ぬいぐるみのかくれんぼ
ここから本編スタートです。
夏。じりじりとした暑さが纏わり付く昼下がり。
柔らかな猫っ毛を後ろできゅっと一つにまとめ、制服のブラウスの襟元を少し開けた女生徒が一人、片手にノートを持って屋上への階段を駆け足で登っていた。
屋上へと続くドアを開けると、いかにも夏らしい日光の強い光が地面に反射して目に刺さる。少女はほんの一瞬煩わしそうに目を閉じた後、真夏の屋上へと踏み出していく。
少女の名は水野旭。春から、私立朝露中学校の二年生になった。
旭は屋上に設置されている水泳の授業時に使う更衣室に近付いて行くと、中には入らずくるりと裏手側に回る。
めったに人目につかない片隅にしゃがみ込むと、うっすらと口元に笑みを浮かべた。
「……見っけ。」
旭の目線の先には、小さなボロボロのぬいぐるみが積み上げられた小さな山があった。
元は一つ一つが可愛らしい動物のぬいぐるみだったようだが、あちこちの糸がほつれ、布地は薄汚れて所々擦り切れてしまっているものもある。一見しただけでは、このぬいぐるみたちに何か価値があるようには到底思えない代物だった。
しかし旭は一瞬手を伸ばしかけ、迷うような表情を浮かべてから、片手に持っていたノートを膝の上で開いた。
「朝露中学校、七不思議が一番目……『ぬいぐるみのかくれんぼ』。」
そう呟くと、旭はもう一度眼前のぬいぐるみたちを見てゴクリと生唾を飲み込む。
『ぬいぐるみのかくれんぼ』__真夜中の朝露中学校の敷地内に入ると、和服を着た可愛らしい男の子が現れる。その男の子はどこからか可愛らしい小さな動物のぬいぐるみを取り出して、「夜明けまでに、この子を見つけてお家に帰してあげて」と言われる。男の子が指定した場所にぬいぐるみを帰すまで敷地から出ることは出来ず、夜明けまでにぬいぐるみを帰さないと永遠に夜の学校に囚われる、という朝露中学校の七不思議が一番目として在校生の間で知られている怪談だ。
そしてこの『ぬいぐるみのかくれんぼ』には、「見つけてさえ貰えなかったぬいぐるみ達は、男の子によって回収され、朝露中学校のどこかに隠されている。そのぬいぐるみを持って真夜中に学校の敷地内に入ると、かくれんぼは始まらず、男の子と話が出来る」という噂もあった。
無類のオカルト好きである旭は、身の安全を考え、まず隠されたぬいぐるみを入手してから真夜中の学校に行こうと考えたのだった。
「これだ。これが噂のぬいぐるみに違いない。……私の本能がそう言ってる」
テンションが上がっているからか意味のわからない事を口走りながら、旭はボロボロのぬいぐるみの、その一つを手に取った。
その時。
「……!?……いった……!?」
目の奥を刺すような痛みが襲い、旭は反射的に強く目をつむった。
3秒経つか経たないかのうちに痛みは鎮まり、そっと目を開ける。そこに広がっていたのはしかし、旭が先程から居る何の変哲も無い屋上の景色だった。
ぬいぐるみに触れたことで心霊的な何かが起きたのでは、とワクワクしていた旭はつまらなそうに小さくため息をつき、手に取ったぬいぐるみをポケットにしまうと昼休みの終わりを告げる予鈴と共に立ち上がった。
「ま、良いか。全ては今夜明らかになるし。」
楽しそうに呟くと、旭は自分の教室へと急いだ。
「……よし、準備完了。ぬいぐるみも……持った。」
深夜11時。七不思議の真相を確かめるための外出準備を済ませた旭は、誰もいない我が家を出て歩き出した。
「ほんと、両親が超多忙だとこういう時楽で良いわ~」
旭の両親は二人とも常に超多忙で、度重なる国内外の出張で家に居る時の方が珍しいほどだ。
小さい頃から託児所やら近所の家やらに預けられっぱなしで、居ない事が当たり前だったから寂しいだとか不満だとかを感じる事もなかったし、その関係で旭は家事全般を一人でこなせてしまうので、不便を感じることもなかった。むしろ、趣味や勉強の事でいちいちとやかく言われる事もなく、こうして自由にしていられるので楽だとすら思っているほどだ。
「熱帯夜~……暑い~……」
真夏の夜はじめじめとした不快な暑さがある。旭は額の汗を拭いながら、いつもの通学路を足早に歩いていた。
……はずだった。
「……??…なんか、雰囲気違うな」
夜、それも深夜だからかもしれないが、なんだか普段飽きるほど見ているはずの住宅街の景色に思えない。
どこがどう違うのか、具体的に述べるのは難しいのだが、何故か旭の頭の中を違和感が満たしてならなかった。
「おっと、……着いた着いた」
もやもやと考えながら歩いていたからか、気付かないうちに学校に到着していたらしい。危ない危ない、と軽く頭を振り、旭は校門に向き直る。
「……あれ?」
校門の鍵は開いていた。朝露中の校門はオートロックのはずなのに、何故か人が一人通れる程に開いている。
「……これ……これは……!?」
旭の全身の毛が逆立つのを感じる。しかし、それは恐怖から来るものではなく、歓喜や興奮から来る、いわゆる武者震いというやつだった。
「これは……怪異に誘われてる……何なら歓迎されていると言っても過言ではないのでは……!?」
旭独特のテンションの上がり方をしつつ、校門の隙間をするりと抜けて学校の敷地へと足を踏み入れる。
ちょうど全身が門を抜けて完全に敷地内に入った所で、校門は一人でにしっかりと閉まりオートロックが作動する音がした。一応解錠ボタンを押して校門を開けようと手をかけてみるものの、案の定ぴくりとも動かなかった。
驚きと楽しさで笑みが隠せないまま校庭を進むと、くすくすと笑う子供の声が微かに耳に届く。
「………誰?」
上擦った声で呟きながら、校庭の中央へとさらに足を進める。
徐々に大きくなる笑い声に旭が少しの恐怖を覚えはじめた、その時。
「ねぇお姉さん、僕とかくれんぼで遊ばない?」
突如、旭の耳元で、可愛らしい少年の声がした。
この少年は一体……??