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隻眼の冒険者  作者: 綾川朱雨
第一部
25/97

24. 死の領地編

 アリシアが、うつぶせに寝かせられたエヴァンの服を脱がし、背中を水で濡らした布で拭く。


「エヴァンは……」

「大丈夫よ。死ぬような傷じゃないわ」


 手際よく巻かれていく、白い包帯が眼に痛い。


「本当に?」


 顔だけ横に向けられたエヴァンの息は荒い。苦しそうに眉は顰められている。そして、なにより血の気のない顔。


「ええ」


 アリシアが言葉少なに答える。


「アリシアに治療ができたらよかったのに」


 カミラは思わずそうつぶやく。もともとたまっていたストレスの行き場がない。


「ねえ、どうしてこれまで本気出さなかったの?」


 アリシアはあのとき、「本気を出す」と言った。それはつまり、


「本気出してなかったの?」


 アリシアは答えない。


「もっと早くに本気を出していれば、こんなことにはならなかった」


 イライラが収まらない。


「浄化しかできないくせに。治療なんてできないくせに。どうして本気出さなかったの?」


 アリシアの顔がかすかに歪む。だが、もう止められない。


「どうでもいいんでしょ? たかが教会の依頼だもんね」


 アリシアの平手が飛んだ。左頬に痛みが走る。


「カミラ。あなた今、自分が何を言ったのかわかってる?」


 聞いたことのないほど、冷たい声。


「自分の部屋で休んできなさい」

「ここを離れろって言うの?」


 エヴァンを置いて。


「そんなことできるわけが……」

「頭を冷やしてきなさいって言ってるのよ」


 アリシアが人の話をさえぎるのは珍しい。


「冷静になりなさい」

「そんなこと言ったって……」

「今のあなたにエヴァンは任せられないわよ。何をしでかすかわかったものじゃないわ」


 きつい言い方。だが、アリシアは間違ったことは言っていない。それも、わかっている。


「冷静になったと思ったら戻ってきてちょうだい」

「え?」

「言いたくないけれど、私も疲れているのよ」


 エヴァンに気を取られていて気づかなかった。アリシアもひどく顔色が悪かった。


 神の力を使うのは疲れる。アリシアは前にそう言っていた。ただでさえ常に邪気から身を守っているのだ。そこにさらにあれだけの力を使えば疲れるに決まっている。


 おそらくアリシアは、自分が倒れなくて済むように、本気は出さないでいたのだろう。いざというときに、使えるように。


 冷静になった。そう自分では思っているが、きっとアリシアから見ればそうじゃないのだろう。


「わかった」


 カミラはエヴァンに背を向け、部屋を出た。




 エヴァンはうっすら目を開けた。背中が痛い。だが、目の痛みと頭痛はおさまっていた。


「あ、起きた?」

「ああ……」


 痛みをこらえながら、ゆっくり体を起こす。


「ちょっと、寝てなきゃダメだって」

「いや、あの体勢だと首が痛い」


 ベッドに腰かけて座る。


「他に痛むところは?」

「背中……だな。後は大丈夫だ」

「熱はまだありそうなんだけどね」


 カミラが額に手を当てる。その手が冷たくて気持ちがいい。


「どれくらい経った?」

「一日と半分くらい。今昼前だから」

「そうか」


 思ったより時間は経っていなかった。怪我の大きさからして、もう少し目覚めないかと思っていた。


「何か食べられそう?」

「いや、いい」


 腹は減っていない。


「アリシアは?」

「休んでると思う。疲れたって言ってたから」

「まあ、あれだけの力を使ったらな」


 あれはすごかった。ぼんやりとしか覚えていないが、邪気が一気に消え、聖気に変わったのだ。


「カミラは、怪我してないな?」

「私より自分の心配してよ。私もアリシアも大丈夫だから」

「ならよかった」

「それは私のセリフだよ」


 カミラがあきれ半分、安堵半分の声で言う。


「どれだけ心配したか。ほんとによかった」

「悪かった」

「そこはありがとうって言ってほしいんだけど」


 カミラがエヴァンの横に腰かける。


「ありがとう」

「うん」


 カミラがエヴァンに顔を近付ける。テレパシーが繋がっていないため、エヴァンは顔を背けない。


 エヴァンにも表情が読み取れるくらい、顔を近付ける。


「ねえ、そこまでして戻りたい?」

「え?」

「死んじゃうかと思ったんだよ」


 不安そうな声。


「倒れて、血が出て、死ぬのかと思ったんだから」

「……悪かった」

「謝ってほしいわけじゃないの」


 カミラがエヴァンの左手を取り、カミラの頬に添えた。ちょうど、カミラがエヴァンと一緒に行きたいと説得したときと同じように。


「死んでほしくない。死んでほしくないの」


 駄々っ子のような言い方が、妙に胸に響く。


「目が治った方がいいのはわかってる。だけど、それで死ぬのかもしれないのなら、それは嫌。死んでほしくないの。生きててほしいの」

「カミラ……」


 何て言えばいいのかがわからない。ただ、カミラの頬をなぞった。ぼやける輪郭を確かめるように。その体温を感じるように。


 その手に、水滴が触れた。

 カミラが、泣いている。


「今だって何とかなってるじゃない。普通とは言えないかもしれないけれど、生きているじゃない。そこまでして、もとに戻りたい? ねえ、死なないでよ」


 ぽろぽろと涙をこぼす。


「死んじゃうかと思ったんだから」


 小さくしゃくりあげるカミラを、胸に抱く。あやすように背中をさする。


「ごめんな、そんな思いさせて」


 カミラがそこまで思ってくれているとは、思っていなかった。


「だけど、俺は戻りたいと思ってる」

「でも……」


 顔を上げようとするカミラの頭をなでる。

 カミラの顔が、また胸に沈む。


「カミラに会う前、俺は死ぬ気だったんだ」


 誰にも言わなかった話。


「え?」

「この目が危険なものだってことは、俺が一番わかってる。いつか、人を殺すんじゃないかって思って、怖かった」


 カミラが顔を上げる。今度は引き止めなかった。


「そうなる前に死のうと思った。ろくに見えないのも、怖かった。このまま自分が奪われて、何も感じなくなるんじゃないかって思った」

「うん」

「ダンジョンにもぐって、ほとんど外に出なかった。死にたくても、自分で死ぬのは怖かったんだ。だから、魔物に殺されようと思った」

「うん」


 静かな相づちが心地良い。


「だけど、死ねなかった。この目は、強かった。眼帯を取らなければいいって思ったけど、それもできなかった。魔物が見えたら、眼帯を取ってた」

「うん」

「今思えば、無意識に生きようとしてたのかもしれない。だけど、そんなことは思えなかった。人を傷つける前に、死にたかった」


 それほどまでに、病んでいた。


「だから、最初にカミラの声を聞いたときも、助けようとは思わなかった。人と関わりたくなかった」

「それなのに、助けてくれたの?」

「頭の中に、声が聞こえた。テレパシーだったんだろ。それで、助けないといけないって思った。何でかはわからないけど」


 その直感に従ったのだ。ただ、それだけだった。


「カミラにバディになってほしいって言われて、最初は嫌だった。カミラを傷つけると思った。そんなことになったら、自分も二度と立ち直れないって」

「うん」

「だけど、テレパシーの話を聞いて、また見えるんだって思った。耳が聞こえなくなっても、音を感じられるんだって。それが、嬉しかった」

「うん」


 あのときの感覚は、今も覚えている。


「それから、久しぶりに人としゃべって、楽しかった。こんなに楽なんだって思った。しゃべっている間は、気が楽になった」

「うん」

「ほっといたら、お前がまた死にそうで。それは嫌だった。お前が笑ってくれるのが、楽しかった。もう独りにはなりたくなかった」

「そっか」


 病んだ自分に、光が差したようだった。


「アリシアに、目が戻る方法があるって言われて、それにかけたいって思った」

「それはあのときも言ってたよね」

「生きていたいって、思ったんだ。目が戻ったら、また普通に生きられるんじゃないかって。だから……」


 言葉が続かない。


「今は、生きてたいって思ってる?」

「ああ」


 カミラが、エヴァンの胸に顔をうずめた。


「ごめんね。そんなこと思ってたの、気づかなくて」

「いや、気づかれないようにしていたからな」


 こんな自分を知られたくなかった。


「そのときに、エヴァンが死んじゃわなくてよかった」


 カミラの背中をなでる。


「無理しないでよ。ほんとに心配したんだから」

「ごめんな」

「謝ってほしいわけじゃない」


 カミラは、また泣いていた。服が少し湿る。

 震える細い肩を抱く。


「死なないでよ。お願い」

「うん」

「心配したんだから」

「ごめんな」


 それ以外に、言えなかった。




 アリシアが部屋に入ってくる。エヴァンは口の前に人差し指を立てた。


「あら、寝てるの?」

「ああ。さっきまで起きてたんだけどな」


 泣き疲れたのか、カミラはエヴァンの胸の中で眠ってしまっていた。


「目が覚めたのね。よかったわ」

「心配かけたな」


 アリシアが近づいてくる。


「体は起こして大丈夫なの?」

「この方が首が楽なんだよ」

「そう。だけど、寝てたほうがいいわよ。体が休まらないわ」


 椀を差し出される。


「薬湯か?」

「ええ。包帯に塗ろうかと思ったんだけど、飲めるのなら飲んでちょうだい。痛み止めと、眠くなるものも入っているから、飲んだら寝ちゃって」

「わかった」


 空いている右手で受け取り、ゆっくり喉に流す。


「苦いな」

「薬湯だもの」


 空になった椀を返す。


「あのあと、魔物は大丈夫なのか?」

「ええ。まったく出てこないわ」

「それはよかった。が、何であんなに出てきたんだろうな?」


 アリシアが肩をすくめる。


「何か異常があったのは確かでしょうけど。もしかしたら、ランベのときのように、ユリシーズが何かしたのかもしれないわね」

「やりかねないな。あいつなら」


 テントに入ったところに追い打ちをかけないのも、あの男らしい。


「それは推測にすぎないわ。けれど、今異常が起きていないことは事実ね」


 アリシアがカミラを見る。


「起こした方がいいか?」

「悪いけど、そのまま休ませてあげて」


 アリシアが困ったように微笑んだ。


「カミラはね、私が何回代わるって言ってもそこにいたのよ。だから、あなたが倒れてから一睡もしてないの」

「そう……か」

「誰かが見ていればいいんだからって言ったんだけどね。聞かなかったの。よほどあなたが心配だったんでしょう」


 それは、さっきのカミラの様子からもわかる。


「申し訳なかったな」

「そう思うなら、さっさと治してちょうだい。無理はしないこと。軽い怪我じゃないから、少し治ったからって言って動かないのよ」

「……はい」


 釘を刺される。


「じゃあ、おやすみなさい。何かあったらそこのベルを鳴らしてちょうだい」


 ベッドの横には、ベルが置いてあった。今まで気づかなかった。


 アリシアがドアの前で振り返る。


「心配したわよ。意識が戻ってよかった」


 謝ろうとして、カミラの言葉を思い出す。


「ありがとう」


 はっきりとは見えなかったが、確かにアリシアはほほえんでいた。


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