28. 死の領地編
扉が音を立てて閉まる。
「カミラ、テレパシー」
「うん」
テレパシーが切られる。視界がぼやける。
意識的に、深呼吸をする。手が震えているのを感じる。だが、自分ではどうしようもなかった。
「大丈夫だよ」
カミラの手がエヴァンの右手に触れる。その体温に安心する。
「いくぜ」
扉越しに声が聞こえる。
「くっ……!」
左眼を押さえる。右手に力がこもる。
焼かれているような痛み。何かを体から無理やり引きずり出すような不快感。
奥歯を砕けるほどにかみしめて、何とか声を我慢する。そうしないと、みっともなく叫んでしまいそうだった。
「エヴァン!」
カミラの声が遠くに聞こえる。意識を失ってしまった方が楽か、と思ったとき
「あ……」
痛みが消えた。ゆっくり、左手をおろす。
ぐったりと背もたれにもたれる。息を詰めていたからか、呼吸が苦しい。
「大丈夫? 見える?」
いつの間にか両目を閉じていたらしい。
ゆっくり両目を開ける。
「……見える」
何度か瞬きをする。左手を目の前に持ってきて動かす。
間違いない。自分の視界だ。
「見える」
呆然とつぶやくことしかできなかった。
「邪気はもう感じないから、眼帯をとっても大丈夫よ。よかったわね」
アリシアの声は少し硬い。まだ、緊張しているのかもしれない。
慎重に眼帯をはずす。左眼は何も見えないが、邪気があふれる感覚はなかった。
「ほんとに見える?」
椅子から立ち上がったカミラがのぞきこんでくる。その頬に思わず手を添えた。
「カミ……ラ」
目が合う。
「初めてカミラの顔を見たな」
鏡や水を使えば見えるか、と言いながら、やったことがなかった。
少し幼いが、整った顔立ち。明るい快活そうな瞳が、今はうるんでいる。何か言いたげに震える、血色のいい唇。
「思ってた以上だ」
カミラの顔が赤くなる。
その瞳から、涙がこぼれる。
「エヴァン……」
ボロボロ涙を流しながら、それでも目をそらそうとはしない。
「泣くことじゃないだろ」
「だって……」
鼻をすする。
「初めて……エヴァンと目が合った」
はっとした。思わず顔に添えた手を放す。
カミラが、エヴァンの首に顔をうずめてくる。柔らかい髪が首に触れる。
「ずっと、こっち見てくれなかったから」
テレパシーをつないだ状態でエヴァンがカミラを見ると、見えるのはエヴァンの顔だ。だから、エヴァンはカミラの方を見ないようにしていたし、カミラもそれをわかっていたから、エヴァンの方を見ようとはしなかった。
だが、それはエヴァンから見たときの話。普通に見えているカミラからしたら。
「話してても、絶対こっち向いてくれないんだもん」
ただただ自分の方を向いてくれない人、となってしまう。そんな人とずっと一緒にいるのは、どんな気分だったのだろう。エヴァンだったら、離れようとするかもしれない。
「わかってたよ。仕方ないって。私の視界で見てるんだもん。だけど……」
しゃくりあげる、その背中をなでる。
「嫌われてるんじゃないかって。そんなことないのわかってるけど。でも、こっち見てくれないから、目も合わせたくないんじゃないかって」
「ごめんな」
考えればわかったことなのだ。でも、考えていなかった。自分のことで精いっぱいだった。いつだって明るいカミラが、そう思っているとは思わなかった。
「謝らなくていいの。わかってるの。エヴァンは悪くない」
駄々っ子みたいな、それでいてか細い声。
「ただ、不安だったの。さみしかった。こんなこと思ってるの、気付かれないようにしようって思って。でも、さみしかった。見てくれないのが、不安で。だけど、こんなこと思ってる自分が嫌で。エヴァンはもっとつらいのにって……」
何度も、何度もしゃくりあげる。
支離滅裂な言葉が、余計に胸に刺さる。
「ごめんな。辛かったよな」
背中をさする。
「ほんとに、よかった」
小さな小さなその言葉が、胸にすっとしみた。
扉が開く。
「お前はあの中にいなくていいのか?」
「居心地が悪いだけだもの」
感情をのぞかせない、硬い声。
「なるほど。確かにお前だけ温度が違ったもんな」
「失礼ね。よかったとは思ってるわよ」
アリシアが、ユリシーズに一歩近づいた。
「あなた、ずいぶん意地悪ね」
「何のことだ?」
「少し痛むかもしれない、なんて、笑かしてくれるじゃない」
ひとつも笑わないで言う。
ユリシーズの眼が鋭くなる。
「気づいていたのか?」
「もともと体にあるはずのないものよ。まして、あなたが意識的にエヴァンの体にとどめておいたもの。それを抜くのに、あれほど痛むはずがないでしょう。わざとね?」
「ご名答」
ユリシーズが肩をすくめる。
「ずいぶん悪趣味ね」
「美人にそういわれると傷つくね」
ニヤニヤしたユリシーズを、アリシアが鼻で笑う。
「目が笑ってないわよ」
「おや、手厳しい。わかっちゃう?」
「へらへらしないでちょうだい。気持ち悪い」
ユリシーズの笑みが、へらへらしたものから挑戦的なものに変わる。
「そちらも、ずいぶんと口の悪い巫女だことで」
「あなた相手に取り繕う理由がないもの。無駄なことをする気はないの」
「ほう……。言うね。気の強い女は嫌いじゃない」
ユリシーズが一歩アリシアに近づく。
「じゃあ、無駄なことが嫌いな巫女さんが俺に話しかけた理由は? 俺に何の用がある?」
「あなたから声をかけてきたんでしょう? 少し前のことも覚えていないなんて、残念な記憶力ね」
「ご冗談を。俺に用がないなら、部屋から出てこないだろ? 居心地が悪いなんていう、くだらない理由じゃないはずだ」
アリシアが動いた。
「さて、どういうつもりだ?」
ユリシーズが片手でアリシアの剣を受け止めている。首の横で。
「相手、してくれないの?」
「その剣さえなければ、いいシチュエーションなんだけどな。ぜひとも言われてみたいセリフだ」
「面白いこと言ってくれるじゃない」
二人とも目が笑っていない。口元だけに、笑みを浮かべている。
やがて、笑みを消したユリシーズが口を開く。
「手が震えてるぜ、お嬢さん」
剣を無理やり下に向ける。
「また、気絶させられたいか?」
アリシアは動かない。手首が無理な方向に曲がっているが、その表情に変化はない。
「俺は、逃げる奴には興味はない。逃がしてやるよ。ただし、向かってきた奴には容赦しない。生かす意味もないからな。それでも、いいんだな?」
「逃げられないのよ、どうせ」
どこか投げやりな口調。
ユリシーズは剣から手を離すと、肩をすくめた。
「相手してやってもいいけど、明日な。俺は疲れてんだ」
「どういうつもり?」
アリシアが剣を首に向ける。だがユリシーズは動かない。防御しようとすらしない。
「どうもこうも、疲れてるって言ったろ。俺の記憶力が残念だって言うんなら、たった今言われたことくらい覚えておくんだな。ひとり一部屋やるから、適当に休め。全部の部屋の邪気は消しておいた。その方がいいんだろ?」
ユリシーズが向きを変える。
「明日になっても気が変わらなかったら来い。相手してやる」
ユリシーズが離れていく。
アリシアは剣を鞘にしまうと、壁にもたれた。膝が震えている。
「情けをかけられるなんてね……」
そうつぶやく唇は、真っ青だった。




