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絶望少年の行方。  作者: 鳩麦紬
第三章
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保西茜1


 教会のお手伝いとしての初仕事を成功(?)させて、一週間が経った十二月二十一日。何気にクリスマスまで残り四日までと迫ったその日(まぁ、『迫った』と表現しても、クリスマスの日に特に何か予定があるわけではない僕なのだけれど……)、僕は自宅のアパートから真心教会へと歩みを進めていた。

 途中、青柳さんの住んでいるアパートの目の前に至る。久しぶりに凛さんに会いに寄って行こうかとも思ったけれど、特にそれと言って用事があるわけでも無かったので、横目でアパートの外壁を眺めて通り過ぎるだけにした。

 いや、別に特別な用事なんて必要なくて、理由としては会いたくなったから家に寄った、でいいのかもしれないけれど、なんだかそれだと馴れ馴れしすぎて相手が迷惑なのではないだろうか、と考え込んでしまい、ついでの用事でもない限り気軽に人と会うこともできない僕なのだ。

 一週間前の、公園でキーホルダー探しをしていた時に積もっていた雪は、もうほとんど溶けてしまっており、あの日を最後に雪が降ることもなかったので、僕の歩く路地はつまらないほどにきれいなものだった。いつもの無粋なアスファルトがむき出しになっている。途中、道路の端に小さく雪が積もっているのを見つけたので、それを真上から足で踏みつぶす。

 ベチャッとしていた。

 きょろきょろと、他にも雪が積もっていないか探しながら歩き続ける。そうしているうちに教会へと着いてしまっていた。

 教会の屋根を見上げると、そこには相変わらず、当たり前のように巨大な十字架が刺さっている。十字架の向こう側には雲一つない青空が見えた。僕はそれを眺めながら、両手を腰に当てて背中を後ろに反らし伸びをする。欠伸が出た、口からふわぁ、と白い息が漏れる。

 視線を下におろす。

「…………ん?」

 その時僕は気が付いた。教会の正面玄関から入る時に、上らなきゃいけない三段だけある階段の所、その二段目の日の当たるところに、何やら黒くて、もさもさしたものがあった。

 何だろう、……落し物のマフラー?

そう思いながら、目を細め、それをじっと見る。

「…………あ、猫か」

よく見ると、耳と尻尾が見える。それは全身真っ黒の猫だった。

丸まっていたので良く分からなかった。どうやら猫は日向ぼっこをしていたらしい。首輪は着けていないようだ、……野良猫かな?

それにしても、……ふぅん、猫か。………猫か、ほほぅ?

僕の存在にまだ気づいていないのだと思われるその猫に、僕は抜き足差し足で近づいて行く。手を伸ばせば猫の体に触れられる、その距離まで近づいてもその猫は僕に気が付かなかった。それもそのはず、近づいてみて気づいたのだが、この猫寝ている。

こんなところで昼寝だなんて何とも無防備な猫だな、そう思いながら僕は猫の体に触れようとしゃがみ込んで手を伸ばす。

突然触れられれば驚いて逃げるかもしれないと思ったが、僕は我慢できなかった。

猫は大好きなんだ。というか、動物全般が好きだ。一番好きなのはもちろん犬だ。二番目が猫だ。

ずっと眺めていられるのは、それはそれでアリなのだけれど、ここまで近づけたのならば、やっぱり触らないともったいない。

猫の額に指先で優しく触れてみる。

うわー、やわらかーい!

何だろう、猫って、なんか、こう、なんかもう本当にかわいいな、こいつは。

触れた指先でそのまま猫の額を撫でる。

…………それにしてもなかなか起きないな、耳がぴくぴく動いているから死んでいるわけじゃないだろうけれど………あ、起きた。

猫が目を開いて僕を見る。少し驚いているようだった。金色の目が黒色の体毛に似合っていてとても綺麗だ。

「こんにちは、日向ぼっこしてたの?良かったね、気持ちいいね」

 僕は動物に話しかける。

 さすがにもう逃げるかな、と思った僕だったが、突然現れた僕をじっと凝視した後、その猫はむしろ自分から僕の手に顔をすり寄せてきた。

「お、……おおぅ……」

 猫の思いがけない行動に、僕は思わずそんな声を出してしまう。猫はぐるぐると気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

「そっかそっか、気持ち良いか、よしよし」

思わず調子に乗って、僕は猫の体中を撫でまわす。例えば、お腹とか、尻尾とか。

「にゃ、にゃあ⁉」

「よしよし」なでなで。

「ふにゃあ、にゃにゃあ‼」

「よーしよし」なでなで。

「にゃー、ぎにゃー‼」

「よーしよーし」なでなで。

「にゃー‼ふしゅー‼」

引っ掻かれた。

そのまま猫は飛び出すようにどこかへと行ってしまう。その場には右手を抑えてうずくまる僕だけが残された。

 …………うん、今のは完全に僕がいけなかったな。僕がイライラするところではないぞ。うわぁ、血が……。思いっきり引っ掻かれたな。これ、大丈夫だろうか、これで僕が感染症か何かにかかってしまったら本気で笑えない…………。

 手に滴る血を(滴るほど出ている)舌でなめながら、僕は立ち上がる。

「あほう!くーをあんな乱暴に撫で回す奴がどこにおるか!」

 と、突然、真心教会を目の前にしていた僕の背後から、そんな女の子の怒声が聞こえた。

 びっくりして、僕は恐る恐る振り返る。

 そこには、セーラー服姿の、赤い眼鏡をかけた女の子が腕を組んで堂々と仁王立ちしていた。鋭い視線で僕を見据えている。

 いったいいつから彼女はそこにいたのだろうか………。

「くーのあんなふうに撫で回すなんて……、あんさん変態やな。…………っていうか、目ぇきもっ!」

「……………」

 前にもいたな……、初対面でいきなり僕の目の事をだいぶひどい感じに批判してきた人が………。

 目の前の女の子のようにそうストレートに言われると、僕はむっとするどころか、普通に心が折れそうになってしまうのだけれど…………。

「あらら、血が出とるやんか」

 セーラー服姿の女の子は、さっきから地面にぽたぽたと血を落とす僕の手を見ると、近づいてきてその手を取った。

「あ、えっと、大丈夫だよ」

 そんな、僕の手なんかに触ったら、僕の目の気持ち悪いやつが君にうつってしまうよ。

「あんさんが大丈夫でも、見てるこっちが痛々しいですよ」

 女の子はそう言って、セーラー服の胸ポケットから水色のハンカチを取り出すと端を自分の口でくわえて湿らし、何のためらいもなくその部分で僕の手の血をふいた。

「えっと、君は、何をしているのかな」

「絆創膏貼るんで、じっとしとってください」

「…………」

 血が拭われたことで顔を出した細長い線が三つ、僕の手の甲にはしっているのを見て、絆創膏じゃこの傷を覆いきれないのでは、と思ったのだが、そのことを目の前の女子高生に告げると、「おっきいの持ってるから大丈夫です」と、得意げに言われた。

 最近の女子高生は準備がいいなあ、と僕は思わず感心してしまう。

 かくして、彼女の治療は終わり、本当に大きな絆創膏を手にべっとり貼られた僕は、「ありがとう」とお礼を言った。

「五百円でいいですよ」

「あ、お金とるの?」

「アハハハ!冗談ですよ。私これからバイトですから、そこで稼ぐんでお金はいりません。じゃ」

 笑っていたかと思うと、彼女は急に真剣な顔をして、警察官のするような敬礼を小さな動きで僕に見せた。それから再び照れたように笑って僕の脇を通り過ぎていく。

 真心教会に背を向けていた僕の脇を、通り過ぎていく。

「ちょっと待って」

 慌てて彼女の後姿を呼び止める。腰あたりまで伸びた、彼女の背中にたらしたおさげが、立ち止まった彼女の背中でチョンと跳ねるように揺れた。

 彼女はゆっくりと振り返る。

「何ですか?」

「バイトって……、この教会で?」

「そうやけど」

「…………あの、いきなりだけど、君の名前聞かせてもらっていいかな」

「…………まず自分から名乗ったらどうです?」

 別に気を悪くしたわけではないのだろうが、彼女は意地の悪そうな笑みをつくると、僕にそう言った。

「ああ、うん、そうだね。僕の名前は紅田白」

「しろう?」

「しろ」

「変な名前ですね……。まるで犬の名前みたいや」

「はは、よく言われるよ。…………君の名前は?」

「茜、保西茜、いいます。どうぞよしなに」

 そう言って仰々しく頭を下げる保西さん。

「もしかして、青柳千年さん、って人と知り合いじゃないかな」

 僕は保西さんに訊いた。

「青柳さん?ええ、よお知っとりますよ」


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