すら残らない」
その理由はわからない。わかったところでどうしようもないが。
「そういう事情があったんだ」
「人には言うなよ」
「言わないよ。私も血術のことは黙ってもらってるし」
互いの秘密を抱えた場合、それは抑止力になる。きっとカミラはそんなことは考えていないのだろうが。
「言えるような相手もいないし」
「……そうか」
聞いてはいけないことを聞いた気がした。
ダンジョンを出て、武器屋に入る。
「ねえ、すごくない?この大剣!」
「わかったから、そうはしゃぐな」
「むう。弓矢だよね」
カミラが弓を手に取る。
「こんな感じ?」
「構えは合ってるけど……、弦はどうだ?」
「ちょっと固いかなあ。引くの大変。これじゃ疲れる」
「お困りかい?お嬢ちゃん?」
店の奥から大柄なおじさんが出てきた。
「この弦、もうちょっと引きやすいやつありますか?」
「ああ、それならこっちはどうだ?その弓は少しでかいだろ?」
そう言って少し小ぶりな弓を持ってくる。
「確かに。これくらいの方がいいかもしれません」
「切れたら張ってやるから来いよ。矢はどれくらい?」
「十本ください」
おじさんはカミラに、束になった矢を渡した。
「矢筒もいるよな?」
「はい」
「他は?」
「火と水の魔石を」
エヴァンが横から言う。
「わかった。量は?」
「水は十日持つくらい。火は少しでいいです」
「おう。これくらいだな」
とんとん拍子に買う物が決まった。
「弓が千タリーに、矢が十本で三百タリー。それから魔石が全部で五十タリー。合計千三百五十タリーだな」
カミラがカバンから革袋を取り出し、お金を払う。
「まいど」
おじさんに手を振られ、店を出た。
「意外とお金は持ってるんだな」
「まあ、大量に持ってるわけじゃないから、余裕はないけど。武器はちゃんとしたやつ持ってないといけないから」
「それはそうだな」
そこでお金をケチって死んだら意味がない。
「それにしても魔石なんて初めて買ったよ」
「これまでどうしてたんだ?」
火の魔石は明かりや料理に。水の魔石は飲み水と、体をきれいにするために。自分がその魔術を使えないのなら、持っているのが普通だ。
ちなみに、魔物からとれる魔石と、この店で売っている魔石は同じ物である。何かをして、特定の魔術を使える魔石になる。使い方は簡単だ。魔石に向かって魔術を少し放つだけ。だから、魔術を使えさえすれば、誰にでも使える。
「あんまり暗いときは外にでないから、明かりは必要なかったんだよね。空間収納ができるから、水がかさばるのは問題なかったし。あと、魔石って結構高いから」
カミラにはつくづく常識というものがないと思う。
冒険ギルドの地下には、剣や弓を練習できる場所がある。
「違う。もうちょっと上に向けろ」
「ええ?今真ん中狙ってるんだけど」
「矢は落ちていくんだから上にしないとだめだろ」
離れた的にカミラが矢を放つ。
「お! 的にあたった」
「やっとな」
初めてだから仕方ないとはいえ、最初は的にあたりさえしなかった。ただ、この練習にテレパシーはちょうどいい。カミラが構えたあと、細かく指示を出せる。
「エヴァンって弓矢できるんだね」
「いや、少ししかやったことないけど」
「じゃあなんでこんなに指示できるのよ? もしかして適当に言ってる? そしたら怒るからね!」
「適当じゃない。さすがに」
だが、エヴァンは弓矢を武器にしているわけではない。
「長距離の魔術で狙うのと同じようなもんだからな。そこに、矢が落下することを考えるだけだ。何となく感覚がわかっているから、カミラより覚えが早いだけだな」
「エヴァンって魔術使えたんだ」
「言ってなかったか?」
「言われてないよ」
カミラが少しすねたように言う。
「悪かったって。魔族に負ける前は使えてたんだよ。なぜか使えなくなったけど」
「それは……大変だったね」
「まあな。で、もうやらないのか?」
「やる。けど、腕が疲れた」
矢を引くのにはかなり力を使う。さらに弓を狙う場所に固定するのも体力を使う。
「カミラはもうちょっと鍛えるべきだな」
「耳に痛い……」
それでも練習をやめる気はないのだから、うまくなるかもしれない。言ってやる気はないが。