1. ギアトーレ編
キャアアアアアアアア!!
その悲鳴を聞いたとき、エヴァンは思わず顔をしかめた。ダンジョン内では、自分のパーティでない限り、他人が襲われていようが助ける必要はない。タルアの冒険ギルドのルールでも、そうなっている。むしろ助けてしまうと、その結果得た魔石がどちらのものになるのか、など面倒なことになる。
その上、助けに行った自分が危ない目に合うかもしれない。命を懸けてダンジョンに潜っているとはいえ、名前も知らぬ他人のために命を落としてやる気はさらさらない。
それでも、無視することで見殺しにしているのだと思うと、いい気はしない。あとで、その人がダンジョン内で亡くなったなどと聞いたら、罪悪感で苦しむ羽目になる。だからエヴァンは顔をしかめたのだ。
助ける気はないのに悲鳴を聞き続けることほどつらいことはない。誰だって他人の断末魔など聞きたくないものだ。そう思い、エヴァンが踵を返そうとしたとき。
『助けて!』
と、頭の中に声が聞こえた。耳から聞こえたのではない。頭の中に突然声が鳴ったのだ。
エヴァンは声の方向に走り出した。明確な理由などない。ただ、助けなければ、と思った。
声の主を探す必要もなく、エヴァンのもとに飛び込んできた。
オーガ二体を引き連れて。
全力で悲鳴を上げながら。
エヴァンに気づいた女性の顔が明るくなる。
エヴァンは女性を自分の後ろにかばうと、左目の眼帯をはずした。その瞬間、オーガが消える。奥から魔物が来ていないことを確認し、エヴァンは眼帯を戻した。
「あ……ありがとうございます」
「怪我は?」
「……ないです」
どれくらいの距離を走ってきたのか、女性は声を出すのもしんどそうだ。だが、本人の言う通り、外傷はない。
エヴァンはカバンから水袋を取り出して渡す。女性は頭を下げると、一口あおった。
「ありがとうございます」
「まさかとは思うが、水も持たずにダンジョンに潜っていたのか?」
「いや、持ってきたんですけど、逃げる時に捨ててきちゃいまして……」
申し訳なさそうに言う。
「まあ、正しい判断だな」
荷物よりなにより、己の命だ。
「本当にありがとうございました。助かりました」
もう一度頭を下げた女性は、エヴァンの目を見た。
「違ったらごめんなさい。目、ほとんど見えてませんよね?」
「……ッ。なぜそう思う?」
「私と目が合いませんし、水袋を取るときも、少し探しているようだったので」
言い逃れできる声ではなかった。
「だとしたらどうする?」
「あ、いや。悪く言おうと思ったわけではなくて……」
エヴァンの声がとがったことに気づいたのか、慌てたように手を振る。
「強いんですよね? 一瞬で倒していましたし」
エヴァンは腕を組んだ。
「あの、私と組んでもらえませんか?」
「はあ?」
まったく予想していなかった言葉に、思わず聞き返してしまう。
「組む? 俺と?」
「はい」
「本気で言ってるのか?」
「冗談でこんなこと言いません」
女性の目は本気だった。
「……とりあえず外出るか。話はその後だ」
「ありがとうございます!」
花が咲いたような笑顔だった。
「あ、荷物回収してきてもいいですか?」
「……わかった」
簡単な食事を出す店に入る。昼食のピークをこえたのか、人はまばらだった。カミラがパンを注文する。
「エヴァンさんは何か食べますか?」
「いや、いい」
すでに出来上がっていたのか、パンはすぐに運ばれてくる。
「で、俺と組むって?」
「はい。あ、私カミラって言います」
「俺は、エヴァンだ」
カミラは水をすすった。
「今は、ひとりでやってるのか?」
「そうなります……」
「E級だろう? 自殺行為だぞ」
「エヴァンさんだって、E級で、ソロでしょう」
冒険者は必ずリボンをどこかにつけている。A級は金、B級は銀、C級は赤、D級は青、そしてE級が黄色。カミラは腕に、エヴァンは肩に黄色のリボンをつけている。
ソロの冒険者は少ない。特に一番弱いE級ともなれば、ほぼ全員が誰かと組む。それは二人かもしれないし、四、五人かもしれない。どちらにせよ、ひとりで魔物を倒す力を持たないE級が一人でダンジョンに入るなど、ありえない。死にたいのか、と言いたくなる。
「俺はいいんだよ。しかし、よくギルドが許可したな。普通誰かと組まされるはずなんだが」
誰とダンジョンに潜るかは必ずギルドに伝えなければならない。E級がひとりで入ろうとしていたら、ギルドが何らかのアクションを起こすはずだ。
「私だって、ソロでやってたわけじゃないんです。毎回誰かと組んではいるんですけど、役立たずってすぐに解消されてしまって。今回は、ダンジョンの中で捨てられました」
「おい、それって犯罪だぞ」
「そうなんですか?」
不思議そうな声で言ったカミラは、鼻を鳴らした。
「あとで、ギルドに訴えてきます」
「ずいぶん弱いみたいだが、魔術は使えるのか?」
「それで、エヴァンさんに声をかけたんです」
周りをうかがってから、口を開く。
「実は、テレパシーが使えるんです」
「血術持ちなのか!?」
「けつじゅちゅ?」
「けつじゅつ」
「けちゅじゅちゅ……。むう」
正しく言えないのが悔しいのか、小さくうめく。
「で、それって何ですか?」
「ある一族しか使えない魔術だ。属性魔術と違って。属性魔術は知ってるな?」
「火、水、土、風ですよね」
どの属性を使えるかは人によるが、普通の者はだいたい属性魔術を使える。
「ああ。それと違って、血術は血のつながった一族しか使えない。だから血術と呼ばれるんだが。で、血術を持つ一族がそもそもほとんどいないからな。かなり珍しい」
「じゃあテレパシーを使えるのは私の親だけってことですか」
「血がつながっていないといけないから、父親と母親のどちらかしか持っていないが。あとはその兄弟は持っているだろうな。まあ、正確に言えば、ほかに同じ血術を持つ一族がいないとも言い切れないけど、ないだろう」
「何か、あんまりはっきりわかってるわけじゃないんですね」
カミラは不服そうだ。
「しょうがないだろう。さっきも言ったが、血術は珍しいんだ。調べようにも、数が少なすぎる」
「あ、じゃあエヴァンさんはテレパシーについてもよく知らないってことですよね?」
「そうなるな」
一呼吸おいてから、質問をする。
「テレパシーってことは相手に音を送れるのか?」
「そういうことです」
あのとき、頭の中に声が聞こえたのはそのせいだったのだ。
「言葉しか送れないのか?」
「……どういう意味ですか?」
「例えば、川の音とかを送ることは?」
カミラが手をポンと叩く。
「意味がないのでやったことはなかったですけど、今やってみますか?」
「できるのなら」
その瞬間、頭に水の音が流れる。耳から入っていないのはわかるのに、音が聞こえる。じっくりやってみると、思いのほか不快感がある。
「もういい」
「できてましたか?」
「ああ。今は、頭の中で川の音を考えたのか?」
「そうですね、はい」
ならば、頭の中の音を伝える能力、といったところか。
「それで、それが何で俺と組むことにつながるんだ?」
「私、音声だけじゃなくて、自分の視界も送れるんです。相手に自分の視界を見せられるっていうか」
「視界を? それで俺と組もうって言ったのか」
やっと話がつながった。
「エヴァンさんは目がほとんど見えていませんよね? 私の視界を頭に送れば、見えていることになると思うんです。もちろんそれは私に見えているものなので、エヴァンさんとは位置がずれてしまうと思いますが」
「つまり、俺の目になる代わりに守ってくれ、と?」
カミラがうなずく。
「エヴァンさんに事情があるのはわかってます。強いのにE級ですし、魔石もなぜか残っていませんでしたし」
「気づいてたのか?」
「目はいいですから」
普通、魔物を倒した後には魔石が残る。魔物に死体という概念はない。そして魔石を冒険ギルドでお金に換えてもらうのだ。だから魔石が残らない、などと言うことになったら生活ができない。
だが、魔石が残らないなんてことはあり得ない。よほどの事情がない限り。
「事情があるのをわかった上で、俺と組みたいのか」
「はい。私もこのままではお金を稼げませんし、まだ死にたくありませんから」
「俺がもし断ったらどうする?」
「どうするもなにも……、どうもしません。お願いしてるだけですし」
ただし、と付け加える。
「私のテレパシーについて誰にも話さないことを約束してもらいますけど」
「隠してるんだな」
「親に、あまり言わないように、と言われているので。これまで組んできた人にも誰にも言っていません」
珍しい力だからこそ、下手に知られると悪用されるかもしれない。カミラの親はそのことをわかっていたのだろう。カミラ自身がわかっているのかは疑問だが。
「言っていたら役立たずじゃなくなったかもしれなかったのにな?」
少しカマをかけてみる。
「戦闘では特に役に立ちませんよ、テレパシーなんて。声で意思疎通できるのにわざわざそんなことする必要もないですし」
悪用される恐れは考えていないようだ。そうでなかったら、初対面のエヴァンにあっさり話したりはしないだろう。いや、それすらもエヴァンに信頼されるための演技なのかもしれない。
どちらにせよ、カミラにエヴァンを害そうという意図はないように感じられる。
「お願いします。もう組んでくれる人もいなくて、エヴァンさんだけが頼りなんです。お願いします」
机に額がつくほど頭を下げているのが何となく見える。何度も言う「お願いします」の声が震えている。
「……わかった」
断ることは、できなかった。
「本当ですか!?」
ばっと顔をあげる。あまり見えない目でも、嬉しそうに輝いているのがわかった。
「ただし、条件がある」
「何でしょう……?」
「俺は事情があって、ほとんどダンジョンの中で暮らしている。それでもいいなら」
「構いません。テントなら持っていますし」
隣においてある大きなカバンを叩く。
「他に何かありますか?」
「今のところないな」
「じゃあ、これからよろしくお願いします。エヴァンさん」
エヴァンは少し顔をしかめ、
「エヴァンでいい。敬語も使わなくていいから」
「わかりまし……わかった」
その方がカミラに合っている気がした。