9. ギアトーレ編
ダンジョンの前にはギルドの人間が二人立っている。冒険者以外が入らないようにするためだ。アリシアは、そのうちの一人に近づく。
「どういった御用件でしょうか?」
「浄化に。後ろの二人は護衛です」
「そうでしたか。よろしくお願いします」
アリシアがあっさりダンジョンに入っていく。エヴァンとカミラは理解できないながらもついて中に入る。
「何で入れたの?」
「浄化ってどういうことだ? 護衛って?」
「言ったでしょう。巫女はダンジョンに入れるって。その方法がこれなの」
銀の剣を抜いて答える。
「ダンジョンはたまに浄化するのよ。だけど巫女はそこまで自分の身を守る手段を持たないから、冒険者に護衛として一緒に入ってもらうことが多いの」
「だから護衛って言ったのか」
「浄化ってことは、ダンジョンの中は邪気で満ちてるってこと?」
アリシアがうなずく。アリシアの周りだけ、空気が違う。浄化されているのだ。
「ええ」
「でも、邪気って体の中にある力なんだよね? 何で外にあるの?」
「俺も邪気を出してるらしいし、魔物は邪気を出してるんじゃねえの?」
「正確に言えば、外にある邪気は使えないのよ。だから、中にある力って言ったの。エヴァンが言ってることで合ってるわ」
うなずこうとしたカミラは視線を遠くに向けた。。通路の奥をにらむ。
「何か来る」
「ああ」
カミラが弓を構える。エヴァンは右手に剣を持ち、左手を眼帯にかける。
「ゴブリンか」
カミラが矢を放つ。だが、届かない。
「落ち着け、カミラ。もう少し左だ。風魔術もかけろ」
「わかってるけど……」
カミラの息が上がり、手が震える。視界も揺らいでいた。これでは、当たらない。エヴァンも指示を出せない。
「落ち着きなさい、カミラ」
アリシアがそう言ったとき、ゴブリンの動きが鈍った。こちらに走ってくるスピードが明らかに遅くなる。
「当たるわよ。大丈夫」
アリシアの静かな声に、カミラの震えが止まる。
「もう少し上。そう、今だ!」
放った矢はゴブリンの頭に命中した。ゴブリンが消え、地面に魔石だけが残る。
「できた……!」
魔石を拾う。小さいが、魔石には違いない。
「一人で倒せた!」
「……うれしそうなところ悪いが。アリシア、何をした?」
「気づいたの?」
カミラがすごい勢いで振り返る。
「へ? 何かしたの? 動いてなかったよね?」
「あれだけゴブリンの動きが遅くなれば、何かしたのは明らかだろ」
「聖気で動きを鈍らせたのよ。魔物にとって聖気は毒だから」
カミラが地面を蹴る。
「一人でできたと思ったのに」
「私は少し助けただけよ。倒したのはカミラだわ」
その言葉に、エヴァンは眉をひそめる。
アリシアは、エヴァンの邪気に当てられても死なないくらいには強い。というか、聖気を使える。しかも「私より強い聖職者はいるにはいる」という微妙な言い回しをした。つまり、アリシアは相当強い。
「アリシアなら、倒せたんじゃねえの?」
「何言ってんの。巫女は殺生禁止ってさっき言ってたでしょ」
「だが、魔物は倒していいんだろ? だから俺にも襲ってきたんだろうし」
アリシアの表情からは何も読み取れない。
「だけど、アリシアの剣は斬るためのものじゃないんだよ。殺せないでしょ」
「だから、斬るんじゃなくて浄化するんだ」
自分の考えを整理するように、話す。
「俺らと魔物は体が違うんだろ? そんな感じのことを言ってたよな?」
「言ったわね」
「で、俺にやられても人間は体が残るわけだ。なのに魔物は死体が残らない。しかも、魔物は斬っても血が出たりはしない」
カミラがポンと手を打つ。
「つまり、魔物には体がないってこと?」
「ああ。で、そうだとしたらアリシアは魔物を浄化して消せるはずだ。違うか?」
その強い聖気でもって。
「たいした観察眼ね。いや、推理力かしら」
「ってことは、当たりか?」
「ええ。魔物に体はないし、浄化すれば消すこともできる」
自分で言っておきながら、エヴァンは首をかしげる。
「体がないって言うのはどういうことだ? 殺せば手ごたえがあるし、触れることもできるのに」
「それは難しい質問ね。それに関してはすべてがわかっているわけじゃないけれど」
それでも少しはわかっており、そしてアリシアは知っているのだ。
「魔物や魔族は邪気の塊よ。邪気が集まって、何らかの原因で形を持つ。そして、触れられるようになる。そのとき、魔物の体の核になっているのが魔石ね」
「だけど、斬ったら死ぬぞ」
「邪気が固まって生き物という形をとったら、それは死ぬこともあるでしょう。とはいえ、わかりきってるわけじゃないから、何とも言えないわね。ただ、急所を傷つけたら死ぬのは事実よ。そういう感覚は冒険者の方があるんじゃないかしら」
魔物に火魔術をぶつけると、燃えているように感じる。剣で斬れば、斬った手ごたえもある。それなのに、体というものは存在しないという。なのに、死ぬ。殺すことが出来る。
「魔族は邪気を火や水に変えることが出来るようだし、聖職者も多くは聖気を治療する力に変えることが出来る。ただの力なら、生き物の形をとらないとは言えないわ」
「魔物が邪気の塊なら、殺さない限り死なないの?」
「さあ。ただ、魔物同士で殺し合うこともあるみたいだから、人が手を出さなくても死ぬんじゃないかしら。ただ、寿命が存在するのかは知らないわ」
アリシアの頬を汗が伝う。前髪が汗に張り付いている。
「疲れた? 大丈夫?」
「浄化しているのは自分の周りだけだから、そこまででもないわ。大丈夫よ。ありがとう」
「なるほど。疲れるから、魔物を浄化で消すことはしないのか」
墓地で浄化をしていたときも、アリシアは疲れていた。
「ええ。神の力を使うから、人の体には少しきついものがあるわね」
神は絶対的な存在。神の使いとはいえ、その力の差は圧倒的だ。人の体に、負担がかからないはずがない。
「ダンジョンに入ってたら、常に浄化し続けないといけないってことか? 聖気を持ってるんだから、邪気に耐性はあるんだろ?」
「耐性があるわけじゃないわ。ある意味、あなたたちよりも邪気に弱いわよ」
「俺らよりも?」
配慮してか、カミラが歩く速度を落とす。アリシアは小さく頭を下げた。
「聖気で邪気を浄化できるから、身を守ることは出来るのよ。ただ、体に邪気が身体に入ると、普通の人よりも悪影響が大きいの。聖気を持っている分どうしてもね。今、あなたたちも多少は邪気の影響を受けているのよ。でも、それは大したことはないわ。だけど、私は常に邪気から身を守らないといけないから、常に浄化し続けないといけないのよ。だから、耐性があるとは言い難いわね」
「だとしたら、浄化ができない治療の聖職者は邪気には当たれないのか?」
「ええ。だから、治療するときも教会の中か近くだけでしょう。ある程度身を守ることはできるけれど」
怪我をして治療してもらう場合、教会に行く。それができないほど重要な場合は来てくれるが、それでもダンジョンに近すぎるところには来ない。それを薄情だ、怠慢だなどと言う人もいるが、今のアリシアの話を聞けば納得できる。
「大変なんだね、巫女って。ふつうの人でよかったかも」
「カミラはそうかもしれないわね」
「ちょっと、それ、どういう意味?」
カミラがアリシアに食いつく。
「悪い意味で言ったわけじゃないわよ。気にしないで」
「静かに。来るぞ」
目が見えなくなってから、エヴァンは音に敏感になった。音だけではなく、わずかな空気の流れにも。だから、姿が見えずとも感じることができる。
「たぶん、オークだな」
「オーク!」
カミラが弓を構える。エヴァンが助けたときにカミラを襲っていたやつだ。図体がでかく、一直線に走ってくる。知能は高くない、というかむしろ低いが、ぶつかられたらまず死ぬだろう。かすっただけでも大怪我だ。一発で倒さない限り、かなり厳しくなる。
エヴァンは剣を抜いた。腕に重みがかかる。
「足を狙え」
「足? 目が弱点なんじゃなかった?」
「弱点だが、目が見えなくなっても突進してくる。暴れるから余計危険だ。 とりあえず、走ってくるのを止めろ」
ぼんやりとオークの姿が見えてくる。一体しかいない。
「もう少し、右。風で補助しろ。アリシア」
カミラがギリギリと弓を引く。アリシアが、聖気を広く放った。オークの動きが遅くなる。
「今だ!」
ヒュン、と矢が音を立てる。オークの前足に突き刺さり、前に倒れる。それでも走ろうとするオークをエヴァンは斬った。すっとオークが消える。
「すげえ。スパッと斬れた。さすがオリハルコンだな」
「できた……」
「大丈夫か?」
カミラが床にへたり込んでいる。弓は握ったままだ。
「緊張した……。気が抜けちゃった」
「で、腰が抜けたのか」
手を差し出すと、カミラがその手を取る。汗ばんでいるが、冷たく震えていた。
「よく頑張ったな」
頭をなでる。
「むう。子ども扱いされてる……」
だが、声は嬉しそうだ。
「きれいなフォームだったわね」
アリシアが手渡してくる魔石を受け取る。
「意外って? 失礼な。俺も多少は使える」
「あまり使わないみたいだったから、教えてもらったわけじゃないんだと思ってたのよ。自己流なところもない、きれいな形だったから少し驚いたわ」
それがわかるということは、アリシアもそれなりに剣を使えるということだ。銀の剣は斬るためのものではなく、聖職者は殺生はできない。それなのに。
「アリシアは使えるのか?」
「少しは。斬る形で浄化する方が楽だから、練習したのよ」
「エヴァン、かっこよかった」
カミラが仕返しとばかりに、エヴァンの頭をなでる。というか、髪の毛をぐちゃぐちゃにされる。
「剣使ってんの初めて見た。すごかったよ」
「カミラもかっこよかったぞ」
髪の毛の仕返しに、頬を引っ張ってやる。意外と柔らかかった。