14. イマリナ編
最下層には、カミラのオーバーヒート以外に特に問題もなく到着した。恐ろしいほどに、何も起こらなかった。
「幻覚以外に何もできないんなら、いいんだけどな」
「そんな簡単にいくのかな? だって、相手は魔族なんでしょ?」
「魔族にも強いやつと弱いやつがいるんだよ。ただ、確かにあんまり楽観するのもよくないな」
最下層の地図はない。誰もここに来たことがない、ということだ。だが、一本道なのは助かる。
「そういえば、ギアトーレのダンジョンは分かれ道が多かったな。なのにここは一本道か?」
一階層から四階層までにはいくつか分かれ道があったが、最下層にはない。そして、ギアトーレのダンジョンには分かれ道が無数にあった。地図がなければ地上に戻れないほどに。
「そこまで手間をかける余裕がなかったんでしょうね。後は、ここの核はギアトーレの核より小さいんでしょう。だから、あそこまで大きく複雑なものを作る必要がなかった」
ダンジョンを大きくすれば、中にいられる魔物の数が増える。複雑にすれば魔物も迷い、外に出てくることが少なくなる。ダンジョンは、ものすごく合理的なシステムだ。
「あれ? 行き止まり?」
曲がり角の先。かなり奥には壁があった。
「ってことは、あそこに核があるのか?」
「おそらく。あのあたりにあるはずよ」
「邪気もかなり濃いからな。ここが最終地点か」
今のところ、変わったものは見えない。
「アリシア、何か見えるか?」
「いいえ、何も。壁しかないわ」
だんだん行き止まりの壁に近づいてくる。
「あれなんだろう? 水溜りかな」
壁の少し前に、沼のような、水溜りのようなものがある。あそこだけ、邪気が異様に濃い。
「あそこに核があるんだろうな」
そのとき、声が聞こえた。
「なんだ、支配できるのはその女だけか」
男の、ひどくしわがれた声。声の主の姿は見えない。声は奥の方から聞こえている。
「まあいい。お前らはせいぜい仲間に殺されるんだな」
「カミラ! 剣とローブ!」
アリシアが叫ぶ。カミラから受け取るとローブを羽織り、剣を抜く。
そして横の壁にもたれた。
「悪いけど、あとは頼むわ」
そう言って、剣を地面に突き立てる。その瞬間、そこだけ聖気が溢れた。
アリシアが床に崩れ落ちる。
「アリシア!」
アリシアは目をつむり、少しも動かない。
「気を失ってるだけだ。大丈夫」
「だけど……!」
「アリシアは聖気に囲まれてる。何をしたのか知らないが、操られないように自分の意識を失わせただけだろ。それより、今はあの声だ」
魔族の邪気を探ろうとするが、核の邪気が強すぎてわからない。
「……いた! 水溜りの奥」
エヴァンは眼帯をはずした。カミラの声と直感に従い、相手の姿を認識するよりも速く。
「無駄だぜ」
水溜りから何かが出てきた。
「ドラゴンか!」
「ドラゴン? うそでしょ!」
エヴァンの邪気では消えない。効かないとわかったエヴァンは、眼帯を戻しかけたが、またはずした。床に投げ捨てる。
「カミラ、テレパシーをアリシアにやれ」
「わかった!」
カミラがテレパシーを切る。理由をわかっているのかは知らないが、今は説明している暇はない。
音と、自分の感覚だけを頼りに、ドラゴンの体をよける。火を吹いてくる様子はない。
剣を抜き、タイミングを測って斬りかかる。
確かに手ごたえはあった。だが、すぐに傷がふさがっていく。
「どうしろってんだよ」
カミラが後ろから矢を放ってくる。それはドラゴンにあたったが、傷ひとつつかない。
「無駄だ。こいつは俺を守ってくれるからな」
その声を無視し、体はよけることに集中しながら、必死で解決策を探す。
エヴァンは今感覚でよけて、斬っている。だから、ドラゴンの体のどこを斬っているのかはわからない。
そして、魔物が生き物である以上、必ず急所がある。
「カミラ! 急所を探せ! お前なら見えるはずだ」
今は、カミラの目のよさを信じるしかない。
「見えるもんなの!?」
カミラが叫ぶ。
「うろこが薄いところだ! わかるか?」
ドラゴンは全身が硬いうろこに覆われている。火力でドラゴンを上回るか、うろこをも斬れるほどの攻撃を放つかすればいいのだが、今のエヴァンにはどちらも厳しい。
「……見えた! で、どうすればいいの? 射る?」
「アリシアの矢を使え! 普通の矢じゃ無理だ!」
そろそろよけるのも限界だ。
ヒュンと風を切る音がする。そして、細く邪気が切り裂かれた。
「そこか!」
矢がドラゴンのうろこにはじき返される。だが、そこだけ邪気が聖気に変わる。
思い切り振りかぶり、剣を叩きつけた。
確かな手ごたえ。そして、ドラゴンが消える。
エヴァンは眼帯を拾い、戻した。
「カミラ、テレパシー」
「うん」
テレパシーが戻される。
「……お前か」
ドラゴンの奥にいた小人。そこから放たれる邪気。
「てめえが、犯人か?」
逃げようとする首をつかみ、窒息するギリギリまで締め上げる。魔族が呼吸をしているのかは知らないが、脅しにはなるだろう。
「離せ!」
「誰が離すか。おら、さっさと吐け」
声が低くなっている自覚はある。だが、これだけ苦労させられたのだ。少しくらい、怒ってもいいだろう。
ついに、相手が音を上げた。
「わかった! なんでもしゃべるから!」
「じゃあ、まずはこの邪気を何とかしろ」
「いや、これは俺が出してるわけじゃ……」
「形をなくせって言ってんだよ」
眼帯に手をかける。さっき、眼帯をはずしたらドラゴンが出てきて防御した。ドラゴンがエヴァンの邪気から守ったということは、魔族は守られなければならなかったということ。
つまり、エヴァンの邪気より弱い。
だから、眼帯をはずすぞ、という脅しは何よりも効く。魔族の顔がサッと青ざめた。
「わかったから! それはやめろ」
エヴァンは、邪気に形があることはわからなかった。だが、邪気が何か変わったことを感じた。
とりあえず、魔族を床に落としてやる。そして、体の上に足を置く。
「エヴァン、アリシア起きたよ」
「終わったみたいね。無事でよかった」
アリシアは壁に手をつきながら立ち上がる。
「大丈夫か?」
「ええ」
アリシアの顔色は少し悪い。だが、このダンジョンに入ってから常に悪かった。これまでよりひどいのかどうか、判断できない。
「邪気が変わってるわね。形がなくなってるわ」
「ああ。こいつにやらせた」
足の下でモゾモゾしている魔族を指さす。
カミラとアリシアが近づいてくる。
「それが魔族かしら」
「それが魔族? 何か、小さい」
「それって言うな! 俺にはルイって名前があるんだよ!」
「ルイ?」
エヴァンはふと首を傾げた。
「ユリシーズといい、てめえといい、何で人間の名前を名乗ってるんだ?」
「エヴァン、それどういう意味?」
「魔族は人間じゃない。人の形をしていようが、人じゃない。人と関わることもないんだから、名前なんてなくていいだろ? というか、名前は普通親につけてもらうもんだ。邪気の塊であるお前らが、何で名前を持っている?」
名前は呼ばれるためにあるものだ。人間みたいに集団で生活するなら必要だが、魔族に必要なのだろうか。
「それを言うなら、何で人の言葉を使ってるのかも気になるよね。しかも、この国の言葉を」
「……お前ら、ユリシーズ様を知ってるのか?」
「ユリシーズ、様?」
様をつけられるほど偉いやつなのだろうか。確かに強かったし、他者を圧倒するような風格はあったが。
「俺に力をくれたのはユリシーズ様なんだ。名前もくださった」
心酔しているような声が、不快に感じる。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「何で話さなきゃいけないんだよ。誰がてめえの言うことなんて聞くか」
「へえ?」
ニヤリと笑い、眼帯に手をかける。
「まだ逆らうか?」
凶悪な顔になっている自覚はある。だが、別にいいだろう。言うことを聞かないのが悪い。往生際の悪い奴だ。
「わかった! 話すから!」
ルイは首をガクガク縦に振る。
「最初から素直にうなずいてりゃいいんだ」
「エヴァン……怖いよ。気持ちはすごくわかるけどさ」
その声に救いを求めるように、ルイがカミラを見る。
「あ、私も機嫌はよろしくないからね?」
絶対零度の声。ルイの顔が絶望に変わる。
「お前も十分怖いって」
少しすねるくらいはあっても、カミラのこんな声は初めて聞いた。
「やりすぎないようにしなさいよ」
アリシアは傍観を決めこむらしい。その声のトーンはいつもと変わらなかった。