あの人3
今回はちょっと長めになってしまいました。
僕は服の襟の部分が引っ張られるのを感じた。
「ぐえっ」「はーい、泊まろう、泊まろう。」
見れば青柳さんが引っ張っている。青柳さんは力任せにそのまま僕を再びベットのところへとずるずる引きずっていく、踏ん張ると首が締まって苦しいので僕はあまり抵抗することができない。
ベッドの前まで来ると青柳さんは僕の両肩をつかみ、まるで柔道の技でもかけるかのようにバタンと僕をベッドへと叩きつけた。叩きつけられた時の体への衝撃はほとんどベッドが吸収してくれてベッドがぎしぎしと音を立てて揺れたが、派手に動いたせいでたんこぶのあたりが痛い。
「けが人は寝てろ」「けが人になんてことするんですか⁉」
青柳さん今すごく怖い顔してるんだけど⁉今にも煙草とか口にくわえちゃいそうだよ。
それから青柳さんは僕の体からダウンジャケットを脱がすと(一瞬何をされるのかと思って焦った)何故かそれを自分で着ると「おぉ、ぴったしだ」と満足そうな声を上げ、カーテンを開けてベランダへと続く扉をガラッと開けた。
当然十二月の外気が部屋の中へと入ってくる。
「寒っ!」
あまりもの寒さに仕方がなく僕はベッドの上の布団と毛布に潜り込む。
青柳さんを見ると扉をあけ放ったままベランダでタバコを吸っている。
「あの、……僕帰ります……。」
僕はおずおずと改めて青柳さんの背中にそう言った。
「なんで?」
「なんでって、僕、明日も学校がありますし……。」
「学校?何、学生さんなの?」
「……はい、一応、大学生です。」
「ふふっ、一応ね……」そう言って青柳さんは僕の方を振り向いてベランダの欄干のところに背をもたれる。
「一人暮らし?」と青柳さんが聞いたので僕は頷いた。
「家はここら辺?」
「ここが僕の倒れたところからはそう離れていないと青柳さんが言っていましたから、それだったら多分、ここらへんだと思います。」
「ふうん」
そう言って頷くと青柳さんは僕をじっと見つめたまま黙ってしまった。
……えっと、帰っていいのかな?あぁ、でも僕のジャケットを青柳さんが着たままだ……。
「……。」
僕は何となく沈黙に、というより青柳さんがじっと無表情で僕のことを見つめてきていてその視線に、耐えられなかったので
「どうして青柳さんは僕の真上から降ってきたんですか?」
と何となく頭に浮かんだどうでもいい疑問を青柳さんになげかけた。
……いやこれどうでもよくねぇ!とりあえず何か話題を、と思って無理矢理口から出した疑問だったが、意外とこれ重要なことだった。
「んん?あぁ、……うーん、うん。」
……。
「え?あの……、「うん。」とは?」
「……。」
青柳さんは僕のそんな質問などどうでもよさそうにタバコを吸い続ける。
怖ぇよ。
何この沈黙の圧力。
僕は最初もしかして自分の声がよく聞こえなかったのかなと思ったが、それだったら最初にリアクションを見せた時点で聞き返してくるだろう、しかし青柳さんはいつまでたっても聞き返してこず沈黙の中、ただ青柳さんの「はぁ」とため息も混じったような煙草の煙を口から吐き出す音だけが聞こえた。それが更に僕の恐怖心を駆り立てる。
こ、この人、僕の質問を、無理矢理なかったことにしやがった!
僕の言葉のボールは青柳さんの手によってゴミ箱にでも投げ捨てられたらしい。
THE・黙殺、本当に殺されるかと思った。
大人の女性って怖い……。
もう一度聞いても多分答えてくれないので、というか僕に再び同じことを聞く勇気が無かったので、それ以上は僕も何も言わなかった。
何だろう……触れちゃいけないことだったのかな?
さて、再び言葉のキャッチボールは途切れ(青柳さんが携えているのはミットじゃなくてバットなのかもしれない)僕はまた黙りこくった青柳さんにじっと見つめ続けられるわけだけど……
もしかしてこれ誘惑されているんじゃないのか?とか思ったけど、それだったら青柳さんと僕の立ち位置が全く逆なのでまぁ、ないだろう……多分
「あの、何ですか?さっきから僕のことじっと見つめてきますけど、僕の顔に何かついてます?」
また無視されたらどうしよう、とか思いつつもたまらず僕はベタなセリフを交えつつ聞いた。
すると青柳さんは
「目が……」と、言う。
目?
「君、死んだ魚みたいな目してるな、って言ったら怒るか?」
あ……
僕は俯きながら「いいえ」と力なく首を横に振った。
「そうですか……、やっぱり、そう言う風に見えますよね……。」
何せもう死んでいるようなものなんだから。……今まで自分の目を人と比較することなんてなかったし、他人に面と向かってそういうことを言われたこともなかったので自分自身なんとも思っていなかったけど……やっぱりそうなっちゃってたのか……。
どうやら、僕は失敗したらしい。できるだけ明るくてまともなやつを装って青柳さんと接してきたけど
自分の内心っていうのは外見にも出ちゃうんだなぁ
いや、でもまだ大丈夫かな?
「そうなんですよね、最近、大学の友達と徹夜で遊ぶことがあって寝不足なんですよね。目にくまとかあってそう言う風に見えるかもしれません。アハハ、でもいくらなんでも死んだ魚の目は言いすぎじゃないですか⁉」
「……。」
いともたやすく黙殺された。できればそのまま僕も殺して欲しい。
もちろん大学に友達なんていないし、寝不足なのは本当だがそれはただの不眠症だ。
青柳さんはフィルターぎりぎりまですった煙草を携帯灰皿に押し付けて入れると、続けて二本目を口にくわえてマッチで火をつけた。
どうやらこの人かなりのヘビースモーカーらしい。
じっと僕を見つめる青柳さんの視線、心の中を見透かされているようで嫌だった。
しばらくして青柳さんが口をひらいた。
「「それで、このザマか」ってどういう意味だったんだ?お前が目を覚まして一人コントをした後に言ったやつ。」
……一人コントに心当たりはないが、……やっぱり見られていたのか……。
……。
「いやぁ、僕運動には自信があって、その気になれば落ちてきた青柳さんを受け止めることができたのに、一緒になって倒れてしかも気を失ってしまうだなんて自分が情けないなぁ、と思って……」
「……。」
「こ、こう、お姫様抱っこで……、ラ、ラピュ○みたいに……。」
「……。」
し、死にたい。この嘘には無理があった……、どう見ても僕は運動に自信がありそうな体格じゃない……、これではまるで僕が見栄を張っているみたいじゃないか……、いや、見栄を張っているのか……僕は。
………はぁ、もういいかな、どうせ青柳さんとはもう会うこともないだろうし。いや、お互いの家はそんなに離れていないのだったか、じゃあまたどこかで会うことがあるかもしれないな……。まぁ、三日もすれば僕の顔なんか忘れるか……。
もういいや、全部さらけ出そう。
青柳さんはどんな反応を示すだろうか……、可哀想なものを見る目で見られたら嫌だな……。
ドン引きする青柳さんを思い浮かべながら、僕は無視し続ける青柳さんに仕返しでもするかのような気持ちで思い切って青柳さんの質問に今度は本心から答えた。
「まっ、あの、その、死にたくて……迷惑をかけたから……。」
全然思いきれていないし、ほとんど言葉になっていなかった。
自分の本心を言おうとすると、口が震え、うまく言葉が出てこなくなってしまって、まるで自分が喋っているようじゃないみたいだった。
いや、逆か。これが本当の自分だ。
心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる、体がふわふわ浮いているような感覚があった。先ほどよりも強い吐き気がぶり返してきて今にも吐きそうになりながら僕は青柳さんの反応を待った。
だけど青柳さんは何も言わず、まだ長さのある煙草を携帯灰皿に押し付けるとベランダから室内に入る。
それから僕のジャケットを脱いでハンガーにかけると
「そうか……、もう寝ろ。」
何事もなかったかのようにそう言った。
「……‼なんで、どうして……。聞こえなかったんですか?僕は死にたかったんです。僕なんか生きてる価値がないから、僕なんか死んだ方いいから、……生きていても何も楽しくない、今まで楽しいと思ったことが無い、僕の人生なんて生まれた時から終わってるんです!僕はこの世界に適用できていない、他人は嫌いだし、信用もできないし邪魔くさいしどうでもいいと思っている!いつも授業中教卓の先生が爆死するのを妄想して遊んでた、僕は終わってるんですよ!休み時間中次の授業が面倒だから世界が終わって欲しかった!明日の朝起きるのが面倒だから僕以外の人間に全員死んで欲しかった!僕はもうだめナンデスヨ!オワッテル!こんなの、死んだ方がいいに決まってイル!みんな死ねばいい!なんで誰も僕のことを分かってくれないんだ!メンドクサインダヨ!僕は僕さえよければそれでイイ!なんで!ナンデ!ナンデ!僕はこんなにキモチノワルイ世界に生まれタンダ!僕はもうだめなんですよ!終わってる、終わってる、オワッテル、オワッテル、オワッテル!もう誰も僕を見るな!関係ないだろうかよ!クソガキが‼ボケが、クソクソクソクソクソクソ!ミンナボクノコトナンカナンニモワカッテイナイクセニ!」
突然、僕の中でせき止めていた何かがあふれ出した。
「シネシネシネシネシネシネシネシネ!キエロ!キエロ!キエロ!邪魔なんだよ!どいつもこいつも!ジブンモ!」
自分でも訳の分からないことを言っているのが分かってて、それでもやめられなくて、ほとんど悲鳴を上げるような声で青柳さんに訴えかける。
この人に知って欲しかった。僕がどれだけ醜い人間か、僕がどれだけ狂っているのかを。
ここ、アパートだから隣人の迷惑になるだろうな。と、そんな冷静なことを考えている自分がいて、それがなんだか嫌だった。
……とにかく醜いことを、おかしなことを、狂っていることを言い続けなくちゃ、僕はそういう人間だから。……どうしてわからないんだ、僕が勇気を振り絞ってあんなことを言ったのに、ちゃんと言ったのに。どうしてわからないんだ、身近にこんなにも危険な奴が潜んでいるっていうのに。どうして誰も僕を見てくれない、分かってくれない。僕は排除されるべきなんだ、危ない奴なんだ、どうしてわからない、どうして、どうして、どうして、
「どうして!どうして!どうして!どうシテ!ドウシテ!ドウシテ!ドウシテ!」
僕は髪をくしゃくしゃにしながら頭を抱え込む
とっても醜い声だった、自分でも聞いていられなかった、これでいいと思った。
「どうして………誰も僕を助けてくれないんですか…………。」
アパートの外から男女の喋り声が聞こえる、ぐちゃぐちゃの頭の中で、さっきまでの僕の叫び声を聞かれちゃったかな?とちょっと心配になった。
「それは自分でもよく分かっていることだろう。」
頭を抱えている僕の頭上からさっきまでと変わらない口調の青柳さんの声が聞こえた。
「僕はもう自分に何も期待しませんよ。だから僕は僕を助けない。もういいんです、僕人生の五分の四くらいのことは諦めて生きていますから。」
僕はまるで冗談のようにそう言ってから、見せつけるように笑って青柳さんを見た。
青柳さんはもう僕を見ていなかった。
読んでいただき有難うございました!