12. イマリナ編
不思議そうだが、自身のある声。
「見えなかっただけじゃなくて、か?」
「そんなに遠くなかったんでしょう? 見えなかったはずがないわ。それに、魔物の邪気は感じなかったし、音も聞こえなかったわ」
「でもなあ、見えたんだけど……」
アリシアの顔が険しくなる。
「エヴァン、あなたカミラとのテレパシーはずっと切ってたのよね?」
「ああ」
「なら、あなたに見えるはずがないでしょう」
「あ……!」
そうだ。エヴァンに見えるはずがないのだ。近くの人の顔すら判別つかないほどに目が悪いのに。遠くにいるデュラハンなんて、見えるはずがない。
「たとえデュラハンがいることがわかるくらいには見えていたとしても、矢がすり抜けたかどうかなんて、見えないはずよ」
「確かに。……何でおかしいって思わなかったんだろ?」
「普段はカミラのテレパシーで見ているから、違和感がなかったのかもしれないわね」
デュラハンが見えたことに、エヴァンは何の疑問も持っていなかった。いや、デュラハンがいることは変に思っても、見えるということ自体に疑問は抱かなかった。
「となると、何でデュラハンがいたのか以前に、何で俺に見えたのかってことになるな」
「私が無意識でテレパシーを使っちゃったってことはないの?」
「それはない。俺は自分の目線で見ていた。カミラを見たわけじゃねえけど、壁とか床の位置は変わらなかった」
普段カミラの視界で見ているからこそ断言できる。自分の目と体がずれている違和感はなかった。
「アリシアに見えなくて俺に見えたってことは、幻覚のたぐいか? アリシアは邪気に影響されないようにしていたから、見えなかった」
「たぶんそうね。目というよりは頭に入ってくる感じだったけれど。だから、見えたと認識しただけでしょうね。カミラのテレパシーみたいな感じだと思うわ」
「私の? つまり、頭の中に映像を送り込んでるってこと?」
「で、眼で見えてると勘違いしたってことか。それならつじつまが合うな。邪気がそうしてるってことか」
一律に映像を送り込んだのなら、エヴァンにもはっきりと見えたことにも納得がいく。そして、邪気がそうしているのなら、アリシアには見えなかったのも当然だ。
「でもそうだとして、何でエヴァンにも見えたわけ?」
「映像を送ってるなら、俺に見えるのも当たり前だろ?」
「そうじゃなくて。だって、エヴァンの邪気って強いんでしょ? 強い邪気が弱い邪気に影響を受けるっておかしくない? エヴァンの邪気は魔物そのものを消すくらいに強いんだから」
「それは……そうだな」
エヴァンの邪気で、邪気の塊である魔物を消せるということは、魔物は自分より強い時エヴァンの邪気に影響を受けていることになる。それなら、確かにエヴァンがそこらの邪気に影響を受けるはずがない。それこそ、ユリシーズの邪気とかでない限り。
「眼帯をつけていたからか? それなら邪気は外に出ない」
「でも、邪気って体の中にある力なんでしょ? 外に出そうが出さまいが、エヴァンの体の中に邪気があることは変わらなくない?」
「確かに……。アリシア、わかるか?」
邪気に関してはアリシアが一番詳しい。というか、エヴァンとカミラはほとんど知らないのだから、アリシアを頼るしかない。
「眼帯をつけているからっていうのはあるわね。体の中に邪気があるとはいえ、眼帯をとったときに放たれるものほど強いものが常にあるわけじゃないから、影響を受けたんでしょう」
「邪気自体は、俺の方が強いんだな?」
「ええ。ただ、そうも言い切れないわ」
「どういうことだ?」
そう言えば、アリシアはいつも以上に負担を感じているようだった。
「エヴァンの邪気はただ広がるだけ。形を持っていないわ。だけど、このダンジョンの邪気は違う。私たちの頭に入って幻覚を見せるという力を持っている。だから、私も防御するのに疲れたのよ。それに特化した分、強い」
「待って、よくわからないんだけど……」
「風魔術で説明するのがわかりやすいかしら。エヴァンは、ただ風を吹かせているだけなの。その風は私たちの体を吹き飛ばすくらいに強いけれど。それに対してこのダンジョンの風は、刃になっていると考えればいいわ。切り裂くという目的なら、ダンジョンの風の方が強いわね? エヴァンの方が風が強くても、切り裂くことに特化した風魔術には斬られてしまうかもしれない」
やっと、理解が追い付いてくる。
「つまり、頭の中に入ることに特化した邪気の方が、そこだけに関しては強かったってことか。で、形があったからアリシアはおかしいと感じた」
「ええ。だから、エヴァンも影響を受けてしまった」
アリシアが少し憂鬱そうに言う。
「邪気が形を持っているってことは、このダンジョンには魔族がいるわね。エヴァンも影響を受けたことを考えると、それなりに強い魔族が」
「ユリシーズってことはないの? ユリシーズならエヴァンより強いんでしょ?」
「いや。それはないな」
ユリシーズのことは名前以外知らないが、それでも自信をもって言える。
「あいつはめちゃくちゃ強い。だから、こんなまどろっこしい面倒なことはしねえよ。こんだけ頭使ってるってことは、ユリシーズほどは強くない魔族だ」
「うーん、よくわかんない」
「今は魔族の正体はどうでもいいわ。どうするか考えないと、どうしようもないわよ」
何もせずに入ったら、今回の二の舞になるだけだ。それでは意味がない。
「エヴァンが眼帯をはずし続けるっていうもはダメなの? そしたら、エヴァンは幻覚を見なくて済むでしょ。エヴァンの方が邪気が強いから」
言ってから、カミラが横に首を振る。
「でも、眼帯はずすなって最初に言ってたよね? 外さない方がいいの?」
「大丈夫よ。邪気に形があったしそれなりに強そうだったから、外すと何が起こるかわからなくて外さないように言ったの。だけど、最後に外しても大きな問題がなかったから、外すことに関しては問題ないと思うわ」
「まあ、……いいけど」
「何か問題あるの?」
カミラが無邪気に聞いてくる。その無邪気さに、逆に断りにくくなる。
「いや……」
「エヴァン、何かあるなら言ってちょうだい。あなたの体は未知なのよ。少しでも問題があるなら避けた方がいいわ」
「痛むんだよ、目が。長く外していると」
まず左目が痛みだす。最初はジンジンとした痛みだが、だんだん針で刺されるような痛みに変わる。そうなってくると右目もさらに見えにくくなり、頭痛もしてくる。一度限界まで外してみようと思ったことがあったが、その痛みに耐えかねて止めた。
「しかも、一度痛み出すと眼帯を戻してもしばらく続く。だから、なるべくやりたくない」
「何で私が言ったときにそうやって教えてくれないのよ。それだったら、最初からやろうなんて言わなかったのに」
「他に方法がないならそうするしかないし、それが一番楽そうだからな」
「一つしかまだ案出してないのに、何言ってんの?」
カミラは怒っているらしい。心配かけたくないと言わなかったのだが、お気に召さなかったのかもしれない。
「邪気は私のテレパシーと同じようなものなんでしょ? だったら、私と二人のどっちかがテレパシーをつないだら、その二人は影響されないんじゃないの?」
「どういう意味だ?」
「だって、二つの視界を見ることは不可能でしょ? 私のも幻覚みたいなものなんだから、両方頭に突っ込まれたら、最初に頭につながっていた私の視界が見えると思わない? 邪気がどんだけ強かろうと、私のこれは魔術だし」
カミラは自分の思いつきに自信を持っているようだった。
「で、多分つながってる私も影響されないよね? 私が視界を送っているから、そこに邪気が幻覚を送り込んでくるのは無理な気がする」
「なるほど……。絶対にそうあるとは言えないが、試してみる価値はありそうだな」
カミラは頭が柔らかい。常識に疎いからこそ、誰も思いつかないようなことを考える。
「そうだとしたら、カミラとつなげるのはアリシアか?」
「いえ、エヴァンよ」
お互いを指名する。
「アリシアはかなり負担かかってただろ? 防御し続けるのはきつそうだし、そうした方がいいんじゃないか?」
「エヴァンに幻覚が見えることが一番怖いのよ」
「どういうこと? 誰に見えても一緒じゃない?」
アリシアが首を横に振る。
「どの程度の幻覚が見えるのかはわからないけれど、もし私たちの姿が魔物に見えたら? それでエヴァンが眼帯をはずすか剣を抜くかしたら、私たちが死ぬわ。エヴァンが一番強いんだから。止められないから、駄目よ」
「そう……か」
そうならないとは言えない。エヴァンが眼帯をとったら、アリシアは一瞬しか耐えられず、カミラはそれすらできず死んでしまう。エヴァンを止める暇すらないだろう。眼帯をとらなくても、剣を抜いたら同じことだ。カミラはエヴァンから身を守れるほど戦えない。アリシアは良くわからないが、エヴァンの方が強いと断言していた。
「じゃあ、俺がカミラとやるか? そうだとして、アリシアはどうする?」
「あの状態だったら、長くダンジョンにいるのはきついよね?」
「ええ。あなたたちがデュラハンを見たあたりで限界だったわ。申し訳ないけど」
カミラがポンと手を打つ。
「幻覚、見てもいいんじゃない?」
「どういうこと?」
「だって、アリシアならエヴァンが止められるし、声はちゃんと聞こえているみたいだから、声で指示すればいいじゃん。それでも大丈夫じゃない? そしたらアリシアは防御をずっとしなくていいから、疲れないだろうし」
エヴァンは、カミラの言葉を頭の中で反芻する。
「確かに、何かあったとしても俺ならアリシアを止められる。だけど、アリシアは聖気を持ってるんだぞ。カミラが言ったのは、アリシアが邪気を受け入れるってことだ。そんなことやって大丈夫なのか?」
「わからない……わね。やったことないから」
アリシアが珍しく自信なさげな声を出す。
「ただ、やるだけやってみてもいいかもしれないわ」
「大丈夫なのか? 無理はしなくていい」
「わからないわよ。でも、それが一番良さそうだわ」
頭を絞っても、それ以上の案は出てこない。
「じゃあ、やってみるか」
「うまくいくといいけど。今から行くの?」
「アリシアが大丈夫なら。ここでずっと休んでても何も進まないからな」
「私は大丈夫よ」
顔色はかなり良くなり、いつもと変わらなくなっている。
「そうだ。カミラ、矢を一本貸してくれる?」
「でも、弓持ってないでしょ。何に使うの?」
そう言いながら、アリシアに矢を手渡す。アリシアはローブから何かを取り出すと、それを矢じりにつけた。
「何してるの?」
「矢じりに銀粉をつけたのよ。私の聖気を込めてあるから、役に立つかもしれないわ」
「わかった」
今は何の役に立つかわからない。だが、どこかで使えるかもしれない。
「よし、行くぞ」
時間は無限にはない。