11. イマリナ編
イマリノまでは歩いて十日かかった。
「なんというか……、何の変哲もない町だね」
「そうだな。俺も初めて来たが、似たような街がどこにでもありそうだ」
「ギアトーレと比べるから悪いのよ。ギアトーレはかなり大きい街なんだから」
ギアトーレほど大きくもなく、そこまでの活気もない。だが、田舎というわけでもない。特徴はないが、暮らしやすそうな町だ。
「ギルドはあっちか」
「依頼のことは伝わってんの? 私たちが行くってことは」
「ああ。一応紹介状も支部長に書いてもらったからな。カミラとアリシアは同行人って書いてもらったし。行けばイマリノの支部長に合わせてくれるらしい」
「それは、エヴァン一人?」
「さあ。それは言われたとおりにするしかないな」
ギルドが見えてくる。小さいが、立派な建物だ。
中には受付があり、何人か人がいた。受付に紹介状を見せる。
「エヴァンさんですね。支部長から話は聞いております。こちらへどうぞ。そちらのお二方も、ついてきてください」
階段を上がり、きれいな部屋に通される。客を招く部屋らしい。シンプルだが、居心地のいい部屋だ。
「わざわざ、来てくれてありがとう。私が支部長だ」
ギアトーレの支部長よりは雰囲気が柔らかいが、やはりその眼にはすごみがある。
「エヴァンです。こちらはカミラとアリシア。アリシアは巫女です」
「ああ。では、話を聞いてもらおう」
支部長が資料を渡してくる。カミラがそれを受け取る。おかげで、エヴァンも読むことが出来た。
支部長の話は、聞いていた話と変わらなかった。目新しい情報もない。
「できれば解決していただきたいが、とにかく原因を探ってほしい。前報酬は出す」
「わかりました。今からダンジョンに入るので構いませんか?」
「ああ。そうしてくれるとありがたい。案内の者をつけた方がいいか?」
「いえ、大丈夫です。お気持ちだけいただきます」
何が起こるかわからない以上、エヴァンの事情を知らない人がいる方が面倒だ。
「そうか。もし何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
支部長は何度も頭を下げた。今は問題がなくても、いつ町に魔物が出てくるかわからない。どんな手を使おうと、早く解決させたいところだろう。
「ダンジョンに入るときは、これを警備の者に見せてくれ。普通の人は入れないようになっているんだ」
渡されたのは、支部長の名が書かれた許可証だった。
ダンジョンの前の警備の人は、どこかやつれていた。許可証を見せるとうなずくが、顔色が悪い。
「これがあるなら入っていいが……。やめておいた方がいい」
「何かあったのですか?」
アリシアが前に出る。こういうとき、アリシアの話し方は人の力を抜く。
「巫女さんですか。あなたも聞いているでしょう。出てきた者はみんな錯乱しているのですよ」
「ええ。聞いています。痛ましいことです」
「ここにはいつもは一人しか立ってないんですが、すぐ近くに建物があるでしょう? 今はここに立つのは交代で、あとはあそこに詰めているんです。いつ魔物が出てきても対処できるように。ですが、ずっと気を張っているからか、疲れて不安定になってしまう奴もいまして……」
この人も、ずいぶんと顔色が悪い。不安なのだろう。
「許可証があるってことは、任されたんでしょう? 無理はしてほしくありませんが、できれば何とかしてください。もう色々と限界なんです」
「それは大変でしたね。私たちも力を尽くします」
アリシアが微笑む。
「あなた方がこうしてくれているおかげでこの町が守られています。それは素晴らしいことです。神も必ず見てくださっていますよ」
「あ、ありがとうございます!」
「あなた方とこの町に、神の祝福がありますように」
ふわりと聖気が放たれる。浄化のときよりも、ずっとやわらかい。
「ありがとうございます!」
警備の青年の顔色は、いくらかマシになっていた。聖気を感じたわけではないだろうから、精神的な問題だろう。
青年から離れ、分厚い金属の扉に閉ざされた地下への入り口に立つ。
「アリシアって凄いんだね。元気出てたよ、あの人」
「これが本来の仕事だもの」
「何とかしないとかわいそうだな。どこまでできるかわかんねえけど」
剣を抜く。
「カミラ、テレパシーを切れ」
「何で?」
「感覚をつかみたい。ない方がいい」
ずれた視界には慣れてきたが、何が起こるかわからないダンジョンだ。音や空気で感じたい。
テレパシーが切られる。アリシアが剣を抜き、カミラが矢筒を背負い弓を用意したことを確認し、
「行くぞ」
エヴァンは扉を開けた。
ダンジョンの中は薄暗く、土のにおいがした。それは普通のダンジョンと変わらない。
「アリシア、大丈夫?」
「ええ……」
アリシアが眉間にしわを寄せ、左手でこめかみを押さえている。
「気をつけて。おかしいわ、ここ」
「なんか気づいたか?」
エヴァンは何も感じていない。
「邪気が、おかしい」
「とりあえず、進んでも大丈夫か?」
「……ええ。エヴァン、眼帯は取らない方がいいかも」
「わかった」
何かあったら引き返せばいい。エヴァンは入り口を確認し、気を引き締めて進んだ。
「何も、出ないな」
入口が見えなくなるくらいまでは進んだが、何もいない。音もせず、空気の流れも感じない。
「入ってる人が俺ら以外にいないとはいえ、静かすぎる」
「何も変わったものは見えないけど。アリシア、本当に大丈夫?」
顔色が悪く、汗がにじんでいる。おまけに、息も荒い。浄化の後のときよりもずっとしんどそうだ。
「一回休むか?」
「大丈夫……よ。邪気がある以上……ここで休んでも、変わらないわ」
「本当にきつくなったら言えよ。外に出るから」
しゃべるのもつらいのか、アリシアは黙ってうなずいた。
「奥、何かいる!」
カミラが叫ぶ。
「嘘だろ! 何も感じなかったぞ!」
音も、空気の流れも、匂いも。
「あれは……デュラハン!」
「本当に、一階層に出るのか」
何も感じない以上、視覚に頼るしかない。
そう思ったとき、エヴァンにもデュラハンが見えた。黒く、大きな首無し鎧。
「デュラハンだ……」
近づいてくる速度は速くない。だが、のんびりしている暇はない。
「デュラハン? 二人とも、何を言っているの……?」
「見えないなら、下がってろ」
見えていたとしても、今のアリシアを前には出せない。
「カミラ、関節を狙え。膝だ。他は当たっても意味ないから」
「了解」
弓を構え、カミラが矢を放つ。
だが、それはすり抜けた。まるで、そこに何も存在していないかのように。
「嘘だろ……」
攻撃が通らない。それは冒険者の実力の問題などではなかったのだ。今の矢は確実に当たっていた。それは間違いない。なのに、当たらなかった。デュラハンに、そんな特徴はない。攻撃が効きにくいとはいえ、それは当たらない、というわけではない。
「エヴァン、どうするの?」
デュラハンはだんだん近づいてくる。薄暗い中でも、輪郭がはっきり見えるようになってきた。
「くっ……」
「アリシア!」
アリシアが膝をついた。その表情は見えないが、地面に剣を突き立てている右腕は震えている。
「エヴァン! 眼帯をとりなさい!」
エヴァンは、眼帯をとった。
その瞬間、デュラハンが掻き消えた。
アリシアが立ち上がり、剣を振り下ろす。爆発的な聖気が、邪気を消す。
「入口まで走って! 振り返らないで走りなさい!」
これほど切迫したアリシアの声は聞いたことがない。三人は、一斉に入口へと走った。一度も振り返ることなく。
外に出て、扉を閉める。
「アリシア、大丈夫か?」
アリシアは、扉に背を預けてぐったりと座り込んでしまった。血の気がなく、苦しそうに呼吸をしている。いくら全力で走ったからといって、こうはならないだろう。
「やっぱり、何かあったのか? このダンジョン」
「ええ……」
「アリシア、飲める?」
カミラに渡された水を飲むと、いくらか顔色がよくなってきた。
「ありがとう」
「とりあえず、休むか。カミラ、テント出してくれるか?」
「はーい」
カミラがテントを出す。カミラが頑張ったため、テントの中はものすごく広い。エヴァンの寝室と、カミラとアリシアの寝室。ちゃんと人数分布団もある。それから、椅子が三脚と机がひとつ。そして、物置。テントとは思えない広さと快適さだ。
もちろん、それらの物をそろえるのに、エヴァンがお金を出した。宿に泊まれずずっとテント暮らし。しかも女が二人と男ひとりとなれば、ある程度考えざるをえない。その結果がこのテントだ。
「疲れたわ」
アリシアが剣を置き、椅子に座る。
「私も疲れた。デュラハンなんて初めて見た。しかも矢が当たらなかったし」
「一階に出るはずがない魔物が出るっていうのは事実みたいだな。ゴブリンとかは逆にいなかったし」
エヴァンは水をあおった。全力で走ったため、エヴァンも疲れている。肉体的に、というよりも精神的に、だが。
「おまけに、攻撃が当たらなかった。デュラハンは鎧だから、当たったら音がするはずなのにしなかったし、よけられたわけでもなかった」
今でも、その事実が信じられない。それでも、認めるしかない。
「すり抜けたんだよなあ。何でだろ」
「エヴァンもわかんない?」
「わからん。無理。こんなの初めてだ」
冒険者になって四年目だが、こんなことは起きたことがない。話に聞いたことすらない。
「あれは、焦るな。あれで気を失ったんなら、錯乱してもおかしくない」
「エヴァンがそう言うなら、そうなんだろうね」
カミラが、ずっと黙っているアリシアに目を向ける。
「大丈夫? まだ体調悪い?」
「それは大丈夫だけど……」
アリシアは怪訝な顔をしている。なにひとつ理解できない、という顔。アリシアがこんな顔をするのは珍しい。これまでは、誰よりも状況を理解していた。
「二人とも、何を言っているの?」
「何のことだ?」
「あそこに、デュラハンなんていなかったわよ」
はっきり、そう言った。