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絶望少年の行方。  作者: 鳩麦紬
第三章
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野球の終わりに2

僕らがトンボとブラシをかけ終わった時にはもうこの運動公園内からは、小学生の姿は一人としてなくなっていた。

 雪が最初のころより勢いを増して降っているように思える。

 トンボとブラシを備品倉庫と表記された立札が張られたプレハブ小屋の中に収納し終わり、もう帰るのかと思ったら、青柳さんはファースト側の三つ並べたうちの真ん中のベンチに座り、煙草を吸い始めた。

 試合中は一度も吸っている姿を見ていなかった、多分家に帰るまで我慢できなかったのだろう。

 僕はそれを待っている間やることが無かったので、さっきフェンスのところで草に隠れているのを見つけて拾ったソフトボールを空に向かって投げて遊ぶことにした。

「それ、後で倉庫に入れておけよ?」

青柳さんは僕が手に持ったボールを見て言った。

「分かってます。………よっ!」

 ボールを空に向かって投げる。あたりがうす暗いうえに雲とソフトボールの色がほとんど一緒なのですぐにボールを見失う。しかししばらくすると雪よりも早く落ちてくるボールを見つけることができ、僕はそれをキャッチすることなく避けた。

 このちょっとしたスリルが癖になる。僕は何度も空に向かって投げては避け、投げては避け。を繰り返す。

「…………面白いか?それ」

 青柳さんが怪訝そうに言った。

「……………。」

暇なんだよ。煙草、おいしいか?それ。

何となく、こうして遊んでいる僕を青柳さんが馬鹿にした気がしたのでそれ以上続けて遊ぶ気にはならず、僕は遊ぶのをやめ、青柳井さんが座っているベンチの隣のベンチに大人しく腰掛けた。

その瞬間、今日の疲れが体にどっと来たのが分かった。特に太ももとかがやばい。

「お前、何気に落ち着きのないところあるよな。」

そう青柳さんが隣のベンチから顔をこっちに向けて言った。

「………まぁ、子供のころは親戚とか親によくそう言われていましたね。……でも高校入った頃からは逆に…」

「逆に?」

「…………おとなしい、だとか。つまらない奴だ、だとか。よく言われるようになりました。………性格変わっちゃったんですよね。」

「大人になったってことじゃないか?」

「……大人、ですか。」

 もしそうだとしたら、僕は大人になんてなりたくなかったな。ごちゃごちゃと余計な事ばかり考えて、周りを気にして口を紡ぎ、己の行動を制限することを大人になることだというのなら………。

「青柳さんは、大人ですか?」

僕は青柳さんを見ていった。

「何だそれ?私は大人に決まってるだろう、三十七だぞ」

「でも今日はなんだか子供みたいだった」

僕は青柳さんの方は見ず、前かがみになって自分の足元を見ながら、笑みをつくって言った。

「今日は悪かったな、無理矢理こんなことに付き合わせて………、でもどうだった?楽しかったか?」

「疲れました。」

「ハハハハハハ」

何がそんなに面白かったのか、僕のそんな言葉を聞いた瞬間、青柳さんは天を仰いで笑い声をあげた。

「でも、……まぁ、面白かったですよ。」

「そうか、……それはよかった。」

「普段はあまりやらない事ですしね、大勢で野球なんて」

「まぁな、こういうのって下手したら大人になってから一生やらなくなっちゃたりするもんだしな」

 僕が今日より前に野球をしたのはいつだろう、と青柳さんの言葉を聞いて思い出そうとする。確か、高二の時体育の授業でやったのが最後だ。

「また、したくないか?こういう事」

「まぁ、たまになら……」

「少年って、普段は何してるんだ?」

「…………。」

僕はそこで言葉に詰まった。

大学の友達とかと遊んでますよ、いおうとしたが、この人にはもうそういう事をする必要が何だという事を思い出す。

僕はもうこの人に自分の気持ちの悪いところはほとんど見せちゃってるんだから、今更自分を取り繕うようなことはしなくていい。だったら自分のありのままを正直に言えばいい…………できるだけ。

「別に、何もしてませんよ。………本当に。」

「………そうか、それって、つまらないだろう?」

 人の人生の一部をつまらないだとか言うなよ、ぶっ殺すぞ。

「……黙れよ」僕は思わずそうつぶやいた。

「………………。」青柳さんは黙る。

 あぁ、違うんだ青柳さん、そうじゃない、僕はあなたに対して言ったんじゃないんだ……。

僕は………。

「僕、頭の中でいろいろごちゃごちゃと考えちゃうんですよね……、訳の分かんないことを……。まるで、自分以外の誰かが頭の中で勝手に独り言をつぶやいているみたいに……」

 僕は言った。青柳さんからすれば話の流れからは全く関係のないことを僕がしゃべっているように思っているだろうけれど、さっきの僕の発言が、まるで青柳さんに対して言ったみたいなままにしておくのは嫌だったので、僕は、誰にも打ち明けたことのない誰にも言いたくなかったことを、言った。

「すごく、うるさいんですよ。本当に。こいつすごく勝手な事ばかり喋ってるんです。」

「…………。」青柳さんは何も言わない。

「すぐに昔の嫌な記憶を引っ張り出してくるわ、相手の言いもしないひどいことをアフレコで入れてくるわ、僕の友達や家族に対してひどいこと言ってくるわで、…………いつの間にか僕はこいつに頭の中どころか行動まで支配されてしまったんですよね……」

「…………。」

「こいつのせいで両親への尊敬の思いは地の底まで落ち、大好きな友人は大嫌いになり、愛すべき隣人に対してはできるだけ関わらないようになりました。…………こんなの、つまらないし、悲しいですよ……。」

「悲しい……」青柳さんはそこでようやくそう言って口を開いた。

「悲しい」

僕ももう一度繰り返してそう言った。

「でも、もうどうにもならないんです。まるで脳みそに根っこが張り巡らされているみたいで、どれだけ考えないようにしていてもこいつは顔を出してくるんです。」

「今日は」

青柳さんはいつもより少しだけ声を大きくし口火を切るようにそう言った。その声は少し震えていたようにも思えた。思わず僕は青柳さんの方に顔を向ける。

「今日は……、どうだった?野球をしていてそいつはお前の中に顔を出してきたのか?」

「今日は……、一度だけ。九回裏に僕がダイビングキャッチした時」

「ああ」

「僕がボールを追いかけていた時に一度だけ顔を出しました。…………でもなんだか、今日はそのおかげで、……おかげっていうか……、それを踏み台みたいにして、頑張ることができたんです。………頑張ってボールを追いかけてキャッチすることができました。あの時初めてこいつに打ち勝つことができた気がしたんですよね……。一瞬だけ解放されたっていうか……」

 そう、あくまでも一瞬。これからもきっとこいつは僕の頭の中で喋り続ける。現にさっき喋った。

「…………。」

青柳さんは何も言わず、一本目の煙草は吸い終わったのかいつの間にか二本目の煙草を口に咥えようとしていた。

 そしてそれに火をつけずに立ち上がると僕の座っているベンチの元までやってきて、隣に座る。

「………今日はよく頑張ったな、よくやった。お前がいなかったら勝てなかったよ。」

そう言って僕の頭を左手で乱暴に撫で回す。

あまりにも乱暴なので、髪はくしゃくしゃになり僕の体はぐらぐらと揺れた。

「いえ、その分足をひっぱっちゃいましたから……。」

 恥ずかしがりながらそう言う。褒められたことが恥ずかしいのか、頭を撫でられたことが恥ずかしいのかは自分でも分からない。両方かもしれない。

「なんで、お前がそいつ打ち勝てたか分かるか?…………いい?」

青柳さんは僕にジッポのライターを見せるとそう聞いてきた。僕が「はい」と答えると青柳さんは二本目の煙草に火をつけ始める。その姿には思わず見とれてしまうものがあった。

「きっとさ、そんなこと考えてる場合じゃない、って自分で思ったんだろうな。………だからお前は頑張ることができた。………なぁ白」

 そこで青柳さんは言葉を切り、少し耳を赤くして俯いた。

 ………恥ずかしいなら言わなければいいのに………。なぜ恰好付けようとする……。

「………何もしないことが悪いことだというつもりはないが……、人間それだと考えすぎちゃうと思うんだよな、いろんな事を。例えば……、生きてる意味だとか、将来への不安だとか……、でもそんなことばっかり考えていてもしょうがないだろ。そんなの、心がもったいない。」

「………心」

「白、……心奪われる何かを、もっとやってみたらどうだろうか?そんな塞ぎ込んだところに心を置いて、自分のためだけに使ってたら心も腐ってしまう……。何かに無我夢中になれば、きっとそいつも顔を出さなくなると思うぞ?」

「…………やりたいことが、ないです。」

「それはお前が何もしないだけなんじゃないか?……何でもやってみたらいい。」

 無責任な発言。

 僕はこういうのが大嫌いだ、そう促しておいてそれで僕が失敗してもきっとこの人は何とも思わないだろう。

 人は誰でもあんたみたいに強くないんだよ。

 そんな事聞かされても自分の弱さを指摘されているようでただ僕が辛いだけだ。

 そういう事言われるのが一番辛いんだよ。

 そういう事言われると、意地になってもっと自分を塞ぎ込んでしまう。

 この人は何にも分かってない。

「……あぁ……」

 僕はそう呻いて、ベンチの上で膝を抱え体育座りをする。それから顔を下に向けた、おでこをひざを抱える腕に密着させた。

 目を瞑る。

「………すいません、青柳さん、また、あいつが……」

「…………」

 青柳さんが今僕をどういう風に見ているのかは分からない。そもそも僕を見ているのかどうかさえ分からない。

 僕の視界に今映っているのは暗闇だけだ。

「人ってさ、………もっと優しいんだよ、本当は優しいんだよ、苦しんでいる人見ると助けたいと思わずにはいられないんだ。……お前がどうしたいか言ってくれれば私はお前を助けたいと思ってる、力になりたいと思ってる。…………私を信じてくれないか?」

「……信じる、何を……」

「私が超絶良い人だっていうことを」

 自分で言うのもなんだけどな、と青柳さんは笑っていった。

 顔は見えないのだけれど、何となく、青柳さんの今の表情が暗闇の中に浮かんで見えた。

「……良い人」

「お前が私を頼ってくれれば、私はお前を裏切らないし、嫌いにならないし、見捨てないし、一人にはしない」

「………本当ですか?」「本当だ」

「絶対に?」「絶対」

「神に誓って?」「アーメン」

「…………」

「…………」

五分ほど僕たちの間に沈黙が続いた。

 青柳さんはその間ずっと僕の言葉を待っていてくれた。

 僕は目を開けてゆっくりと顔を上げて正面を見た。

 外はもうほとんど真っ暗だった。

 雪は降り続いている。

 これは積もるなぁ、明日の朝が、楽しみだ……。

「青柳さん」

正面を向いたまま僕は言う。

「何だ?」

「…………助けて、くれませんか?」

「何を?」

「………………人生がつまらないんです。やる事が無いんです。やりたい事が無いんです。心がまいっちゃってるんです。………このままじゃ、僕は本当におかしくなってしまう……それが、怖いです。…………だから」

 僕はそこで隣に座る青柳さんを見た。

 青柳さんは今まで見たことのない優しい顔で微笑んでいた。

 そんな顔もできるのか………。

 さすが母親というだけあるな、と思った。

 僕が何を言っても全てを許してくれそうで、思わず甘えてしまいそうになる、そんな顔だった。

「……………僕を、構ってくれませんか?……僕、あなたと一緒に心奪われることがしたいです」




ここまで読んでいただき有難うございました。

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